「クロウ!」


 ざわざわと賑やかな昼休みのことだった。呼ばれて振り返ると、そこにはやけに真剣な顔をした後輩が立っていた。
 誰かの手伝いでもしていたのか、初めから自分に用があって探していたのか。この後輩が二年の教室前の廊下にいる理由ならどちらも有りそうだなと思いながらクロウはくるっと体を反転させてリィンに向き直る。


「よう、どうした?」


 わざわざ呼び止めたのだから用事はあるのだろう。姿を見掛けたから声を掛けたにしたってこの質問に答えるのにそう時間は要さないはずだった。
 しかし、リィンは「その」と歯切れが悪そうに口を開きながら僅かに視線を逸らした。後輩の珍しい反応に「ん?」と内心で疑問を浮かべたところで漸く青紫の双眸がクロウを映す。


「放課後……少しでいいんだけど、時間はないか?」


 そしてリィンが尋ねたのはそんな小さなことだった。たったこれだけのことを聞くのに何を躊躇ったのか。訳があるとすれば、言わなかった内容の方に何かがあるのかもしれない。
 ――というよりもそれ以外に理由が思い浮かばない。どちらにしても何を今更と思わなくはないけれど、それについては一先ず置いておくとして話を進める。


「それくらい構わねぇが、別に今でも良いぜ?」

「いや、午後の授業もあるし……」


 少し、なら昼休みの時間もまだ十分にある。こちらがどこかへ行こうとしていたから後でと言ったのかもしれないとも考えたが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。
 しかし、ここですぐ終わることなんだろと言う必要もないだろう。どのみち放課後は特に予定もない。今も屋上にでも行こうかと思っただけなのだが、今でない方が良いというのならリィンに合わせるかとクロウは頷いた。


「分かった。そんじゃあ放課後……第三学生寮にでも行けば良いか?」


 何となく、二人だけで話したいというように聞こえて尋ねると、少々躊躇いながらもリィンは頷いた。つまり、今も周りを気にしていたように見えたのは気のせいではなかったというわけだ。


「すまない。急がなくていいから用事が済んだら来てもらえるか?」

「おうよ。お前も俺との約束があるからって急ぐことはねぇからな」


 ついでだし夕飯もそっちで済ませるかと言えば、漸くリィンは小さく笑った。
 また放課後と言って去る後輩の背中を見届けたところでクロウはふぅと息を吐く。そのまま暫し廊下を見つめていたクロウも程なくしてくるりと踵を返すと屋上へと向かった。












「それで、改まってどうしたよ」


 放課後。第三学生寮のエントランスで顔を合わせた二人は、リィンの部屋に移動して向かい合うように座っていた。そして早速話題を切り出したクロウにリィンはまた少し言葉に詰まったような反応を見せた。


「……その、クロウに話したいことがあって」


 喋るリィンと目が合わないことも滅多にない。昼間もそうだったがそれほど言いづらいことなのか。しかし相手は自分だろう、と思いながらクロウは普段と変わらない態度で先を促す。


「何だ、悩み事か? ミラ以外のことなら何でも相談に乗ってやるぜ」

「…………本当に、何でもいいのか?」

「おう、お兄さんに任せとけ」


 真剣、というよりは深刻そうにも見える。そんな思い詰めたような顔をしていた後輩はクロウの言葉を聞いて不安げに赤紫を見た。
 本当に何を言い出すつもりなのか。クロウはリィンが話し始めるのをじっと待つ。やがて、意を決したようにリィンは口を開いた。


「……クロウ」

「おう」

「…………好き、なんだ」


 ぎゅ、と握られた拳が震える。勇気を振り絞るように、すぅと息を吸ってリィンはその勢いのままに一気に捲くし立てた。


「ごめん、急にこんなことを言われても困ると思う。でも友達としてじゃなくて、そういう意味でクロウが好きなんだ」


 友情ではない、好き。特別な意味の好きを同性であるクロウに対して抱いていることをリィンが告げる。
 ――いや、それは思わず零れ落ちたというべきだろうか。恐れながら、けれど溢れるほどの想いがリィンの口から、瞳から、零れた。


「………………」


 突然の告白にクロウはきょとんとした顔でリィンを見つめる。返事を待つ後輩の手は今も微かに震えていた。思い切ってなんとか伝えはしたもののクロウの返事を聞くのが怖いのだろう。だが。


「知ってるぜ?」


 数秒の後、溢れた想いを受け止めてクロウは笑う。


「…………え?」

「だから、とっくに知ってる」


 リィンが自分を好きだということくらい、もうずっと前から知っていた。
 クロウがそう答えると青紫の瞳が真ん丸くなる。驚きを隠せないその瞳を見たクロウは「当たり前だろ」と続ける。


「つーか、あんだけ見てて気付かれてないと思ってたのか?」


 普通は気付くだろうという風に話すクロウに「……そんなに、見てたか?」とリィンの頬がほんのりと赤く染まった。こっちの方面には疎い後輩のことだ。そうだろうなとは思っていたけれどやはりあれは無自覚だったらしい。
 でも、その想いはリィンが言葉で伝えるよりも前からその視線によって確かにクロウへと伝わっていた。想いは、とっくに溢れていたのだ。だから、その真っ直ぐな想いにクロウは自然と口元を緩めていた。


