放課後、学校を出たところで悟天に会って一緒に帰ることも、そのまま家に寄ってもいいかと聞かれるのもよくあることだ。故に特に用事もなかったトランクスは二つ返事で了承した。
 家に着くと二人でトランクスの部屋に向かい、鞄などを一通り片づけたところで悟天は徐に口を開いた。


「今日はトランクスくんに聞きたいことがあるんだけど」

「何だよ、改まって」


 頼みたいことや相談があると切り出されることは多いけれど、聞きたいことがあると言われるのは久しぶりかもしれない。昔は一つ年上のトランクスに悟天は色んなことを尋ねてきたが、年齢を重ねるにつれてそれは徐々に減ってきた。
 その代わりに頼みごとや相談が増えたわけだが、今更自分に何を聞きたいのか。勉強なら頼みごとだろうから他のことなのだろう。悟天よりトランクスの方が詳しいことといえば機械などが思い浮かぶがそんなことを聞きたいとは思えない。

 それなら何が聞きたいんだというところに戻ってしまうが、次に悟天から出てきたのは予想の斜め上すぎる発言だった。


「トランクスくんってキスしたことある?」

「は?」


 この幼馴染みが唐突なのは今に始まったことではない。しかし、それにしたってまた何で急にそんな話になったのか。
 思わず聞き返してしまったトランクスに悟天はもう一度繰り返した。


「だからキスだよ、キス。ほら、トランクスくんってモテるじゃん?」

「……その二つはイコールで結ばれるものじゃないだろ」


 頭が痛くなりそうな話だなと思いながらトランクスは答える。
 モテるのなら必ずしも誰かとお付き合いしているということもないし、キスをしたことがあるかどうかも完全に別の話だ。カップルだってキスをしたことがあるかはその人たちによるだろう。もはやどこから突っ込めばいいんだといいたくなる話である。


「えーっと、それじゃあトランクスくんもしたことないの?」


 こういう言い方をされてああそうだと答えるのも複雑だが、そもそもお付き合いをしたこともない自分にそれを聞くのかと言いたい。そのことは幼馴染みである悟天だって知っていることだし、何なら「試しに誰かと付き合ってみたら?」なんて余計なことまで言ってくるくせに今更なんだというのか。
 ――そこまで考えたところで、ああこれは結局いつものやつかと思い至る。この手の話題になる時は十中八九、女の子絡みだ。


「オレも、ってことはお前もしたことないんだろ。いつも言ってるけど聞く相手が間違ってるんだよ」


 そうと分かれば真面目に話を聞いてやることもない。なぜ広いと思われる悟天自身の交友関係を駆使して適切な人材を探そうとしないのかと思うが、何かあれば真っ先に幼馴染みである自分を頼ってくれることが嬉しくないわけでもない。
 本当、何でコイツなんだろうと思いながらトランクスは一つ溜め息を吐く。何で、なんて理由はトランクスが一番分かっている。惚れた方が負けとはよくいったものだと思う。


「そうは言うけど、トランクスくんなら何でも聞いてくれるし大体のことは知ってるじゃん」

「何でもは聞かないしオレより悟飯さんの方が知っていることは多いと思うけど」

「兄ちゃんには聞けないことだってあるの」


 まあそれは分からないこともない。親や兄弟に聞けなくても友達になら話せることもあるだろう。そしてトランクスの幼馴染みというポジションは悟天にとって家族ほど近すぎず友達よりも近い程よい相手というわけだ。
 だからといってこのような話をされても困るのだが。


「つーか、オレが知っていたとしたらお前は何を聞きたかったんだよ」

「そりゃあどんな感じなのかとかどのタイミングでするのかとか、色々と聞きたいことはあるよ」


 それは人に聞くことなのか、という疑問が浮かんだがこの手の知識を得る方法は限られているのかもしれない。それこそ男兄弟は聞きやすい相手のような気がするけれど、悟天にとっては男友達の方がハードルが低いのだろう。
 もっとも、相談相手が間違っているという事実に変わりはない。適当に流して終わりにしようとしたところでふと、思った。分からないことがあった時、それを知る手っ取り早い手段がひとつある。


