人造人間の出現と共に絶望へと変わった世界。その絶望に終止符が打たれ、やっとのことで平和を取り戻した世界にやってきた新たな脅威――魔導師バビディとダーブラ。彼等を倒す為に過去の戦士達が、あの世の戦士達が力を貸してくれた。多くの人達の協力によって、再びこの世界にも平和が訪れた。
 バビディによって復活した魔人ブウに破壊された世界もドラゴンボールの力で元に戻り、今度こそ未来は平和になったのだろう。またいつどんな敵が現れるかは分からないけれど、それでも今ここには確かに平和な世界が広がっていた。


「トランクス、今……」 


 ちょっといいか、と声を掛けようとして止める。
 ここはカプセルコーポレーション。この世界では有名な大企業でトランクスの家でもある。悟飯がここに居るのはそのトランクスを訪ねてきたからだったのだが、部屋に入ったところで見つけた弟子は瞳を閉じて一定の呼吸を繰り返していた。


「寝ていたのか」


 起こさないように小さく呟いて、悟飯は静かにトランクスの傍に近付いた。テーブルの上には本が乗っている様子からして、読書をしている途中で眠くなって寝てしまったといったところだろうか。


(起きる気配はなさそうだな)


 寝ている人間を起こすつもりなど毛頭ないが、こうして無防備に眠っている姿を見ると自然と笑みが零れる。ほんの数年前まで、この世界では安心して暮らせるような場所など殆どないに等しかったのだ。いつどこから人造人間が襲ってくるか分からない。そんな恐怖の中で人々は暮らしていた。


(強くなったな……)


 悟飯やトランクスは、そんな絶望の未来を終わらせる為に日々戦っていた。休息も大事だと分かっていても休んでなんかいられない。人造人間が暴れる度に苦しみ、焦り、怒りなど様々な感情が沸いた。
 強くならなければ、人造人間を倒さなければ。そればかりを考えていた毎日は懐かしいといえるほど前のことではない。強くなる為に必死で修行して、何度も人造人間に戦いを挑んで……。そんな辛い日々を、この青年は一人で乗り越えたのだ。


(今この世界が平和なのは、トランクスのお蔭だな)


 悟空が病で倒れ、ピッコロやクリリン。ベジータ達も人造人間にやられた。
 たった一人、残された戦士である悟飯は人造人間と戦い続けた。そんな悟飯に修業を付けて欲しいと頼んできたのがトランクスだ。悟飯と同じくサイヤ人の血を引く彼は持ち前の戦闘センスで徐々に力をつけ、いつかは悟飯をも上回るような力を備えた戦士だった。

 その戦士に未来を託し、悟飯は奴等に敗れた。
 弟子をたった一人残してしまうことに思うところがなかったわけじゃない。けれど、この世界の未来を守る為にはそれしかなかった。自分と同じものを背負わせてしまうと分かっていても、そうするしかなかった。
 そして、トランクスは何年もの時間を掛けて人造人間を倒した。彼が最後まで折れずに戦ってくれたから、未来は救われた。彼は悟飯やみんなの期待に応えてくれた。


「…………すまなかったな」


 ぽつり。いつかの出来事の謝罪を零す。
 別に聞いて欲しいわけじゃない。だから寝ている今、聞こえないようにこっそり謝った。今更謝るようなことではないし、トランクスだって謝って欲しいなんて思っていないだろう。これはただの自己満足だ。


「もうオレなんかより立派な戦士だな」


 こうして眠っているところを見ても昔のような幼さはない。あれから十年近くが経っているのだから当然といえば当然だ。あの頃は自分よりずっと小さい子供だったけれど、今では年齢も目線の高さも変わらない。つい昔のように接してしまってもう子供ではないと言われたのは記憶に新しい。


(けど、オレにとっては今も昔もトランクスはトランクスなんだよな)


 子供扱いというわけではない。今や立派な大人であることも分かっている。それでもトランクスが悟飯の弟子であることに変わりはないし、成長して年が変わらなくなっても悟飯にとってのトランクスは昔も今も変わらない。
 本人なのだからそれはそうだろうという話ではなく、弟子はいつまで経っても可愛い弟子のままとでもいえば良いだろうか。本人に言ったら怒られるかもしれないけれど、そういうものなのだ。


