まさかこんなことになるとは思わなかった。予想が出来るとか出来ないとかそういうレベルの話ではない。
いや、可能性としてないと言い切れることではない。もしかしたら起こり得ることだ。起こり得ることだけれど、それが現実になってしまった上にこんなことになるなんて。予想外の出来事にただ驚くことしか出来なかった。
ブルマが作ったタイムマシン。その不具合が起こした出来事。
それは信じられないことだった。
過去と現在とこの先の未来
この地に着いてからどれくらい経っただろうか。おそらくまだそれほどの時間は経っていないだろう。はっきりしないのは、こんな場所に来てしまったことに驚きすぎて動けずにいたから。
これもタイムマシンの不具合が起こした偶然だとは分かっている。それでもこんな世界に来ることになるなんて思いもしなかった。
今回、トランクスがタイムマシンで行くつもりだったのは以前行ったことのある過去の世界だ。こっちの世界でも人造人間を倒すことが出来たことを報告する為に。タイムマシンのエネルギー補給に時間が掛かってしまったが漸く行ける状態になり、報告に行こうとしていた矢先に起こった出来事。
お世話になったのだから報告に行くのも礼儀というものだが、タイムマシンの不具合によって目的の世界とは別の次元に来てしまった。ここはあの過去の世界ではないけれど、眼前に広がる景色はどこか見たことのあるものだった。
「嘘だろ…………」
ついそんな言葉を漏らしてしまう。タイムマシンの調整はしてきたのだが、何かの影響か不具合が生じてしまった。
この際それは仕方がないとしよう。どんなに点検をしても不具合が起こってしまう可能性は否定出来ない。しかしその不具合のせいでやってきた世界を見て、トランクスは信じがたいけれど真実であろうという光景に直面していた。
簡単にいえば、タイムマシンとは次元を飛び越えることの出来る機械だ。自分のいた場所とは別の時間軸に飛ぶのだから、それがどんなに信じられないような場所であっても目の前の景色は紛れもない本物。タイムマシンで行き来できるのはあくまで実際に存在している場所であって架空の世界に飛ぶことはまず有り得ないのだから。
それを理解しているからこそ驚きが大きいのかもしれない。これが嘘の世界ではなく、これも一つの次元として存在している場所だと知っているからこそ。
「この時代に、こんな過去に来ることになるなんて…………」
今、トランクスが立っているこの世界。それはトランクス自身の世界よりも過去。そして、目的としていた過去の世界とはまた違う過去の世界。この過去の世界というのは、あの時代で悟空に渡した薬を渡せなかった次元だ。
そう、トランクスが辿ってきた過去の世界。まさにその世界が目の前に広がっている。景色に見覚えがあるのも当然だ。おそらく、というより絶対そうだといえる。それくらいの確信を持っている。ここは間違いなく自分のよく知る過去なのだと。
「……さっさとタイムマシンを調べて行こう」
この時代があの頃のものだからといって、いつまでも驚いたまま何もしないわけにはいかない。まずはタイムマシンのことを調べ、それから本来の目的地に向かわなければいけない。こんなところでただ突っ立っていては状況は何も変わらないのだ。
そう思うとトランクスは手慣れた手つきでタイムマシンを調べ始める。どこが不具合を起こしたのかを調べる作業はあまり時間が掛からなかった。どうやら新しい部品等を用意する必要はなさそうでとりあえず一安心する。
次はそれらを一つずつ直していく作業だ。こちらも大掛かりなものはなく割と短い時間で修理を終わらせた。念の為に再度確認をしたからもう大丈夫だろう。
タイムマシンの修理は終わった。これでいつでも出発することが出来る。だが、トランクスはすぐにタイムマシンに乗ることが出来なかった。
「過去の世界なんだから当たり前だよな」
ここは現在ではない、過去なのだ。だから当たり前。でも、トランクスの世界では当たり前ではなくなってしまった。不意にそれを感じてしまい、早くこの世界を出なければという気持ちがありながらもそれが出来なくなってしまったのだ。
当たり前だったもの――――亡き師匠の気。
ずっと傍にあった。ずっと傍にあると思っていた。今はもう絶対に感じることのないその気をこの身でしっかりと肌で感じた。だからすぐにこの世界を離れるつもりでいたのに出来なくなってしまったのだ。懐かしい、大切なこの気をもう少しだけ感じていたいと思ってしまったから。もう二度と感じることの出来ないものだと思っていたから。
「あの世界とも違う、オレのよく知ってる気だ」
あの世界、というのは目的の場所である過去の世界のことだ。あの世界で会った悟飯はまだ小さくて、トランクスの師である悟飯と同じ気を持っていたけれどなんだか少し違うように感じた。けれど、今感じているこの気は自分の記憶にあるのと全く同じ。これこそトランクスの知っている悟飯の気である。
