「少しくらい良いだろ?」
そんな場面を見てしまったのは偶然。学校帰りにたまたま遭遇してしまったのだ。数人の男が一人の女子高生にそんな話をしているところを見かけた。その男達の制服には見覚えがあった。確か、隣町の高校の制服だったと思う。
これを見なかったことにして通り過ぎて行ってしまってもいいのかもしれない。けれど、無理やりにでも誘おうとする男を見ていい気はしない。何でこんなことをするのかと思ってしまうくらいだ。見てしまったからには見なかった振りをして行く気にもならなかった。
だから、次の瞬間。
彼等の間に割って入り、気が付いた時には思うがままに体が動いていた。
どんな時も君がいれば
最近、この学校では一つ噂が流れている。それが流れ始めた日は一日中その噂で持ち切りだった。噂なんていつでも流れるけれど今回はちょっと違っていた。その噂が流れ始めた日は勿論、それから数日が経った今日でさえその噂話が朝からずっとされ続けているのだ。それもどこかのクラスだけで、という規模の話ではない。おそらく、学校全体といっても過言ではないくらいに。どこのクラスでも、同じ噂をクラス中で話しているのだ。
「なぁ、知ってる?」
そう問えば「ああ知ってる」と答えられるのが大半。どこもかしこもその噂話をしている。この学校に通う誰でも知っているような現状に、噂というものは本当に早く広まるものだと実感する。
どんな噂が学校中に流れているのか。それは数日前の出来事のことだった。
数日前の夕方。学校帰りに他校の生徒と揉め合いになり喧嘩に発展した生徒がいる。その生徒はこの出来事が問題となって謹慎処分を言い渡されたらしい。
それが今流れている噂の内容だ。その噂を聞いた生徒達は「アイツがな」「怖いよね」「信じられない」「そういう人だったんだ」などと口々に言っている。その生徒のクラスメイト達も本当かと疑問に思いながらも実際はそういう人なのかもしれないと思ってしまっているほどだ。それもその生徒が学校に登校していないから、噂が定かであるかは別としても学校に来れない理由があるのは確かだったので余計に噂が広まったのだろう。
「学校休んでるみたいだし、やっぱり噂は本当なのかも」
こんな風に言われても本人が居ないのではどうにもならないのだ。直接真偽を聞くことも出来なければ、教師に聞いてもはぐらかされるだけ。結局、そんなことをしたのだから謹慎になっているという話になってしまっているのだ。昨日の今日から噂が流れ始め、数日経っても消えないとは随分と根強い噂である。
どこでも同じ噂を耳にして正直、学校に居るのが嫌になっていた。自分のクラスに居ようがどこに居ようがその噂を聞く羽目になるのだ。聞きたくなくても嫌でも聞こえてくる噂にはうんざりしている。
「悟天、お前って先輩と仲良いんだろ? 噂は本当みたいだし、さっさと離れた方がいいんじゃねぇの?」
近くに居た男子がそんな話題を振ってくる。そこで集まって話していたクラスメイトも同意見だというように一緒に話している。
それを聞いて、とうとう限界がきてしまった。
「五月蝿い!! 何にも知らないくせに、そんな勝手な話ばかりして! いい加減にしろ!!」
叫ぶように言い放って悟天は教室を後にした。後ろの方から「悟天!」と名前を呼ぶ声が聞こえた気がするけれどそんなことは一切気にしなかった。一秒でも早くこの場から離れたかった。全力疾走すればこの学校で悟天に追いつける人などただ一人を除いては居ないのだ。誰が追いかけてこようとも振り切れる速さで、そのまま学校をも飛び出した。
行き先は決まっていた。悟天は学校を出てから真っ直ぐそこに向かった。学校を抜け出してサボったなどとチチが知れば怒られるかもしれないがそれは仕方がない。今回はそうなる可能性があるとしてもあの場には居られなかったのだ。
目的の場所までやってくると、玄関から入ろうかと最初は思ったけれどやっぱり止めた。それで家に連絡を入れられても困るという話だ。上手く話せば分かってくれるだろうけれど、それよりも早く会いに行きたいという気持ちの方が強かったということもある。彼の部屋の窓まで行くと、コンコンとノックをする。すると、その人はすぐに窓を開けてくれたが、急にやってきた訪問者に驚いた様子でもあった。
「悟天、どうしてお前がここにいるんだ!?」
目の前の悟天に驚きの声を上げる。それもそのはず。本来なら学校に居るはずの時間にこんなところに居るのだから。