(……さてと、暫く適当に過ごさせてもらうか)


 改めて出直しても良いのだが、そこまでするほどの用事でもない。かといってこのまま待つほどの用事でもないのだが、こんな風に無防備に眠る弟子の姿を見たら帰るのは勿体ないと思ってしまった。
 ――なんてこともやはり本人には言えないが。人造人間を倒した後は街の復興の手伝いをし、この前の戦いを終えた後も何かと忙しそうに動いている彼だ。もっと彼自身も休むべきだとずっと思っていた。


「おやすみ、トランクス」


 今日はゆっくり休むと良い。そんな願いを込めた言葉を小さく口にして、机の上に置いてある本を借りての暫しの時を過ごすことにする。



□ □ □



 悟飯が訪ねてから二時間ぐらい経っただろうか。高い位置にあったお天道様も大分傾き、あと一時間かそこらで西の空へ沈みそうだ。
 すっかり本に夢中になってしまった悟飯だったが、すぐ傍で「んん……」と小さな声が聞こえて視線をそちらに移す。


「起きたのか、おはよう」

「おはよう、ございます……?」


 悟飯が挨拶をしたから挨拶は返したようだが、どうやらまだ頭は覚醒していないらしい。お邪魔してるよと続ければ、たっぷり数秒ほど要してから「え、悟飯さん!?」と大分遅れた反応を見せてくれた。


「ブルマさんには声を掛けてあるんだけど、寝ていたから起こすのは悪いと思って。あ、待ってる間に勝手に本も借りたよ」

「え、ああ、それは良いですけど……。悟飯さん、どれくらい待ってたんですか……?」


 恐る恐る聞かれて正しく答えるべきか迷ったけれど、わざわざ嘘を吐くほどのことでもないかと悟飯はそのままの時間を答えた。
 するとトランクスは「すみません!」と勢いよく頭を下げた。しかし、これは悟飯が好きで待っていただけのことだ。トランクスが謝ることは何もないと告げるが、それでも彼は申し訳なさそうな顔をする。


「あの、今度からは普通に起こして良いですから」

「そこまでの用事じゃないから気にしなくて良いよ。それに、寝ているトランクスを起こしたくなかったから待っていたんだ」


 言えば、今度はきょとんとした表情を見せた。どういう意味か理解しかねている様子の弟子に、悟飯は最近思っていたことを直接伝えることにした。


「たまには休息も大事って話さ。トランクスは働き過ぎだ」


 まだ復興の終わっていない街で復興の手伝いをし、ある時はブルマの研究の手伝い。それから忙しい母親に代わって買い出しをしたりすることもある。
 勿論それは良いのだが、あちこち手伝いをするばかりでトランクス自身が休んでいるところを殆ど見ないのだ。まあ夜はしっかり休んでいるのだろうが、もう少し休息を取っても良いだろう。


「そんなことはないと思いますけど……」

「トランクスはそう思ってても、傍からはそう見えないから言ってるんだ」

「でも、悟飯さんだって人のこと言えないと思いますよ」


 復興の手伝いをしているのはトランクスだけの話ではない。悟飯もまたトランクスと共に色んな場所で復興の手伝いをしている。加えて手の空いている時間は修業に充ており、その修業が昔ほどではないにしてもこの人はちゃんと休んでいるんだろうかと何度疑問に思ったことか。


「オレはちゃんと休んでるよ」

「それならオレだって休んでます」

「いや、トランクスの場合は誰がどう見ても……」

「だから、それは悟飯さんも同じです」


 母さんだって心配してるんですよ、と第三者の意見を持ち出す。このままお互いに自分の意見を言っていてもキリがないと思ったのだ。
 しかし、どうやらそれはあまり意味を成さなかったらしい。


「ブルマさんはトランクスのことを心配してたよ」


 手伝ってくれるのは有り難いけれど、あの子は休んでいるのかしらと零すのを悟飯は聞いたことがある。というより、今日悟飯がここにやって来た時に聞いたばかりだ。
 だが、トランクスの言うように悟飯の居ないところでは彼のことも心配しているというのも本当なのだろう。それを聞いた二人はどちらも次の言葉が出ず、暫しの沈黙が流れた。