そんな気を感じながらもやはりそろそろここを出なければいけないと思う。あまり長い時間、関係のない他の次元の世界に干渉するのはよくないことだ。もう少し居たいという気持ちを抑え、トランクスはこの場を離れる決心をする。
そう決めて動き出そうとした時だった。
ふと、見知った気がすぐ後ろに現れたのは。
「キミ、トランクスだよね?」
後ろに現れた人物――悟飯にトランクスは驚きを隠せない。先程まで感じていたのはこの人の気だった。本当なら会うことなど二度と叶わないはずの人。
悟飯が生きていた頃の世界に来て、その気を感じることが出来ただけでもトランクスにとっては十分嬉しいことだった。それなのにまさか本人に直接会うことになるなんて考えもしなかった。元々無理だろうと分かっていたことであり、この世界に影響が出てしまうかもしれないから出来ないことだと思っていたのに。
「悟飯、さん……!?」
もう、あの世界の悟飯と会うことはあっても自分の知っている悟飯には会うことは出来ないと思っていた。それがタイムマシンの不具合という予想外の出来事からこんなことになるなんて。
悟飯にまた会えたことは純粋に嬉しいと思う。だが、それ以上に驚きと戸惑いが胸の内を占める。
「オレの知ってるトランクスとは違うみたいだけど、そうだよな?」
「えっと……それは…………」
ここで「オレは未来の世界から来たトランクスです」なんて言えるわけがない。言って良いわけがない。自分の正体を明かすことが出来ないからこそ、どう言うべきか返答に詰まってしまう。
そんなトランクスを見た悟飯はゆっくりとタイムマシンに向かって歩いた。丁度その前まで辿り着くとくるりとトランクスを振り返り、それから「別の次元から来たんだろ」などという言葉が出てきたのには「え」と声が漏れた。別の次元という言葉が悟飯の口から出てくるとは思わなかったのだ。普通ならこの場でどうやってもそんな言葉は出てこない。常識的に考えて現実には有り得ないことだ。
だが、そういえば悟飯は初めからトランクスのことを分かっている風でもあった。自分の知っているトランクスとは違うけれどそうだろう、なんてどうして言えたのか。その答えは次の悟飯の言葉で明らかになった。
「ブルマさんがタイムマシンを作ってるんだ。過去に行く為に。だからそれが完成している世界があって、その世界のキミがここに居たとしても不思議じゃない」
タイムマシン。様々な次元を行き来することの出来る機械。
それはトランクスの母であり科学者であるブルマが何年もの時間を掛けて必死で作り上げた物だ。地獄のようだった世界を救う為に作られた一つの希望。
ブルマがそれを作り始めたのはトランクスと悟飯が一緒に修行をするようになってからどれくらい経った頃のことだろうか。最初はタイムマシンというものの研究から始まったのだからかなりの年月を要したのは必然だった。
いつから研究を始めていたのかは覚えていないけれど、それだけ長い時間をかけて作られた物なのだからこの時代で既に作り始めていてもおかしくはない。となれば悟飯がそれを知っていても不思議ではないのかもしれない。それでトランクスのことも分かった、というのならもう話してしまっても良いだろう。ここまできてわざわざ隠す必要はなさそうだ。
「……悟飯さんの言う通りです。オレはこの世界よりも先の未来から来ました」
言えば「やっぱりそうだったか」と返ってきた。最初からなんとなく気付いていた悟飯はあまり驚いた様子ではない。むしろ納得したといった様子だ。
記憶にあるのと何も変わらない、トランクスの知っている悟飯が目の前にいる。優しくて温かい空気を持ったあの頃と同じ悟飯が。
「でも、どうして分かったんですか?」
「キミが別の次元から来たっていうのはタイムマシンの存在を知っていたからかな。それでキミがトランクスだって分かったのは、気がトランクスのものだったからだ」
同一人物であれば気だって同じだ。顔かたちが似ているからという以上に気は何よりも正確だ。この悟飯と過去の悟飯も気そのものは同じだった。今のトランクスとこの世界のトランクスの気が同じなのも当然で、それを感じた悟飯は彼が自分の弟子なのだとすぐに結びついた。
仮にタイムマシンというものを知らなかったとしても、トランクスと同じ気を持っている目の前の青年は誰なのかという疑問は生まれただろう。それを知っていたから確信を持つことが出来た。
悟飯はタイムマシンを離れ、トランクスの前で立ち止まるとその姿をしっかりと瞳に映した。自分の知っているトランクスよりも大きくなった弟子の姿。身長だけでなく目や顔つき、全てからその成長が感じさせられる。
「キミも随分と大きくなったね。オレの知ってるキミはまだ幼いからな」
「当然ですよ。悟飯さんの知ってるオレよりも何年も先の未来から来たんですから」
「それもそうだな」
あの頃からどれだけの時間が経ったのか。この時間の中でどれほどの出来事があっただろうか。沢山の困難があって、その困難を乗り越えて。やっとここまで来ることが出来た。
