あまり天気がよくない。
空を見上げて思う。雲ばかり広がる天は青の色を一つも見せてはいない。全てが灰色で埋め尽くされている。唯一、灰色の中に濃淡を見せているもののそれだけ。青とセットで見られるような真っ白い色はどこにもない。
暗い。灰色の世界。
光を隠してしまうこの世界に一つの雫が流れ落ちるのはあまり先の未来ではないのかもしれない。ああ、今にも空の涙が流れてしまいそうだ。
雨の雫
ポツリ。ポツリ。
暗く雨が降りそうだと思っていたのはいつだっただろうか。気が付けば空からポツポツと雨が降りだしてきた。雨が降ってきたと思うや否や、ザーザーと本調子で降り出すのだから驚きだ。こんな天気だからと出掛けはしなかったが、どこかに出掛けていたなら大変だっただろう。
地を打ち付ける雨の音を聞きながら窓の外の様子を伺う。目に入った景色と音で感じた景色とが重なる。
「どうしたんだい?」
一人、窓を覗いて何かを考えている。窓の外を見ているようでどこか遠くを見ているような弟子に声を掛けた。
呼び掛けに気付いたトランクスは窓から視線を外す。そしてクルリと振り返り、瞳にその姿を映すと悟飯の名を呟くように呼んだ。
「キミがここに居るって聞いてね」
誰に、とは言わなかったがこの家でそれを教えられるような人は一人しか居ない。名前を出さなくとも、それこそ何も言わなくても分かるだろう。
部屋に入ると悟飯は窓の隣にいるトランクスのところまでゆっくりと歩く。それからさっきまでトランクスが見ていただろう窓の外を見て「随分降ってきたな」と感想を述べた。ここに来る時はこんなに降ってなかったけど、と雨の降りの変化を感じている。
そんな悟飯の姿をただ見つめているトランクスに気が付く。何か言いたそうで、だけど口を開こうともしない。その様子に雨を見ながら悟飯の方から言葉を投げかけた。
「トランクスは雨が嫌いか?」
雨を見たまま尋ねられた質問の答えに戸惑う。何と答えようかと少しの時間をかけて考えた後、出てきた言葉は「あまり好きではないです」と悟飯の言葉を肯定するものだった。
それを聞いた悟飯は、まるで答えを分かっていたかのように「そうか」とだけ言うと視線を窓から外した。それから視線をトランクスに向ける。
さっきまで悟飯のことを見ていたトランクスだったが、悟飯と目が合うと少しだけ視線を逸らした。目が合わせられない理由が何かあるわけではない。しかし、合わせられなくなってしまった。
「オレも雨の日が嫌いだったんだ。今はそこまでじゃないけれど」
どこか遠くを見ているような言葉。それは過去を見ている言葉だった。いつかは分からないけれど、少なくともこの世界を見ているのとは違っていた。
そんな過去を見ながら悟飯は話を続けた。
「だからトランクスが雨を嫌うのも分かるよ。みんながいなくなってしまったあの日も雨が降っていたんだ。それからは、雨という日が嫌いになってしまったから」
あの日。戦士達は人造人間達によって殺された。
ただ一人、幼かった悟飯だけには生き延びて欲しいという願いを残してみんな消えていった。同時に、この世界の戦士はたった一人となってしまった。
あの日も気が付いた時には雨が降っていた。大切な仲間達がいなくなってしまったこの世界でみんなへの悲しみと人造人間への怒り、そして自分の力のなさに悔しさを覚えた。
雨が、何もかも流してくれればいいと思った。だがいくら雨でも全てを流すことは出来ない。たった一人だけ残されてしまった世界に、今までと同じ色を見つけることが出来なくなってしまった。
それ以来、悟飯は雨というものが嫌いになってしまったのだ。雨はあの時のことを思い出させるから。雨がいけないわけではないけれど、その時にはもう雨そのものが嫌いになってしまっていた。
「そんなことばかり言ってても仕方がなかったから、雨の日だからって閉じこもっていたわけじゃないけどね。それじゃあどうしようもないことは知っていたから」
いくら雨が嫌いでもいつまでも嫌いとばかりはいっていられなかった。最初のうちは雨の日は何もしたくなかった。けれど、時が経つにつれてそれではいけないと思うようになったのだ。雨の日だからなどといっているわけにはいかないと気付いたのだ。
だから雨の日でも外に出て修行をしたり出掛けたりするようになった。それでも雨が嫌いでなくなったわけでもなかったけれど、あの頃よりかは雨の日も嫌ではなくなった。
「でも、また雨を嫌いになったことがあったよ」
一度はそんな雨もそこまで嫌いなものではなくなった。長い年月をかけていくうちにゆっくりと時間が解決してくれた。もう雨をあれほどまでに嫌うことはないだろう。そう思っていた。
けれど、頭で思っていたことと実際の気持ちは違っていた。また雨を嫌いになる日が来てしまった。
「どうして、ですか……?」
一度は克服したというのにまた嫌いになってしまったわけ。それが分からずにトランクスは尋ねた。
最初の出来事のことは先程の話でよく分かった。トランクスも同じだったから。大切な人の死と雨が重なって起こった、それが雨を嫌うように理由。悟飯にも自分と同じ経験があったのだと知った。
