特にこれといって用事があったわけではないけれど、近くに来たからというだけで立ち寄るのは割といつものこと。自分の家に帰るよりもここにいる方が多いというのも以前から変わらない。
だけど、時はいつだって流れているのだ。オレの中の時が止まろうと、世界の時は止まることなく一秒一秒を刻んでいた。あれから十年近くの時が流れ、幼かった弟子も今やオレと変わらない年齢になっている。なんだか不思議な感じがするけれど、大きくなった弟子を見ていると成長したなと思うのだ。
「すみません、お待たせしました」
作業を終えたらしい弟子は、手を止めるなりこちらに謝罪をしてきた。礼儀正しくて真面目な青年になったななんて思いながら、謝る弟子に好きで待ってただけだからと返す。
もともと、オレが訪ねて来た時にトランクスは一度今やっていた作業を中断してくれた。それを気にしないで続けてくれと言ったのはオレの方だ。何か用事があったわけでもないし、トランクスがこうして作業をしているのを見たかったというのもある。
「もういいのかい?」
「はい。頼まれていた分は終わったので」
人造人間によって破壊された世界も徐々に復興が進み、以前よりも規模は小さくなったとはいえどカプセルコーポレーションは今でも有名な大企業だ。昔からブルマさんを手伝っていたり機械に触ることが好きだったトランクスがカプセルコーポレーションで働くようになったのは自然な流れだったのだろう。それに加えて復興作業を手伝うこともある彼だが、今日は母に頼まれた仕事を手伝っていたようだ。機械に疎いオレでも手際よく作業をこなしているのは見て分かる。
「トランクスは凄いな」
「どうしたんですか、突然」
「オレには全然分からないから、見ていて純粋に凄いと思うんだよ」
何をどうやって、何をしているのかは分からない。けれど、真剣な表情で機械をいじっている姿は格好良いなとも思う。見た目からも年齢に伴って幼さが抜け、端正な顔つきとなった彼が会社では女性社員に人気があるという話を聞いた時は素直に納得してしまった。勿論、人気があるのは外見だけではないだろう。その性格も含めて人気であろうことは想像に容易い。
「褒めたって何も出ませんよ」
「本当のことを言っただけなんだけどな」
思ったままに口にすれば、はあと溜め息が一つ零された。そんなにおかしなことを言っただろうか。
そう考えている間にもトランクスは使い終えた工具を片付けたようで、移動しましょうかと話すトランクスに頷いて二人でラボを後にした。一度リビングに立ち寄って、それからトランクスの部屋まで移動する。昔から何度も来ているだけに見慣れた、けれど所々にある見慣れないものが月日を感じさせる。
「相変わらず忙しそうだな」
街の復興を手伝って、ブルマさんの仕事を手伝って。それらを上手いこと両立させながら生活するのはそう簡単なことではないだろう。
だけどトランクスはそれを当たり前のようにこなしている。今日はあれで仕事の方も終わりだというけれど、時には部屋で書類を纏めていることもあるほどだ。働き者というか、時々ちゃんと休んでいるのか心配になるくらいだ。
「そんなことないですよ。悟飯さんだって毎日色んなところに顔を出してるんでしょう?」
「オレはそれくらいしかやることがないからな」
「悟飯さんに助けられてる人も多いと思いますよ」
どうぞと渡されたコップをありがとうと受け取ってそのまま口に含む。トランクスの言うように多くの人を助けられているかは分からないけれど、多くの人の助けになれば良いと思って行動しているからそうだったら良いなとは思う。
だが、オレに出来るのは本当にそれくらいだ。昔はそれこそ毎日のように勉強をしていたけれど、人造人間が現れてからはひたすら修業を続けてきた。そんなオレに出来ることといえば、各所に顔を出して復興の手伝いをするぐらいだ。
「でも、ここも大分活気が戻って来たな」
「そうですね。これも悟飯さんや大勢の人達のお蔭です」
「いや。今の平和はトランクス、キミのお蔭だよ」
トランクスが最後まで諦めずに戦い続けてくれたからこそ、平和な世界を取り戻すことが出来た。それは紛れもない事実だというのに彼は否定する。自分一人では無理だったと。
確かにここまでくるのに大勢の仲間が戦って、色んな人の助けを借りたのかもしれない。けれど、それでも今この世界が明るい光に満ちているのは彼のお蔭だ。誰が人造人間を倒したのか知らない人達もみんな、奴等を倒したこの青年に感謝している。オレも、トランクスのような弟子を持てたことを誇りに思う。
「みんなキミに感謝してる。本当、立派になったな」
つい癖で頭を撫でてしまったら、ほんのりと頬を染めながらももう子供じゃないんだから止めてくださいと言われてしまった。言われてみればその通りだ。
あんなに小さかった弟子も今やオレと変わらない年になっていて、大人になってからこんなことをされたら恥ずかしがるのも無理はない。しかし。
「すまない。けど、オレにとってトランクスはいつまでも可愛い弟子だからな」
「可愛いなんて言われるような年でもないですよ。もうとっくにお酒も飲める年なんですから」
昔はブルマさんがお酒を出してきても付き合うのはオレでトランクスは飲めなかったのに、今は三人でお酒を飲むことも出来る。当たり前のことがなんだか不思議に感じてしまうのは、やっぱりオレが死んでから生き返るまでの時間のせいだろう。決して埋まることのない九年の歳月はいつのまにか埋まっていた。