「トランクスくん!!」
彼の名前を言うのと同時に悟天は窓からトランクスの元に飛び込んだ。いきなりの行動にさっき以上ぶ驚かされたが、なんとか支えることが出来てよかったとトランクスは思う。そんな思いも知らず、悟天は飛び込んできた時のまま動こうとはしない。それを見て、学校で何かがあったことを悟った。それに気付いたトランクスは、もう暫くはこのままでいようと悟天のことをそっと包み込むように抱きしめた。
それから数分後。もう大丈夫だからと言った悟天を放すと二人はベッドの上に並んで座る。そして、疑問に思っていたことを話し始める。
「どうしたんだ?」
本来ではまだ授業を受けているはずの時間だ。それなのに此処に居るということは、学校を抜け出してきたということになる。授業を集中していない時はあっても悟天が学校を抜け出すなどということは今までに一度もない。だからどうしてそんなことをしたのかと尋ねている。
けれど、それもなんとなく分からないでもない。学校を抜け出して、おそらく直接此処まで来たのだろう。此処に来る理由など悟天にとってはトランクスに会う以外にはない。そこまで分かってしまうとどんな理由が中心にあるのかは聞かなくても予想は当たっているだろう。
「…………みんな、何も知らないくせに好き勝ってに言うんだもん」
これだけ聞けば予想が当たっていると分かる。ついでに悟天の言おうとする話についても分かってしまった。深く考えなくても見つけてしまった答えはこの場にあるのだ。それに、その話の当事者であるトランクスが気付かないわけがなかった。
「噂話のこと、だろ?」
たったそれだけ。それだけで十分に通じるのだ。
その言葉を聞いた悟天は小さく頷いた。噂話が原因となっていると思ったのも外れていなかったらしい。外れているかもしれないとは最初から考えていなかったけれど。噂話のことを悟天から聞いた時、その時から少しではあるが噂話を否定していた。その時も今と同じようなことを言っていたのだ。
「仕方ないことだろ。それが事実でもあるんだから」
そんなことを気にする様子もなく、事実なのだから仕方がないと受け止める。噂と真実では多少は違いがあるものの結局やったことに間違いはない。それならば、否定をしたところでどうしようもないのだ。要するに否定するだけ無駄というやつだ。それであって否定しようという考えは持っていない。
けれど、悟天からすればすれすらも認めたいとは思わない。違うものは違うと否定したいのだ。本当のことではないのだから好き勝手なことを言って欲しくない。そう思うのだ。
「でも、あんな噂をみんなが信じるなんておかしいよ。だって、トランクスくんは……!」
あの噂は結果として間違ってはいない。現にトランクスは自宅謹慎となっているのだ。その理由も他校の生徒と街中で喧嘩をしたのが原因。この中に噂と違うことなど一つもない。
一つもないけれど、悟天からすればいいたいことがあるのだ。その時のことを悟天はトランクスから直接聞いている。それを聞いたからこそ、間違った噂を否定したいと思ってしまうのだ。その噂が真実でないと、本当は違うのだと。トランクスからすれば結果的に同じなのだから気にする必要などないと思うが、それを悟天は気にしてしまうのだ。
「オレがやったことは噂の通りだ。そういう噂が流れるのも無理はない」
そう言った後、付け加えるように「世の中はそういうものだ」と話す。この世の中というものは、甘くはない。社会に出れば当然それを知ることになるだろうが、二人のような高校生でもそう感じることはあるだろう。高校というのは中学とは違う。試験に合格しなければまず入学すら出来ないし、テストの成績が悪ければ進級も出来ない。世の中の厳しさというものを少しずつ学んでいくわけである。実際に世の中に出てみれば、これ以上のことを色々と知ることになるだろう。
もうやってしまったことは取り消せない。そのことが実際のことよりも大げさになって噂に流れることがあるのも不思議なことではない。むしろ、噂というのは大体そういうものではないだろうか。本当のことがそのまま流れる噂など極僅かだろう。
「だけど違うものは違うよ。アレじゃあただ喧嘩しただけみたいじゃん。そうじゃないのに」
どうも納得出来ない悟天は、ついこんなことを言ってしまう。
