「あ、トランクスくん!」


 玄関を出たところで後ろから名前を呼ばれる。振り返らずとも分かるその相手は昔からの幼馴染だ。
 立ち止まって後ろを見れば案の定、悟天がこちらに駆けてくる途中だった。


「よう。お前も今帰りか?」

「うん、だから一緒に帰ろうよ」


 そう話しながらどちらともなく足を進める。
 本当は空を飛んだ方が早いのだが、流石にこんなに人の多い場所で武空術を使うわけにもいかない。今はこうやって他愛のない話をしながら帰るのが二人の日常になっていた。


「そういやそろそろテスト返ってきただろ。どうだったんだ?」


 トランクスが尋ねると悟天の表情は分かりやすく変化した。まだ答えは聞いていないとはいえ、その反応が既に答えのようなものだ。


「まさか補習じゃないよな?」

「補習はないよ! ……ギリギリだったけど」


 思わず最悪の可能性も考えたがどうやらそこは回避できていたらしい。たとえギリギリでも赤点がなかったのならよかったかと思ったところで隣から溜め息が零れた。


「でも、絶対お母さんに怒られるよ……」

「そりゃあお前が悪いだろ」

「ええ? ボクだって頑張ったんだよ?」


 頑張ったらそのような点数にはならないだろと思ったままに突っ込むとそんなことはないと否定される。しかし、ちゃんと勉強をしていればそれなりの点数は取れるはずだろう。少なくともトランクスは――いや、大多数の生徒にしてもそうだろう。そのためのテスト期間でありテスト勉強だ。
 もちろん一口にテスト勉強といっても勉強量は人それぞれ、どんなに多く時間を使ったろころで中身がなければ意味がない。悟天が効率の悪い勉強の仕方をしている可能性もあるが。


「そうは言うけど、どうせテスト勉強なんて大してしてないんだろ」


 幼馴染として、家族を除けば誰よりも一緒にいる相手のことをトランクスはよく知っている。先程のそんなことはないという一言はトランクスの言葉に対して言い返しただけに過ぎないだろう。
 そう予想してじとっと横を見ればうっと言葉に詰まった悟天はそれ以上言い返すことはしなかった。要するに図星だ。はあ、と今度はトランクスが溜め息を吐いた。


「授業も寝ててテスト勉強もしないんじゃむしろ納得の結果だと思うけど」

「だから、ボクなりには頑張ったんだってば!」


 その悟天なりに頑張った勉強がどの程度かは分からないが返ってきた結果が全てを物語っている。百歩譲ってこれが本当に頑張った結果だというのなら、それはそれでそういうことなのだろう。
 そんな幼馴染の主張に「へえ」と適当な相槌を打つと「真面目に聞いてよ」と言われるが、今更どうすることもできないのだから仕方がないだろう。何にしても中間テストは既に終わってしまったのだ。


「もう諦めろよ」

「うう……幼馴染なのに冷たい」

「幼馴染は関係ないだろ。自業自得だ」


 酷いと言う悟天に対して酷くないと返すトランクスは間違っていないはずだ。何せ今回の悟天のテスト結果にトランクスは一切関わっていないのだ。テスト期間中に遊びに連れ回したわけでもない。


「大体、そこまでヤバいなら何でテストの前に言わないんだよ」


 加えて幼馴染だからという理由でそこまで面倒を見てやる義理もない――が、テスト前にそういった話を持ち掛けられたのなら勉強を教えるくらいのことはした。どう考えても話すのが遅い。


「だって、トランクスくんも自分の勉強があるでしょ?」

「お前に教えながらでもできるし、そもそもお前ほど成績酷くないからな」


 人の心配より自分の心配をした方がいいんじゃないかと続ければ、また悟天は小声で唸る。
 迷惑を掛けたくないという気持ちは分からないでもないけれど、トランクスにしてみればその程度のことは迷惑というほどのことでもない。それこそ幼馴染である自分たちの間では今更なことだろう。


