太陽が顔を覗かせ、暖かな光で照らしている。季節はもう寒さとの別れを告げようとしている。外に出てみれば少しずつではあるが春の色を映し出し始めていた。時とは気が付かないうちにゆっくりと流れているもののようだ。
 ああ、もうすぐ。この町にも春が訪れる。




暖かな陽気に包まれて





 世が世とはいえ、そう毎日修行をするのもどうなものか。毎日の鍛錬が大切であることは分かっている。けれど、たまにはその修行の合間に休息だって必要だろう。追い詰めてばかりでは体がもたなくなってしまうというもの。たまにはそんなことを考えずに過ごすのもいいというものだ。
 そう提案してみると案の定、修行をしたいという声が返ってきた。でもたまにはいいだろと訪ねてみれば、この提案を受け入れてくれた。それから武空術を使ってこの世界を飛び、見つけた広い野原に二人はいた。


「もう春だな」


 辺りを見ながらそう口にしたのは悟飯だった。ポツリと呟くように言われた言葉にトランクスは視線を彼の方へと向けた。
 その瞳はどこを見ているのか。目の前に広がる自然だろうか。それとも目に見えないような春を思わせる何かだろうか。その答えはすぐには見つからない。
 ただ、どこか遠くを見つめているような気がする。そんな悟飯のことを見ながらトランクスは言った。


「でも、まだ寒いですよ」


 風が頬を掠める時に感じるこの温度はまだ冷たさを感じる。いつかに比べれば寒さも減ったかもしれない。けれど、今が春だと言われても本当にもう春なのだろうかと疑問を抱くのも事実。春だなとそう感じることが出来るまでに気温はまだ暖かくはなっていないようにトランクスは思う。
 そんなトランクスの考えに気付いたのか、悟飯はトランクスの方に視線を向けて口を開く。


「寒いといっても、数ヶ月前よりかはマシだろ?」

「そうですけど……」


 数ヶ月前よりはよくても今だって体感温度は寒いほうではないかと伝えている。いくら少しは気温もマシになり、そこまで寒く感じるわけでもないとしても。冬と春のどちらだろうかと聞かれたなら、まだ冬の方なのではないかと思わなくない。
 確かに悟飯の言う通りでもあるのだが、かといってもう春なのだとすぐに受け入れられるものでもない。これを春だと認識するのにはもう少しの時間が必要だ。せめてもうちょっとでも暖かさを感じることが出来るようになるまでは春と思うのは難しそうだ。


「春の植物も見られるようになってきたからね」

「春の植物?」


 聞き返せばそうだよと頷かれた。
 けれど、トランクスからすればどれが春の植物かなどということは分からない。四季があるのだからその季節で有名なものくらいは分かるが、春といえば桜といった程度だ。あまり植物について詳しく知らないトランクスからすれば、そう言われてもいまいちピンとこない。知っている人からすれば分かる話でも知らない人からすればどれを指しているのだろうかと考えてしまうものだ。
 どれがその春の植物なのか分からないけれど、それが気になる気持ちもあって。言った本人に直接どういう物なのかと尋ねれば、自然の中の一つを指差しながら教えてくれた。


「色々あるけど例えば、あそこに小さな花があるだろ? あの花も春の野山に咲く花とされているんだ」


 悟飯が指差した先には小さな花が幾つか纏まって咲いていた。花自体は小さいけれど、一つ一つが集まってその存在を主張していた。冬にはなかった緑の葉に色鮮やかな花を持って。まだ数は少ないけれど、その花は確かにそこに在った。
 他にも別の場所を指差しながら春の植物を悟飯は教えてくれた。どれも小さくて少ない植物だけれど、もっと春が近くなれば数を増やして春の色を見せてくれることだろう。何気ない所に咲いている植物がもう春の訪れを教えてくれているなんて、悟飯に言われなければ気が付かなかった。


「意外とあるんですね。まだ寒いのに」

「だから春が来てるって言ってるだろ? それに暦の上だともう春なんだよ」


 節分を過ぎてすぐに暦では立春がやってくる。この立春を境に季節は冬から春へと替わることになる。その立春を過ぎた今は、暦で考えればもう春というわけだ。
 そうはいっても暦でいう立春はいくら春といってもまだ寒さの残る時期。それこそ春はまだ先ではないかと思うように寒さが残っているわけでもある。


「暦は暦だよ。立春なんて今より寒かったと思うしさ」

「それでも春になったのも事実だよ」


 寒いといっても春は春。体感温度でいう春と実際の暦上での春に差があるのは仕方ない。気候の問題だってあるのだから毎年同じ日から春になるのにだって無理がある。暖かくなってくるのは同じような頃だが、いつから春という区切りをつけるのは難しい。そうなると、暦での春を数えるのが一番いいのだろう。
 さっきから話しているようにまだ寒さが残るのも事実。それと同時に春の訪れを少しずつながら感じているのも事実。春だけれどまだ春にはなっていないように感じるこの時期。それでもどうやら春が近づいているのは確実のようだ。


「いくら春って言われてもまだそうは思えないよ」


 そんな風に話すトランクスに、悟飯は辺りの自然に目を向けた。冬から春に移り行く様子がそこにあるのは分かる。暦の上での春に、見て気付く春、体で感じる春と、捉え方はどれも違う。どれも間違っているのではないのだから春でも春と思えないのも仕方ない。


「自然っていうものは複雑だからな。トランクスが言いたいことも分かるよ」

「ボクも悟飯さんの言うこと、分からないわけじゃないよ」


 真っ直ぐに悟飯のことを見ながらそう言った弟子の姿に思わず笑みが零れる。まだ寒さが残るとはいえ、春が近づいて来ているということを分かってくれたようだ。
 何だかんだ言いながらも話に耳を傾けてくれる様子を見ていると彼の持つ素直さを感じられる。向けられた透き通るような青色の瞳からはトランクスのその性格が見てとれるようだ。こういう時、この子の本来の姿を見られる。戦いとは別の年相応の姿を。
 一度瞳を閉じると暖かな風が通り過ぎていった。それはまるで、春を届けていくかのような暖かい風。そんな風を肌で感じながらゆっくり瞳を開ける。


「春は、すぐ近くまで来てるみたいだ」


 目には見えないけれど、その訪れは間違いなくやって来ている。この世界そのものがそれを教えてくれている。
 悟飯がトランクスのことを見ると、同じように悟飯のことを見たトランクスの瞳とぶつかった。それから優しく微笑んで、相手の顔を見つめた。


「早く春が来るといいな」

「そうですね」


 暦の上だけでなく暖かさを感じる春が一日でも早く来てくれることを願い、その春にまたこうした時間が来ることを遠くの空に願って。
 暖かな陽気に包まれたこの空間が永遠でありたいと心の中で願う。

 この空間がずっと続いて欲しいと。暖かで平和な世界で在りたいと。
 僕等は春の訪れと共にそう願った。










fin




「ぼくたちの砦」のコルリ様に差し上げたものです。
暦では春だけれど、まだ春だとは感じられないような日の未来師弟でした。