「そんなに気になるなら試してみるか?」


 百聞は一見にしかず、という言葉もある。そこまで気になるというのなら試してみるのが一番だ。


「試すって……?」

「そのままの意味。やってみれば分かるだろ」


 ぱちぱちと目を瞬かせた悟天に答える。だが悟天はまだいまいち言葉の意味が飲み込めなかったらしい。


「えっ、誰が?」

「お前以外の誰がいるんだよ」

「……誰と?」

「誰でもいいけど今知りたいならオレとだろ」


 というか他にこんなこと試せるような相手がいるのかよと思ったが、悟天の言葉に深い意味はないだろう。おそらく単純に疑問を口にしただけの話だ。
 今すぐにできる解決策として提案したけれどトランクスとしてはどちらでも構わない。普通に考えればただ知りたいからという理由で同性の幼馴染み相手にするようなことではない。いや、相手が異性だろうとそこは同じだろう。悩むことはないと思うが。


「どうする?」


 悩むだけの何かしらはあるのだろうか。いくら悟天でも女の子とのキスのためだけにここまで悩むことはないだろう、というのは勝手な想像だろうか。でも。
 ぱちっと視線が交わる。
 幼馴染みだからって何でも分かるわけではない。それでもなんとなく分かることもある。押せば、流されるだろう。押すべきか、迷ったけれどこの手の話に付き合うのもそろそろ終わりにしてもいいだろう。

 すっ、と手を伸ばす。

 これが冗談か本気かくらいは悟天も分かっているだろう。そのまま徐に距離を縮めると漆黒の瞳が瞼の裏に消えた。
 否定されないことが答えだ。そう結論づけてトランクスも目を閉じる。間もなくして互いの距離をゼロになった。


「…………」


 時間にしたらほんの一瞬。だけどその瞬間、確かに熱が混ざった。
 ゆっくりと瞼を持ち上げると再び視線が交わる。そこに嫌悪感は見られない。熱を感じるのは先程のキスのせいだろう。


「……で、分かったのか?」


 悟天が何も言わないからこちらから尋ねる。幼馴染みがキスの何を知りたかったのかは知らないが、求めていた答えを得ることはできたのか。


「あー……うん、多分?」

「多分ってなんだよ」

「いや、だって急だったし……」

「お前が言い出したことだし、する前に聞いただろ」


 返事は聞かなかったけど、と心の中で呟きつつ。話すトランクスに「そうだけど」と悟天は続ける。


「でもほら、落ち着いて考える時間がなかったっていうか」

「……何を考えるんだよ」

「色々あるよ!」


 キスをしながら考えることなんてあるのだろうか。一般的なキスをするシチュエーションを想定するなら考えるのは相手のことだろう。そもそも他のことを考えながらキスなんてしないのではないだろうか。
 しかし、悟天の言う考えたいことはそれとは違うだろう。思いつくのは先程本人が言っていたタイミングとかの話か。そんなものはその場の雰囲気でどうにでもなるような気はするが。


「もうぶっつけ本番でいいんじゃねぇの」


 はあ、と溜め息を吐いて適当なアドバイスをする。キスのひとつで何かが変わればいいと思ったが、どうやらそう簡単に自分たちの関係は変わらないらしい。
 けれどそれに関しては今更だ。これ以上は付き合いきれないなと話を終わらそうとしたのだが。


