「トランクス君、オレと組手やってみるかい?」


 こちらの言葉に目の前の少年は理解が追い付いていない様子だった。
 それもそうだろう。いきなり現れた人間に突然組み手をやらないかと言われても反応に困る。ましてや、その相手が自分のことを知っているのだ。自分達は初対面の筈なのにどうして、とこの小さな戦士は思っていることだろう。そして、まだ小さな少年はその思ったことをそのまま口に出した。


「えっ!? 何でオレの名前知ってんの!?」


 その問いに小さく微笑むと、向こうは警戒をしているのか戦闘態勢を崩さない。といっても、こちらに敵意がないのは分かっているのか殺気のようなものは感じられない。


「そうだな……組手で君が勝ったら、その質問に答えようか」

「組手で?」


 わざわざ戦う必要なんてないのだが、それは単なる興味というやつだ。命を狙うつもりなんて専らないけれど、ちょっと手合わせをしてみたいと思った。
 だからこそ、組手だ。組手は修行の一環で行うもの。向こうはこちらを敵とも味方とも分からない相手に疑問を抱いてはいるが、敵意がないことから敵とは判断しなかったらしい。分かったと頷いた少年から気の高まりは感じられても、殺気はやはり感じられない。


「よし。それじゃあ始めようか」


 言えば、真っ直ぐに拳をぶつけられる。組手なのだから当然だ。それに対応するようにこちらも拳を受け止め、また隙を見つけては攻撃を繰り出す。
 平和な世界で暮らしているこの少年は、想像していた以上に力を持っているらしい。世界が変われば当然そこに暮らす人々も変わる。多くの人達に囲まれて育ったであろう少年は、父親から受け継いでいる力をぐんぐんと伸ばしているようだ。


(これが、この世界の…………)


 この少年は何を考え、どのような道に進もうとしているのか。その姿に重なるのは、自分の記憶の中にある少年とそっくりの弟子の姿。そっくり、という表現は些か間違いでもあるだろうが。

 暫し拳を交わし、決着がつくまでにそう時間は掛からなかった。


「君は強いんだな」


 この組手は勝敗を目的にしたものではない。組手に勝ったら、とは言ったが彼の実力を知りたかっただけに過ぎないのだ。それが分かった今、勝ち負けが決まるまで戦う必要はなくなった。だから組手にストップをかけた。
 けれど、それはあくまでもこちらの意見。青い瞳は戦闘態勢を解きながらも疑問の色を浮かべてこちらを見ている。


「お兄さんは……」

「オレはこことは別の世界の孫悟飯だ」


 こちらが名乗ると青が大きく開かれた。そして「悟飯、さん……?」と今し方名乗ったこちらの名を繰り返した。
 それに首を縦に振ってやれば、今度は“別の世界”という言葉が気になったらしい。それはどういうことなのかと尋ねられた。どういうことと言われても答えるのは難しいのだが、聞かれたのなら答えないわけにもいかないだろう。


「信じられないかもしれないけれど、この世界には幾つもの並行する世界があるんだ。オレはその中の一つからやってきた孫悟飯なんだ」


 世界とは、小さなことから幾つもの未来へと分岐していく。悟飯の世界は、この世界と十年以上も前に分岐した未来を辿った世界である。心臓病に父は倒れ、後に現れた人造人間に仲間達も次々と倒されていったその世界はまさに絶望のような世界だった。
 その世界を救ったのは目の前の少年と同じ人物、悟飯の世界のトランクスだ。そのトランクスが不治の病であったはずの心臓病の薬をこの世界に持ってきたことから未来は変わっていき、この世界は今平和な時を刻んでいる。


「それじゃあ、お兄さんも悟飯さん……なんですか?」

「ああ」


 確かに、言われてみれば悟飯さんと同じ気だとトランクスにも感じられた。雰囲気は違っているけれど、顔立ちもトランクスの知る悟飯とよく似ている。同一人物なのだから当然といえば当然だが、そうなると別の世界から来たという彼の言葉は真なのだろう。


「でも、悟飯さんはどうしてこの世界に?」

「それが、実はオレにもよく分からないんだ」


 気が付いたらこの世界に居た、それが悟飯が今ここに居る訳だ。死んだはずの自分がどうして並行世界であるこの世界に居るのか。それは悟飯自身も知りたいくらいだ。
 だが、この現象に何か悪い気配のようなものは感じられなかった。ここが自分の知る世界ではないと理解したのは、目の前の少年が全ての答えだ。この別の世界の幼い弟子を見つけたからこそ、ここが自分の世界とは別の未来なのだと知った。並行する世界の可能性については知識として頭の片隅にあったから然程不思議でもなく、受け入れられたという訳だ。


「だけど多分、これは一時的なものだろう」


 時間が来れば元に戻る。それが悟飯の見解だ。
 突然起こった現象の理由も分からないが、悪い気配もなければ特別な力のようなものも感じなかった。そうなると、理由は分からないにしても何らかの原因で一時的に起こった現象と考えるのが妥当だろう。だから気にすることはないと幼い頃の弟子にそっくりな少年に話す。


「それって、すぐに行っちゃうってこと?」

「すぐかどうかは分からないけれど、オレはこの世界の人間じゃないからな」

「それは、そうかもしれないですけど……」


 トランクスも悟飯の言おうとしていることは分かっているだろう。けれど、この言い方は。


「オレに何か言いたいことでもあるのか?」


 まるでもう少しここに居て欲しいとでもいうような言い方に悟飯が尋ねる。言いたいことというよりは話したいことだろうか。普通では有り得ない出会いに気になること、聞きたいことだってまだあるに違いない。


「言いたいことって訳じゃないですけど、もっと話したいこととか色々と」


 ある、と言いたかったんだろう。しかしその先が言えなかった理由は分かっている。


「どうやら時間みたいだな」


 淡い光が悟飯の体を包む。どうやってこの世界に来たのかは分からないが、来た時もこんな感じだったのだろうか。


「悟飯さん……!」

「大丈夫。元の世界に戻るだけだ」


 正確にはそれも違うのだろうが、心配させないためにもこう言った方が良いだろう。もう死んだはずの悟飯は元の世界で暮らして行くことはない。それでも元の世界には戻るのだろう。あの世界こそが、この悟飯の生きてきた世界なのだから。


「幸せに暮らすんだぞ、トランクス」


 二人の間にあった数歩分の距離を詰めて、そっと頭に手を乗せる。この平和な世界で、大切な家族や仲間達と一緒に幸せに暮らして行って欲しい。そして、幸せな未来を歩んで欲しい。
 それがこの世界の、平和な歴史を刻む世界に生きる弟子に願う唯一のこと。


「それじゃあ」


 手を離して背を向けた悟飯の名を呼ぶ声がする。声の主は勿論、この場には二人しかいないのだから決まっている。


「悟飯さん! また、会えますか……?」


 予想もしていなかった言葉に驚かされたのは悟飯の方だった。まさかそんな言葉が少年の口から出てくるとは。
 それがほぼ不可能であることは彼も分かっているのだろう。ちらりと後ろを振り返って見た彼の表情で分かったけれど、それでもそう言葉にした少年に悟飯は笑みを返した。そして、そのまま淡い光に包まれていった。




子と


オレの世界とは別の世界で暮らす弟子との出会い。
原因不明の突然起こった奇跡。それがもう一度起こることはほぼ有り得ないだろうけれど。

(また会えたら良いな)

そう思うことくらいは自由だろうか。
この平和な世界で暮らす弟子と。願わくば、成長した弟子とも。

いつの日か、また。