「まさか、俺にフられると思って躊躇ってたのか?」

「いや、クロウを困らせると思っ……て、え?」


 クロウの質問に答えようとしたリィンの言葉が途中で止まる。短い疑問を投げられたクロウもまた「ん?」と短く聞き返す。当たり前のようにクロウは言ったけれど。


「振らない、のか?」

「何で?」


 何でって、とリィンは困惑の表情を浮かべる。
 リィンが言おうとしていたことがこれなら昼休みに廊下で躊躇していたのも納得だ。けど、リィンが自分相手に躊躇うとしたらこのことくらいだろうともクロウは端から分かっていた。仮にそうだとしても躊躇う必要はないんだが、とも思っていたが。

 ゆるり、赤紫が細められる。そのまま静かな部屋に柔らかな音が落ちる。


「俺がお前を振るわけないだろ」


 どうして振られると思ったのかは、深く考えずとも想像がつく。だからこそリィンは伝えることはクロウを困らせることだと思っていたのだろう。
 それでも、伝えずにいられないほど想われていることにクロウの胸があたたかくなる。溢れるほどの想いを胸に、クロウもまた告げた。


「俺はお前が俺を好きになるより前から、お前が好きだぜ?」


 そう伝えると、青みがかった紫の瞳がこれ以上ないほどに開かれた。
 何故リィンの気持ちに気付いたのか。答えは簡単だ。クロウもリィンと同じだったから、すぐにそうだと気が付いた。
 まさか告られるとは思わなかったけどな、と言えばリィンは赤くなった顔をふいと横に向けた。そんなところも可愛いなと心の中で呟いたところでちらと青紫がクロウを見た。


「…………クロウは、言うつもりはなかったのか?」


 その問い掛けにクロウはぱちぱちと二、三度瞬きをした。そして次の瞬間、思わず吹き出してしまった。


「どうしてそこで笑うんだ」

「だってお前、最初から俺のこと好きだったじゃねぇか」


 何を今更、と笑うクロウに「え」と固まった想い人。自覚がなかったのだからこの反応も当然とはいえ、本当に可愛いよなと思ってしまうのもそれほどまでに好きだから。


「お前は自覚してなかっただろうが、だから今言うこともねぇと思ってたんだ」


 もちろん、いずれは言うつもりだった。だけどこんなに早く、しかもリィンから言われるなんて考えていなかった。それは嬉しい誤算であって、リィンが今し方考えたようなことがないのは確かだ。
 先に言われたことはちょっぴり残念でもあるのだが、それよりも嬉しい気持ちの方が勝っている。どちらかといえば、と思いながらくしゃっと黒髪に手を乗せると「わっ」と小さな声がリィンの口から漏れた。いきなり何をするんだと言いたげな視線にクロウは何も隠すことない真っ直ぐな視線で返す。


「俺もお前が好きだ、リィン」


 交わる視線を通して伝えた想いにぶわっとリィンの顔が赤くなる。
 これまでは隠していたそれはもう不要だろう。曝け出した想いはリィンと同じ、いやそれ以上の。


「振るわけがないって、信じたか?」


 口元に緩く弧を描きながら、向けられた熱い眼差しにリィンは暫しの間呆けた。
 別にクロウは誰にも気付かれないほど自身の恋心を隠していたわけではない。かといって大っぴらにしていたわけでもないけれど、その感情は鋭い友人たちには見抜かれていた。当の本人は全くといっていいほど気付いていなかったが、ここまで言えばリィンもクロウの気持ちを理解しただろう。


「…………クロウの言葉を疑ったわけじゃないんだけど」


 やがて、我に返ったリィンは先程の自分の発言がクロウを誤解をさせたと思ったのか、そう訂正した。だが、当然クロウは誤解なんてしていない。するわけもない、と心の中で呟きながらクロウは頷く。


「分かってるって。何ならこれからはお互い遠慮せずに言えばいいだろ」

「いや、できれば程々にしてもらいたいんだが」


 まだ赤みが残ったままの顔でリィンは言い辛そうに顔を背ける。その訳はもう本人から直接聞かずともこの反応を見れば明らかだ。


「んじゃあまあ、最初は程々ぐらいから始めるとすっか」


 そこから少しずつ、進めていけば良いだけの話だ。元々はそのつもりだったのだから何も焦ることはない。ゆっくり、気付かせるつもりだったのだから。
 クロウが微笑むと、やっとこちらを見たリィンもゆるりと笑みを浮かべた。自分を映す青紫の双眸を眺めながら好きだなと思うのは今日だけで何度目になるだろう。以前から溢れていたそれは、確かな熱を持ってこれまでとは比べものにならないほどの想いを伝える。受け止めた想いはじんわりと胸に広がり、その熱に喜びを覚えながらクロウも同じ想いで応える。


「えっと、改めてよろしくな」

「おう。こっちこそな」


 何がきっかけになったのかは分からない。けれど、ここからまた新たな関係をはじめよう。そしていつか、二人でその話もしよう。
 お互い、ずっと前から好きだった――という話を。そう遠くない未来で。










fin