トランクスが雨をあまり好きではないと答えたのは悟飯のその理由と同じだった。悟飯にとっては戦士の仲間達だったものが、それはトランクスにとっての悟飯だった。悟飯の死を目にし、あの時の気持ちは悟飯と全く同じだった。それからしばらくの間は雨の日は部屋から出たくなかったほどだ。
二度目の雨が嫌いになったという理由は何なのか。
最初の理由とは別の理由があるのだろう。だが、トランクスにはそれが想像が出来なかった。またあの頃のことを思い出してしまったからというわけではなさそうだが、それならどうしてだというのだろうか。
そんな弟子の疑問に悟飯は青の瞳を真っ直ぐ見ながら答えた。
「キミを……トランクスをこの世界に一人だけ残してしまったから」
だからまた雨が嫌いになったのだと、悟飯は話した。それはトランクスが雨を嫌いになった理由とは正反対の理由だった。
一度目に雨が嫌いになったのは仲間の死に雨が重なってしまったから。
二度目は、トランクスだけをこの世界に残してしまったから。
トランクスが悟飯の死と雨が重なって雨を嫌ってしまうより少し前、まだ幼い弟子をこの世界に一人だけ残してしまうという事実に雨の降る世界の中で気が付いた。あの時、仲間達が自分に言ったように悟飯はトランクスに生きていて欲しかった。トランクスはこの世界の希望だった。
だが、世界の希望だからという理由だけで彼を自分と同じように一人だけ残してしまった。戦士が本当に最後の一人になってしまった。その辛さを一番知っていたのに、結局自分もそれを繰り返してしまった。
冷たい雨が降り注ぐのを肌で感じながら、きっとあの場所に残してきてしまったトランクスは自分と同じ思いをしてしまうのではないだろうか。そう思うと、また雨のことが嫌いになってしまった。今度は自分がやってしまったのだけれど、大切な彼を一人にしてしまったという思いと昔の自分が重なって駄目だった。
「偶然、なんだろうけど。オレにはその偶然がまた雨を嫌いになることと繋がってしまったんだ」
あの世では雨が降ることはない。けれど、地球で雨が降っていることを知る術がなかったわけではない。それを知る度に辛かった。あの時のことを思い出し、残してきてしまった弟子のことを気にかけて。雨が降っている時はいつも同じことを思った。見えない敵との戦いの中でもずっとそう思っていた。
生き返れることになったのはそれこそ本当に偶然だった。新たな強敵の出現と別次元の世界の人達がこの世界のために来てくれて、悟飯は老界王神様から命を貰った。そして、再びこの世界へと戻ってくることが出来た。
「また生き返ることが出来た今はそんなことは思わないよ。でも、あの時キミを残してしまったことはすまなかったと思ってる」
トランクスを瞳に写し、謝罪を述べながら頭を下げた。あの時はああするしかなかった。けれど、あの時のことがこの子に辛い思いをさせてしまった。それが分かっているから謝らなければいけなかった。
そんな悟飯の態度にトランクスは慌てて声を発した。
「もういいですよ。確かに、あの時はオレも辛かったです。自分だけが生き残ってどうすればいいのか分からなかった」
たった一人になった時は辛かった。その出来事と重なった雨の日が嫌いになってしまった。雨だけでなく、その日から暫くの間は何もすることが出来なかった。
だがそれも時が経つにつれて雨の日だけになり、更に時が流れると雨の日も外に出るようになった。ただ、夜だけはあの日のことを思い出してしまったけれど。雨が嫌いなのは変わらないままだったけれど、トランクスもまた悟飯と同じように少しずつ時間が解決していってくれていた。
「悟飯さんがどうしてオレを残していったのかってずっと思ってました。だけど、もういいんです。悟飯さんは戻ってきてくれましたから」
あれからずっと思っていた。どうして自分だけ、と。あの日からそう思ったことは何度もあった。
でも、今はここに悟飯がいる。一度は失ってしまったけれど今は一緒にいることが出来る。あの時のことを忘れたわけではないけれどその事実が嬉しい。一緒にいられることは何よりも幸せなことなのだ。
「ありがとう、トランクス。キミは優しいね」
微笑みながらそう言ったらトランクスも微笑んでくれた。この長い空白はすぐに埋めることは出来ないのだろうけれど、自然と時間がその空白を埋めていってくれるだろう。一緒に過ごす時間はその空白を忘れさせてしまう。空白の時間の全部が消えることはないし、空白の時を感じることがないわけではない。
だけど、それがあって今がある。今は一緒にいられる。この事実があれば今はそれでいい。
「オレも、トランクスとまた一緒にいられることが嬉しいよ」
二人の心が通い合う。静かで冷たかった部屋に温かさが生まれる。温かな空間はとても居心地がいい。やっと、相手のことを近く感じることが出来る。
一緒にいられる幸せ。それをこらからも大切にしていこう。これからはずっと一緒にいると誓って。
いつの間にか外の雨は止んでいた。そして、空には綺麗な青空が広がっていた。
fin