「そうだったな。だけどトランクスも変わらないだろ? 今じゃオレと年も変わらないのに昔のままだ」
オレが生きていたなら三十を越えていても、今ここにいるオレは死んでいたが故に二十三のまま。肉体年齢は死んだ時から変わらないし、あの世ではそれだけの時間を過ごしていたはずだけれど、感覚的にはあの頃のまま変わっていない。
とはいえ、時間は確実に流れていた。それは目の前の弟子を見れば一目瞭然だ。昔の九歳差なんて今はなくなってしまった。だけど彼は昔と変わらずにオレと接している。それはオレと同じことではないのだろうか。
「そうはいっても、悟飯さんは本当はオレより年上でしょう」
「けど、今は違うだろ?」
「それでも悟飯さんがオレの師匠であることに変わりはありません」
トランクスの言うことは尤もだ。それに対して「師匠だから?」と聞き返してみれば肯定で返ってくる。でもそれは、やはり少し前にオレが言ったのと同じことだ。
「ならトランクスが弟子だからっていうのも同じじゃないか?」
言えば向こうも気付いたようで、だけど二十歳を過ぎてるんだから子供扱いは止めてくださいと繰り返された。まあこれは仕方がないだろう。いくら弟子であることに変わりがなくともトランクスだって今は立派な大人だ――なんて言い方は子供扱いにも聞こえるかもしれないが、そこは弟子はいつまでも弟子のままなのだから見逃して欲しい。
そう、たとえオレ達の間にあったはずの時間が埋まろうと変わらないものはある。オレ達が師弟関係であることはこの先もずっと変わらない。けど、これだけの時間が流れれば変わることもある。
「なあ、トランクス」
呼ぶと青の双眸がこちらを見る。目線の高さも昔ほど差はなくなった。あの頃のトランクスはまだ十四歳で成長期だったのだから当たり前だ。それでもまだ身長はオレの方が高いけれど、そう変わらないくらいには大きくなった。だから。
「キス、してもいい?」
尋ねるとトランクスは一瞬で顔を赤く染めた。そういう反応を見ると可愛いなと思ってしまうのは、弟子だからではなく彼が好きだから。
それを自覚したのは大分前の話だ。そして、それが実ったのは結構最近の話だったりする。オレがこうして生き返り、魔人ブウとの戦いも終えて世界に再び平和が訪れた後。お互い好きになったのは何年も前だったけれど、相手の気持ちに気付いたのは数ヶ月前。ちょっとしたハプニングがあって、その時の反応でお互い察してしまった。
「……わざわざ聞くことじゃないと思うんですが」
「そういうものかな?」
その返事は了承だと受け取って、ゆっくりと瞳を閉じるとそのまま唇を寄せた。そっと離れて瞼を持ち上げれば、同じようにこちらを見た青とかちり合う。
「心配しなくても、嫌だなんて思いませんよ」
ほんのりと頬は染まったまま、はっきりと言い当てたその色に苦笑いを浮かべる。どうやら彼にはこちらの考えていることも分かっていたらしい。
別に嫌だと言われると思ったわけではないけれど、勝手にやってもし嫌だったりしたらと思ったのは確かだ。キスなんてあの時に一度したきりだったし、そういう意味で誰かを好きになったのも初めて。それはトランクスにしても同じだろうけど、もしかしたら彼の方が大人なのかもしれない。
「トランクスに隠し事は出来ないな」
「悟飯さんが分かりやすいんですよ」
そんなことはないと思うけどと言ったら「そうですか?」と弟子は小さく笑う。自分ではそう思うけれど、どうやら彼の方はそう思ってはくれないらしい。
「でも、良いんじゃないですか? 悟飯さんのそういうところも好きですよ」
「言うようになったな」
「先に言ったのは悟飯さんですけどね」
それに「え?」と聞き返したら「何でもありません」と返された。どういうことかと考えて、今更ながら数十分ほど前のトランクスの溜め息の理由が結びついた。あれはもしかして、と思ったけれどここは彼と同じくそのまま流しておくことにした。
その代わり、今思いついたことを口にしてみることにする。
「そうだ、今度どこかに出掛けないか?」
トランクスが忙しいのは知っているけれど、たまには休息だって大事だろう。それに、たまにはそういうのも良いんじゃないかと思う。復興も進んで、平和な世界になったのだから。ゆっくりと二人で出掛けるのも悪くないと思うんだ。
そう提案すると、トランクスは口元に笑みを浮かべた。
「悟飯さんと出掛けるのは久し振りですね」
「オレはいつでも大丈夫だから、そっちに合わせるよ」
「それなら明日にでも行きますか?」
仕事もあるだろうからと言ったことにまさか次の日を挙げられるとは思わずに少々驚く。思わず「良いのか?」と聞き返してしまったが、トランクスは笑って「当たり前じゃないですか」と答える。
「そういえば、この前新しく水族館がオープンしたってニュースでやってましたよ」
「水族館か。せっかくだし、行ってみるかい?」
尋ねれば「はい」と短い返事くる。水族館なんて行ったことがないなと言うと、オレも初めてですと同意が返ってくる。それから楽しみだなと笑い合う。
明日は水族館に行って、それからどうやって過ごそうか。丸一日一緒に過ごすのなんてどれくらい振りだろう。きっと楽しい一日になるだろうなと思いながら、二人で明日の予定を考えるのだった。
変わるモノ、変わらないモノ
(大人になった今だから、気持ちを伝えた今がある)