「……トランクスくんが言い出したんだから最後まで付き合ってよ」


 突然、悟天がそんなことを言い出した。


「は? 言い出したのはお前だろ」


 付き合わされたのはこっちだと、言いたかったのだが。ほんのりと赤く染まった顔でこちらを見る悟天にドキッと心臓が音を立てた。


「よく分からなかったからもう一回、付き合ってよ」


 何を言っているんだ、というのが正直な気持ちだ。ただキスについて知りたいという風には聞こえないのだが、それは都合のいい解釈だろうか。
 悟天が突拍子もないことはいつものことだし深い意味はないのかもしれない。瞳に微かな熱が宿っているのはさっきのキスのせいでそれ以上でも以下でもない、と片づけられないのは幼馴染みとしてお互いを知っているからだ。


「……お前、何言ってんのか分かってるか?」

「やってみれば分かるって言ったのはトランクスくんでしょ」


 真っ直ぐな瞳がトランクスを映す。その目が言いたいことも何となく分かる。
 少しだけ考えた後に再び手を伸ばす。程なくして重なる唇。同時に二つの体温が混ざって溶けた。その熱が離れたところでトランクスは悟天を見つめた。


「今度は分かったのかよ」


 もう一度してみれば分かるかもしれない、なんて。知りたいのはキスのことだったはずだが、いつの間にか目的が変わっている。
 幼馴染み以上の気持ちを抱くようになってからどれくらいの年月が経ったのか。この幼馴染み相手に人の気も知らないでと何度思っただろう。幼馴染みという関係も気に入っていたからその先を望んだわけではないが、その目がこちらに向けばいいと思ったことがないわけじゃない。

 たっぷりと時間をかけて漆黒の双眸はトランクスを捉えた。
 それはもう、答えだった。


「……分からなかった、って言ったらまた教えてくれる?」


 ふっと柔らかな笑みを浮かべて話す幼馴染みに思わず溜め息を吐く。本当、惚れた方が負けとはよく言ったものだ。


「いいぜ。毎日でも教えてやるよ」

「毎日って、トランクスくんがっつきすぎじゃない?」

「一度で覚えてくれるならオレも苦労しないんだけどな」


 テスト前に泣きついてくるなよ、と言えば「それとこれとは話が違うよ!」と悟天は焦った声で言う。そんな幼馴染みの様子につい笑みを零す。
 惚れた方が負けとはいうけれど負けてばかりは性に合わない。もっともこの幼馴染み相手に負けることはあまりないのだが、負けたくないのは年上だからというだけではない。


「とりあえずこの話は終わりでいいだろ」


 校門の前で顔を合わせた時にはこんな展開になるとは思わなかったけれど、これから先のことはひとつずつ考えていけばいい。それはこれまでと変わらない。
 昔から隣にはいつだってこの幼馴染みがいた。幼馴染みという関係は変わることはないが、成長とともに変わっていくことも多い。自分たちの関係も全部が昔のままではない。それでも。


「なあ、今度はお前がオレに付き合えよ」

「別にいいけど、珍しいね」

「たまにはお前に教わるのもいいかと思ってな」


 何を? と尋ねる悟天に「デート」と答える。普段は幼馴染みから聞くばかりの単語をトランクス自身が口にするのは確かに珍しいかもしれない。そして「デート!?」と繰り返した悟天がその単語にこんな反応をするのも珍しい。
 知ってるヤツに聞くのが一番だろと口の端を持ち上げれば、それに乗った悟天は大船に乗ったつもりでいてよと啖呵を切る。


「じゃあ次の日曜とかどうだ?」

「その日なら大丈夫だよ。とっておきのを考えてくるから任せてよ!」


 全く、どんなデートプランを用意してくるのか。それが何であっても失敗することはないだろうけれど、楽しみにしてると言えば悟天は嬉しそうに笑う。
 その笑顔に心があたたかくなる。おそらくは目の前の幼馴染みも同じ気持ちを共有しているのだろう。そのことがまた嬉しいと感じる。

 でも、これはまだ始まったばかり。
 これからも多くのものを二人で共有していけたらいいと思う。そんな日々が続くことを密かに願う。







(想うままに伝えれば、きっと)
(その想いは通じる)