 数秒後。その沈黙を先に破ったのは、悟飯だった。


「……まあ、これからは気を付けるように心掛けようか」


 お互いに、という意味合いの込められたそれにトランクスも素直に「はい」と頷く。周りの人や目の前の相手が自分を心配してくれていることは十分に伝わった。
 こうして話にひと段落がついたところで、トランクスは思い出したように口を開く。


「そういえば、悟飯さんは何か用事があったんじゃないんですか?」


 大したことではないと言っていたけれど、そもそも悟飯は用事があって訪ねて来たのだろう。その上で寝ているトランクスを起こさずに待っていたという話だった。
 けれど肝心の用件をまだ聞いていないとトランクスが尋ねれば、悟飯もそうだったというようにごそごそと何かを取り出した。


「これなんだけど、トランクスなら直せないかと思って」


 これ、と言って差し出されたのは壊れた時計。この程度のものなら普段からブルマの手伝いをしているトランクスにも直すのは容易いが、悟飯はこういったものをあまり持たないから純粋に疑問が生まれる。


「これくらいならオレにも直せますけど、どうしたんですか?」

「今日会ったお婆さんの物なんだ。亡くなったお爺さんからの贈り物で、壊れてからもずっと大事にしてきたんだってさ」


 こういった物は誰でも簡単に修理が出来るものではない。本当は直したくてもそれが出来ず、だけど大切な物だからと壊れてからも今まで大事に持っていたとそのお婆さんは言っていた。
 それを聞いた悟飯が、もしよろしければとこの時計を預かってきたのである。知り合いに機械に強い人が居るから直せるかもしれないと。


「……やっぱり、時計は動いていないと意味がないだろ?」


 たとえ壊れていたとしても、これはお婆さんにとって大切な品だ。けれど、時計というものは本来時間を知らせるものである。時計の中の時間は止まっていても、世界は動いているのだ。
 この時計だって、大切にされるばかりではなく自分の役割を果たしたいだろう。お婆さんも、大切な品だからこそ直せるのなら是非と言っていた。だからこうして預かってきたのだ。


「分かりました。じゃあ今直しますから、ちょっと待っていてください」


 おそらく、これもどこかの町で復興の手伝いをしていた時に聞いた話なのだろう。それでただ話を聞くだけに留まらず、その預かってくるというのが悟飯らしい。

 事情を概ね理解したトランクスは、別の部屋へ工具を取ってくると悟飯から時計を受け取った。悟飯はその隣で修理をする様子を眺めるが、専門的な知識のない悟飯には何をどうしているのかはさっぱり分からない。
 だが、トランクスはテキパキと手を動かすとあっという間に修理を終わらせた。


「はい、出来ましたよ」

「ありがとう。流石だな」

「これくらいお安い御用です」


 悟飯の手に戻ってきた時計はしっかりと時を刻んでいる。もともとトランクスなら直せると思って預かってきたものだが、小さいものとはいえこれだけの短時間で終わらせられるものなのかと感心してしまう。


「トランクスは機械を触ってる時も楽しそうだな」

「そうですか? まあ、昔から母さんの手伝いとかしてましたからね」


 機械を弄るのが好きなのは、やはり母であるブルマの影響だろう。まだまだブルマには到底及ばないけれど、一緒に作業をしていると勉強することも多い。
 とはいえ、機械のことはよく分からない悟飯からしてみればトランクスもかなり機械に強いと思う。ブルマほどではないにしても、立派な技術者の一人であることは間違いない。


「いずれはブルマさんの跡を継ぐのか?」

「そこまでは考えてないですけど……というか、オレを待たなくても母さんに頼めば良かったんじゃないですか?」


 そうすれば二時間も待たなくて良かったのに、というトランクスは正論だ。この程度の修理ならブルマだって片手間程度の時間で終わらせられるだろう。ブルマが居なかったのならまだしもここに来た時に会っているというし、その場で頼んで直してもらえばこの二時間は無駄にならなかったはずだ。
 以上のことから、どうしてわざわざと思われるのは仕方がない。だが、それでも悟飯がブルマに頼まなかったのは至極単純な理由だった。


「お婆さんからこの時計を預かる時、トランクスならすぐに直せると思ったんだ」


 悟飯の返答にトランクスは頭上にクエッションマークを浮かべた。それとブルマに頼まなかったことがどう関係あるのかと。
 そんな弟子の反応に悟飯は小さく笑みを浮かべて「だからトランクスに頼んだんだよ」と続けた。ブルマにもすぐに直せるんだろうけれど、悟飯があの時思い浮かべたのはトランクスだったから。


