どこにでも、どこまでも広がっている空。けれど見る場所によっては違うように見える、そんな空を見上げながらふうと小さく息を吐く。やはりトリスタで見る空とは少し違うかなと思いながら、ふと視線をずらすと銀色の髪がゆらゆらと風に揺られるのが目に入った。
「クロウ、こんなところで何してるんだ?」
ケーブルカーを降りてすぐのところにその姿はあった。声を掛ければ遠くを見ていたと思われる赤紫の瞳が こちらを向く。
「ちょっとユミルを歩いてみようかと思ってな。お前こそ、家族はもう良いのか?」
「ああ。久し振りに家族でゆっくり過ごさせてもらったよ」
だがまだ夕飯までは時間がある。どうせならもっと家族水入らずの時間を楽しんでも良かったのではないかと言われるが、その時間は十分過ごさせてもらったとリィンは答えた。屋敷には明日も顔を出すつもりであるし、士官学院生として陛下の厚意でユミルに来たのだ。やっぱり士官学院のみんなと過ごしたいという気持ちがあった。
そんなリィンの言い分も分からなくはなかったのか、クロウは「そうか」とだけ言って視線を郷の中へと向けた。リィンにとっては見慣れたその景色を、リィンもまた自身の瞳に映す。
「長閑で良いところだな」
ルーレ市よりもずっと先、辺境の地にある小さな郷。住んでいる人達はみんな顔見知り、何かあればみんなで大騒ぎ。建物も人口も少ないこの場所は自然に囲まれており、温泉郷と呼ばれて親しまれている。
都会のように何でもすぐには手に入らないから少々不便なところもあるけれど、それでも特別困ったことはない。なければないで意外と何とかなるものだったりするのだ。それにユミルにはユミルの良さがある。長年過ごしてきた故郷を大切な仲間にそう言ってもらえるのは純粋に嬉しかった。
「気に入ってもらえたなら良かったよ」
「みんな良い人ばっかだな。さっき雑貨屋を見に行ったら色々オススメされたぜ」
「カミラおばさんか。変わったものを勧められたりしなかったか?」
ユミルの雑貨屋であり土産物屋でもある《千鳥》の店主、カミラはよく変わったものを仕入れてくる。知らないうちに予想外のものを仕入れているようでもう一人の店主であり夫のライオは困っているようだ。リィンも何度もそのような話をライオから聞いている。絶対に誰も買わないようなものは倉庫にしまわれているというが、店頭に並んでいるものにも珍しいものが多々あったりする。
「そうだな。これからは寒くなるからって暖房器具やら、便利な調理器具とか珍しい食べ物とかな」
「あはは……カミラおばさんらしいな」
士官学院に入学してから半年近くユミルを離れていたけれどそういうところは今も変わっていないらしい。きっとそれらが店に届くたびにライオは頭を悩ませていたことだろう。これからの季節を考えれば暖房器具あたりは売れるかもしれないが他の商品はどうだろうか。もしかしたらそれらを手に取ってくれる人が現れるかもしれないし、そういう人が現れてくれることをリィンはこっそりと心の中で祈る。
「それでアクセサリーとかも幾つか勧められてよ」
「へえ」
「見たことあるようなアクセサリーもあったけど、これさえあれば意中の子ともバッチリよ! ってこんなのを勧められたりしてな」
言いながらクロウがポケットから取り出したのは雪の結晶をモチーフにしたシルバーアクセサリー。こんなものも置いているのかなんて呑気に思ったリィンだが、すぐにいや待てと思い直した。
「って、買ったのか!?」
ここにそれがあることが既に答えではあるが、それでもリィンはクロウに尋ねた。するとクロウは「色々とサービスもしてもらったしな」と返してきた。それから口角を持ち上げて「意中の相手とも良い関係になれるらしいし?」と楽しそうに続ける。それを聞いたリィンの顔はみるみるうちに赤くなった。
「……何言ってるんだ。今更良い関係も何もないだろ」
「良い関係であることは良いことだろ。たとえそれが恋人同士だとしても、な?」
ふいと顔を逸らしたリィンだが、クロウがこちらの反応を面白がっているのは分かる。何せクロウの想い人というのは他ならぬリィンなのだ。そして二人は今、恋人関係でもある。