噂とは違う真実。それがどういうものかといえば、ことの始まりは数日前の夕方。学校帰りに一人の女子高生が数人の男に囲まれて、一緒にどこかに行かないかと誘っている場面にトランクスは出くわした。その男達のは隣町の高校の制服を着ていて、無視をしようにも無理やりにでも誘おうとする男達を見て嫌気がさした。どうしてこんなことをするのかと、考えられないような思考に頭が痛くなりそうになる。見ない振りをする気にもなれず、そんな男達と女子高生の間に割って入った。
それからというもの、まずはその女子をこの場から逃がした。次にどんなことになるのかといえば、男達が「何なんだ、お前は」とどこかの漫画にでも出てきそうな言葉を発する。それに対して「女子高生を無理やりに誘おうなんて、低レベルの奴がやるようなことだな」と言えば「なんだと!?」と突っかかってくるわけで。そのまま喧嘩に発展してしまったわけだ。
「トランクスくんは喧嘩をしようとしたんじゃなくて、その子を助けようとして喧嘩をすることになっちゃっただけなのに」
悟天の言う通り、元はその男達に囲まれていた女子を助けようとして口を挟んだのだ。それが当然のように喧嘩になり、そのことが学校に知られて謹慎処分。いくらそれを説明したところで学校からすれば他校の生徒と街中で喧嘩をしたというだけで問題だという話になる。そこで教師達はどうするかを相談し、謹慎処分という手段を取ったということだ。
それが学校の噂では、他校の生徒と揉めて喧嘩をしたために謹慎処分になった生徒が居るという話になっていた。その噂と同時にトランクスが学校を事情があって休みだということをクラスメイトが聞き、その生徒というのがトランクスではないかということになった。その話の通りにトランクスが休むのだから、これもまたその人物を特定するということになってしまった。それで、こんな噂として流れたものがトランクスのことであると纏められたのだ。
「こんなの間違ってるよ」
これが正しいはずがない。こんなことが正しいなど間違っている。真実も知らないのに間違った噂を信じてその人の見方を変える。たった一つの噂が学校中に広がれば、ほぼ全員の生徒がそういった目で見ることになるだろう。そんなことはあってはならないことだと悟天は思う。間違った噂だけでその人のことを決め付けるのはおかしいことだと。
けれど、いくらそれが間違っているとしても噂を信じる人はいる。この場合においては、トランクスが休んでいるのだから尚更だろう。そうでないかもしれないと思っても何らかの理由があって休んでいることに変わりはない。ここまでくると信じる人も多くなってしまうのも無理はない。世の中はそういうものなのだ。
「そんなこと言っても変わらないんだ。気にする必要もない」
「でも…………」
でも、そのせいで学校の生徒に違った目で見られるようになるのはトランクスだ。悟天は、トランクスがそんな風に見られたくないのだ。今までと同じようにというわけにはいかなくなる。それが嫌で、みんなに本当のことを知ってもらい分かって欲しいと思ってしまう。それが難しいことであり、不可能なことに近いということは分かっているけれど。
悲しそうな顔をしている悟天を見て、トランクスは優しく声をかける。そんな表情は見たくないから。そんな顔をして欲しくないから。
「お前が悩むことじゃないさ。オレは大丈夫だから」
「でも、そんなこと言われても……」
やはり不安は残ってしまう。悩むなと言われてもそう考えてしまうのだ。
そんな悟天をトランクスは柔らかく包み込む。ここに着た時の様に。優しく、そんな思いを消し去るように。
「オレは大丈夫だ。それに、そう思ってくれるお前が居れば十分だ。お前が居てくれれば、大丈夫だから」
すぐそばで感じる体温。聞こえてくる鼓動。こんなにも安心させてくれる声、言葉。
トランクスの思いが体中に伝わってくる。その思いに、悟天もやっと「うん」と頷いた。他の誰が何と言おうとトランクスは大丈夫だと。自分は絶対にトランクスのそばに、これからもずっと一緒に居ると。そう心の中で誓った。悟天が居れば十分だと言ってくれたトランクスを裏切らないためにも。大切な友達と一緒に居たいという悟天自身の気持ちも、一緒に心の中にしまっておく。
たとえどんなことがあったとしても大丈夫。どんなに辛いことがあっても、どんなに苦しいことがあっても。君がいてくれれば、君さえいれば、他に何もいらない。どんな時も君が一緒なら乗り越えられる。
だから、これからもずっと一緒に……。
fin