「実際、あっという間に直してくれたし、オレの考えも外れてなかっただろ?」


 たったそれだけ。深い理由なんて何もない。
 でも、だからこそ。悟飯はトランクスに頼むことにしたのだ。


「えっ、本当にそれだけの理由なんですか?」

「ああ。あとはトランクスに会いたかったからかな」


 そうしたら珍しいところも見られた、と口にしたらほんのりと頬を染めて「悟飯さん!」と強めの口調で呼ばれた。なかなか見られない姿を見て微笑ましく思っていたのは本当なのだが、目の前の弟子を見てそこは心の中だけに留めておいた。


「でも、安心したよ」


 代わりにそう言ったら、青い瞳がどういう意味かと言いたげに向けられた。声も昔より幾らか低くなり、背も伸びて大人になったけれど、その中に昔と変わらない反応を見つけるとなんだか嬉しくなる。


「なんてことないことなんだろうけど、普通に眠れるようになったんだと思ってさ」


 普通というのは、平和な世界で安心してという意味だ。あの頃だって普通に寝ていたといえばそうだが、それは体に必要だから休息を取るという意味の普通でしかなかった。こんな風に、日常のふとした瞬間に穏やかに眠るなんて出来る世の中ではなかった。
 だけど今は違う。たったそれだけのことだけれど、それが当たり前に出来る世界を取り戻すことが出来た。それがどれだけ幸せなことなのかを二人はよく知っている。


「ありがとう、トランクス」


 この世界が今、平和であるのは彼が何度躓きながらも立ち上がってくれたからだ。みんなが守ろうとした世界を守ってくれたから。
 面と言う機会はなかったけれど、トランクスが人造人間を倒したと知った時からずっと思っていた。続けて「よくやったな」と微笑むと、トランクスは戸惑うように視線を彷徨わせた。だが、意を決したようにその瞳は悟飯へと真っ直ぐ向かった。


「この平和はオレだけの力じゃありません。今までこの世界で戦ってくれたみんなや過去で出会った悟空さんや父さん。何より、悟飯さんが居てくれたからオレはここまで来れたんです」


 自分一人だけの力ではない。この世界が平和になるまでの間に沢山の戦士が戦い、敗れ。過去の戦士に協力してもらうことで力をつけ、やっとのことで奴等を倒すことの出来た。
 ここまで来られたのは沢山の人の協力があったから。そもそも、悟飯が居なければトランクスは戦う術すら知らなかった。悟飯が修業をつけ、戦闘のことを教えてくれた。いや、戦うことばかりではない。他にも多くのことをトランクスは師匠から教わった。


「だから、お礼を言うのはオレの方です。ありがとうございます、悟飯さん」


 まさか逆にお礼を言われるとは思わなかったのだろう。大きく目を開いた悟飯は困ったように若干目を逸らした。


「そう返されるとは思わなかったな……」

「悟飯さんが居なかったらオレは今ここに居ませんよ」

「それは流石に言い過ぎじゃないか?」


 そんなことはないですと笑うトランクスに悟飯も口元に笑みを浮かべる。なんてことのない、こんなやり取りが出来ることに幸せを感じる。


「悟飯さん、またオレに色々なことを教えてください」


 小さい頃は学者を目指していたという悟飯の知識は大したものだ。機械についてはトランクスの方が得意でも、それ以外のこととなれば悟飯の方が様々なことを知っている。
 昔も時間のある時には色々教わったけれど、これから先もまた色んなことを教えて欲しい。そんな弟子の頼みを悟飯は「ああ」と二つ返事で頷いた。


「オレに出来ることなら何でも言ってくれ」

「はい、よろしくお願いします」


 いつか取り戻そうとしていた平和が戻ってきた。新たな敵の出現や多くの出来事が重なり合った結果、長い間共に戦ってきた大切な人と共に再び歩める世界がやってきた。
 本当はずっと願っていた未来。その未来を漸く手に入れた。
 だからこれからは――いや、これからもずっと。目の前の大切な人と共に歩んで行きたいと、そう願うのだ。この先も続いていく未来を。










fin