この時間は長かったのか短かったのか。おそらく長かったのではないだろうかと思う。振り返ってみれば過去の出来事の一言で片付いてしまうようで片付けられない。それほどまでに様々な出来事があり、そのどれもが大きな出来事ばかりだった。
あの頃から今日という日まで、実際の年数を置いても長かったと感じさせられる。特に、大切な人を失ってからの日々は――――。
「…………トランクス。キミは今、幸せか?」
急に、何を言うのだろうか。
どこか遠くに向かって尋ねているようで真っ直ぐトランクスに投げ掛けられている言葉。お互いの姿を映している瞳に答えも映し出しているのではないかと思う。勿論そんなことはないのだけれど、この瞳に心の奥底を見つめられているようだった。
今、自分は幸せなのだろうか。
悟飯のその問いの答えにトランクスは頭を悩ませる。
人造人間は過去の世界の仲間達の協力もあって倒すことは出来たし、町の再興だって進んでいる。やっと絶望の世界に平和を取り戻すことが出来たことのは嬉しい。
けれど、望んでいた世界になったというのに。トランクスは心のどこかで今でも悟飯のことを考えてしまっている自分がいることに気付いている。自分を生かす為に一人で行ってしまった師匠のことを一日でも忘れたことはない。この平和な世界を悟飯と一緒に取り戻したかった、という気持ちもトランクスの本心だ。
「未来の世界がどうなっているのかはオレには分からない。だからといって聞くつもりもない。それは、いけないことだと分かっているから」
未来のことが気にならないわけではない。この先、本当に人造人間を倒すことが出来るのか。平和を取り戻せるのか。トランクスの知っている未来も悟飯にとってはまだ知らない未来の話なのだから分かるはずがない。
しかし、それを聞こうとしないのはそれがご法度だと知っているから。どんなに未来が気になろうともここで誰も知ることのない未来を聞くわけにはいかないのだ。歴史を変えてしまうことにもなりかねない。この世界の為にも、そして悟飯自身の為にも。
知らない未来のことで言えることはない。でも、と悟飯は言葉を続ける。
未来を知らなくても、今ここで目の前の成長した弟子に言えることがないわけではない。伝えられることはあるから。
「でも、言えることはある。キミは自分の信じた道を進めばいいんだ。過去の重荷をいつまでも背負い込む必要はない。キミは今、この世界に生きているんだから」
その言葉に、気持ちが楽になったような気がした。
この先のことを知らないはずの悟飯がなぜそう言ったのか。まるでこれから起こることを分かっているかのようだが、それは絶対にない。
悟飯がこう話したのは、さっきの質問にトランクスが答えられなかったからだ。そこで何かがあったことを悟った。それが何かまでは分からないけれど、悟飯なりに大切な弟子に伝えられることを伝えたかった。今の自分に出来ることはそれくらいだから。
トランクスも悟飯が自分のことを思って言ってくれたのだと分かっている。悟飯はそういう人なのだ。その優しさに何度も救われた。
「キミはキミの世界で頑張れよ、トランクス!」
やっぱり、悟飯さんは優しい。オレの知ってる悟飯さんだ。
トランクスにとって悟飯という存在は大きい。何よりも、どんなことよりも。一番といっても過言ではないくらいに。
大切な人は他にもいるけれど、その中でも悟飯は特別なのだ。今はもう未来の己の世界にはいないけれど、いつでも。いつまでも。変わらずにトランクスの中で悟飯という存在は在り続けるのだろう。
「はい! 悟飯さんも頑張ってくださいね」
これからもまだ人造人間と戦い続ける悟飯に、過去は変わらないかもしれないけれど出来ることなら生きて欲しいと願いを込めて言う。会ってはいないこの世界の自分にも強くなって頑張れと、直接は言えないけれどそう伝えたい。
話を終えたところでそろそろ行かなければとトランクスはタイムマシンに乗る。元気でなと送り出してくれた師匠に笑顔で答えると操作を始めた。今度はもうこの世界を離れることに迷いも何もない。心置きなくこの地を離れることが出来る。この時代の悟飯からもらったものを大事に心にしまって出発した。
この地を離れる間際、最後にもう一度だけこの世界を見渡す。いつかきっと、この世界からも人造人間がいなくなるのだとトランクスは知っている。その時には、少しでも幸せが多い世界になって欲しいとこっそり願う。
まだ力がなかった。自分が弱いせいで大切な師匠を守ることが出来なかった。死なせてしまった過去。
ブルマの作ったタイムマシンで別の次元の過去に行き、悟空やべジータのもとで修行を積んだ。そして、やっとのことで人造人間を倒し、平和な世界を取り戻すことが出来た現在。
偶然やってきた過去で出会った師匠に言われた言葉。その言葉のお蔭でやっと前を見て歩けるような気がする。過去の出来事を重荷として背負うことはせず、ただ自分の信じた未来へ進めば良いのだと。
(ありがとう、悟飯さん)
取り戻した平和がこれからもずっと、まだ見ぬ未来まで続くように。
新しい未来への道を漸く一歩踏み出した。
fin