「つーか、オレじゃなくても悟飯さんに聞けばよかったんじゃねぇの」

「兄ちゃんは兄ちゃんで忙しそうだったし……」

「じゃあチチさんに聞くとか」

「…………お母さんに聞いたら怒られそう」


 だろうな、と思ったのはテストの結果が結果だったからだ。勉強を教えて欲しいと頼んだならチチだって教えてくれるだろうけれど、悟天のこの実力を知ったらどう思うのか。どのみち今回は結局怒られることになりそうだが。


「ねえ、トランクスくんはいつもどうやって勉強してるの?」


 不意に漆黒の瞳がトランクスを見つめる。どうやら流石にこの結果は不味いと悟天にも思うところがあるらしい。実際、今回は赤点にならなかっただけで今のままでは次のテストも怪しいものだ。
 けれど、どうと聞かれたところでトランクスは別段特別なことをしているわけでもない。普通に授業を受けて課題をこなし、テスト前は人並みに勉強している。つまりは普通のことをしているだけなのだが、普通の定義は人によって違う。


「どうって、普通だけど」

「ボクだって普通に勉強してるよ」


 案の定悟天にはそう返された。授業中に寝ている人間を普通とは言わないと切り返しても課題はきちんとやっていると主張される。その課題も度々忘れていることを他ならぬ悟天の口から聞いた覚えがあると指摘すれば、それでも一応やっているとのことだ。
 そんな悟天の話を聞いているとやはりテストの結果が全てだという結論に辿り着く。この幼馴染に言わせればやっている勉強も結果がこれでは不十分ということだ。というよりそれ以外に答えなんてない。


「その普通でダメならもっと勉強するしかないだろ」

「今でも頑張ってるんだけどな……」

「まあお前が赤点でもオレには関係ないけど」

「そんなこと言わないでよ!」


 もう他に頼れる人はいないんだからと悟天が慌てた顔で言う。はあ、と溜め息を吐くのも今日だけで何回目になるのか。そもそもどうしてここまで勉強を放ってしまったのか。
 ――いや、その答えは簡単だ。一学期はまだよかったが、高校に入学した悟天は勉強よりも遊んでばかり。高校生になったんだから彼女が欲しいといった話も何回聞いたことか。もちろん悪いとは言わないが思い返せば思い返すほど自業自得としか思えない現状に呆れるものの結局トランクスはこの幼馴染を放っておけなかった。


「なら期末の時は勉強を見てやってもいいけど」

「本当!?」

「けど、真面目にやれよ」


 たった一言で悟天の表情は満面の笑みに変わる。うんと頷く声も打って変わって明るい。


「ありがとう、トランクスくん!」

「あと、授業もちゃんと聞けよ。そこまでは面倒見ねえぞ」

「分かってるよ」


 この発言をどこまで信用していいのか、と思いつつもなんだかんだ付き合うことになるんだろうなとトランクスは心の中で呟く。幼馴染だからという理由だけでそこまで付き合ってくれるヤツは相当なお人好しだろうなと思いながら軽く片手を持ち上げる。


「それじゃあ今日は真っ直ぐ帰ってチチさんに大人しく怒られろよ」


 ひらりと手を振ると「あああそうだった」と悟天はがっくりと肩を落とした。ころころと表情が変わる様子が面白くてつい口元が綻ぶがまあ頑張れと一言くらい声は掛けておく。他人事だと思って、というのは実際に他人事だし自業自得なのだから当たり前だ。
 だけど一つ溜め息を吐いて顔を上げた悟天の顔にもう曇りはなかった。そしていつもと同じように片手を上げて変わらぬ挨拶を口にした。


「また明日ね、トランクスくん」

「おう」


 軽く走って地面を蹴った悟天の背中はあっという間に小さくなった。そうして瞬く間に悟天の姿は遠く空へと消えて行った。


「……本当、手のかかる幼馴染だな」


 ぽつりと呟いた声は夕焼けに溶ける。でもそんな幼馴染と一緒にいるのは今も昔も楽しいのだから仕方がない。
 今はあの頃と全く同じでもない、というのはまだひっそりと胸の内にしまったまま。橙色に染まった空の下をトランクスはゆっくりと歩き始めた。







いつしか青は赤へと移り行く