つまり、クロウの言う良い関係になりたい相手というのもリィンのことなのだ。勿論今が悪い関係というわけではないが、クロウの言うように良い関係であり続けることは悪いことではない。けれど、そうだとしてもリィンとしては複雑なものである。
「大体、そういうのって本当に効くとは限らないだろ」
「こういうモンは本当に効くと思っているからこそ意味があるんだよ」
そういうものなのか、と思ったがリィンはそういったものに詳しいわけでもない。どちらかといえばクロウの方がその手のことには詳しい。というより、単位を落として一年生のクラスに一時的に編入しているとはいえ、もともとクロウの方が幅広い知識を持っているのだ。ちょっとした疑問を口にしたらすぐに答えが返ってくるくらいには色んなことを知っている。
「けど、そこを気にするってことはお前も興味あんのか?」
「そういうわけじゃないが……」
「ほらよ」
リィンが言い切るよりも前にクロウは手に持っていた例のシルバーアクセサリーをリィンに向かって投げた。軽く投げられたそれはすっぽりとリィンの手の中に収まる。
「ちゃんと信じてないと意味ないからな。大事に持ってろよ?」
そうすれば願い――意中の相手と良い関係になることが出来る。そう話すクロウはやっぱり楽しそうで、そんなクラスメイト兼恋人を見てリィンは溜め息を一つ。
多分、というよりきっと。最初からそのつもりで買っていたんだろうなと手の中にあるアクセサリーに視線を落とす。カミラおばさんもどうしてクロウ相手にこんなものを勧めてしまったのか。おそらく単純に学生は恋愛に興味があるだろうという理由なのだろうが、まさかそのアクセサリーがこうしてリィンの手に渡っているとは思いもしないだろう。
「大事に持ってたら、ずっと良い関係でいられるのか?」
やられっぱなしも腑に落ちない。あえてそのように尋ねてみれば、赤紫の瞳が大きく開かれた。だがこれからも意中の相手と良い関係で有り続けることを目的とするのならそういうことだろう。クロウにとってのそれがリィンならば、リィンにとってのその相手はクロウだ。そもそもこれを買ったのはクロウなのだからそういう意味になるのも分かっていただろう。
「何だ? そんなに俺と良い関係でいたいのか?」
すぐにいつもの調子で切り返したクロウに「そうだったら良いと思っている」と答えれば、唐突に沈黙がやってくる。それから赤紫の双眸はこちらから外れ、何やら独り言を呟いたようだがそこまでは聞き取れなかった。代わりに「クロウ?」と名前を呼ぶと、暫しの間を置いて再び赤紫と目が合った。
「そうだな。お前がそれを大事に持っててくれるなら、良い関係でいられるかもな」
「何だよ、それ」
「そういうモンだって説明してやっただろ?」
確かにそう聞いたけれど、それは今付き合っている自分達にも当て嵌まるものだろうか。初めに話を聞いた時から根本的に間違っている気がしないでもなかったが、クロウの言葉でいうなら本当にそうなるものだと信じていればそうなるといったところか。
だから大事にしろよ、なんて言われたらそう信じて持つしかないだろう。しかし、たとえそれが本当だろうと嘘だろうと、クロウから貰ったそれをぞんざいに扱うつもりなど端からない。どんな理由であれ、クロウがそれをリィンにくれたことに変わりはないのだから。
「さてと、まだ夕飯まで時間もあることだしな。良かったらユミルを案内してくれよ」
リィンが来るまでも一人で見ていたらしいが、クロウがユミルに来たのはこれが初めてだ。初めての場所を見て歩くのは楽しいけれど、やはりこの地をよく知る人が一緒の方が分かりやすい。そう言ったクロウにリィンも快く了承する。
「ああ、それくらいお安い御用だ」
「そんじゃあよろしく頼むわ」
ついでにリィンの昔話なんかも聞いてみたいなどと言い始める恋人にそんなの聞いたって面白くないだろと言いながら二人はユミルの郷を歩き始めた。
アクセサリーに込めた願い
士官学院生としてやってきた小旅行だけれど
鳳翼館に戻るまでのあと少しだけ二人の時間を過ごそう