甘えちゃっていいんですか
「突然押しかけてすまない」
「構わん。丁度ひと段落ついたところだ」
バリアハート領主邸。客人を招き入れ、私室に通したところでいきなり謝罪を口にした彼は士官学院に通っていた頃の友人――リィン・シュバルツァーだ。
もっとも、リィンは今も士官学院に通っている。それぞれが自分の道に進む為に一年早く卒業したのはリィンを除いたユーシス達Ⅶ組のメンバーだ。その中でユーシスは父に代わり、領主代行としてここバリアハートを治めていた。
「会うのは二ヶ月振りくらいか。相変わらず忙しそうにしているようだな」
ユーシスの言葉にリィンは苦笑いを浮かべ、それから「そうでもないさ」と答えた。だが、リィンが忙しい身であることはユーシスもよく知っている。
灰の騎士。今や帝国でその名を知らない者はいないだろう。内戦終結の英雄であり、帝国時報でも度々彼の活躍は報道されている。領主代行の仕事でなかなかに忙しいユーシスでさえ、自然とリィンの活躍は耳に入ってくるほどだ。
「この前もまた帝国時報の一面に載っていただろう」
「あれはちょっと大袈裟に書かれてるだけで、ちゃんと士官学院生としての配慮はしてもらってるよ」
灰の機神という力を持っていてもリィンはまだ士官学院生。力を持ってしまったからこそ軍への協力要請には応えるけれど、正式に軍に仕えているわけではない。
だから無理はしていないし、無理なことをやらされているわけでもない。ユーシスの言おうとしたことを理解していたリィンはそのように答えた。だが、その言葉を素直に信じてはいけないということをユーシスは一年間の学院生活で理解していた。
「どうだかな。お前はそう言ってすぐに無理をするからな」
「無理はしてないって言ってるだろ。そういうユーシスこそ、忙しそうだけどちゃんと休んでるのか?」
「現在進行形で休んでいるだろう」
そういうことじゃなくて、とリィンが食い下がるものだからユーシスもちゃんと休んでいると答えてやる。体調管理は基本中の基本だ。どんなに仕事があっても適度に休憩は挟んでいる。
体調管理が基本であることはリィンにしたって同じなのだが、この男は多少の疲れや体調不良など気にしないところがあるのだ。いや、気にしないというより気付いていないというべきだろうか。前に熱があるのに自覚もなく生徒会の仕事を手伝っていたのには流石にユーシスも呆れた。
「まあ無理をしていないのなら良いが、あまり溜め込むことはするな」
「分かってるよ。ありがとう、ユーシス」
本人が大丈夫だと言うのならその言葉を信じるけれど、相手はあのリィンだ。釘は刺しておかなければやはり心配で、そんなユーシスにリィンは素直に礼を述べて微笑んだ。
帝国の近況を考えると心の内にある心配は消えないけれど、それでも領主代行をすると決めたのはユーシス自身だ。だから今はその役目を責任を持って果たすと決めている。リィンも士官学院生として、灰の騎士として自分のやるべきことをやっているのだから。今はその笑みを信じることにする。
「ところで、今日はこっちの方面に何か用事でもあったのか」
話にひと段落がついたところで、ユーシスは気になっていた疑問を口にした。突然近くまで来ていると連絡を受けたのは数十分ほど前のことだ。あまりに唐突で連絡をもらった時は驚いたが、時間があるなら少し会いたいけれどそっちも忙しいかと聞いてきたあたりはリィンらしい。
だが、せっかくこちらに来ているという友人を追い返すほどユーシスは薄情ではない。机に積まれた書類の山を横目に見ながら問題ないと即答し、リィンを家に呼んだ。書類なんてものは後で片付ければ良いだけだ。しかしリィンと会うのは今を逃せば次はいつになるか分からない。優先すべき事柄は明らかだった。
「いや、大したことはないんだけど」
「何だ。言えないことか」
軍が関わっているのなら話せないのも無理はない。クロスベル方面や共和国の近くならともかく、この辺りにリィンが来る用事は分からないが軍にも色々あるのだろう。
リィンの返答から勝手にそう解釈したユーシスだったが、それに対してリィンは「そういうわけでもないんだが……」と何やら引っかかる言い回しをする。否定したということは軍関係のことではなく、かつ言えない理由でもないということだが。
「……そういえば、今日は自由行動日だったか」
今日の日にちを思い出し、呟くように口にすればリィンからは肯定が返ってくる。
自由行動日といえば、部活動に所属していなかったリィンは生徒会の仕事を手伝ってトリスタをよく走り回っていた。中には生徒会からの依頼がない時もあったけれど、一年だった頃は殆どその手伝いをして過ごしていたと記憶している。
「ならば生徒会の依頼で遠出でもすることになったか」
「手が空いてる時は生徒会を手伝ってるけど、今日ここに来たのはそれと関係ないかな」
「お前らしいな。だが、それなら何だと言うんだ」
リィンが濁すからこちらから思い当たることを挙げてみたのだが、どれも外ればかり。他に思い当たることもなくなってユーシスが直接疑問をぶつければ、やっぱりリィンは「えっと……」と視線を逸らした。
この反応からして、バリアハートへ来た理由は言えないことではないけれど、あまり言いたくないということだろうか。それならば無理に聞くこともないかとユーシスは一つ息を吐く。急な訪問だっただけに気にはなったけれど、別にそこまで知りたいわけでもない。
「まあいい。顔を出しただけ良しとしよう」
「……ユーシス、俺のことを何だと思ってるんだよ」
「忙しそうだからと遠慮しそうだろう? 実際、忙しいならいいと言っていたしな」
ユーシスの指摘にリィンは一瞬言葉に詰まったものの、すぐに「俺だって声くらい掛けるよ」と反論した。忙しいなら悪いと思ったのは本当で、ユーシスに連絡した時に言ってしまったのも事実だからそこは否定できないけれど、時間があるのであれば会いたいと思う。
おそらくそれは本心だろうけれど、言葉に詰まったということは図星でもあるということだ。遠慮して声を掛けない可能性もないとは言い切れないだろうと、そう思ったのだが。
「大体、今日だってユーシスに会いたくて…………」
次いで出てきたのは予想外の言葉で、水色の瞳が大きく開かれた。言った本人も最後まで言い切る前に言葉を止め、しまったというような表情を見せた。
……どうやら、これが言えないことではないけれど言うのを躊躇したことらしい。
「そうか。俺に会う為にバリアハートへ来たのか」
確認するように繰り返せば、リィンは赤い顔を逸らした。先程までの様子からして、このことを言うつもりはなかったのだろう。
始めから素直に言えば良いものをと思ったけれど、リィンの性格を考えれば素直に言えなかったというのも頷ける。だが、リィンが口を滑らせなければこのことを知ることはなかったのかと思うとやるせない気持ちになる。
「そういう時は素直に会いに来たと言えば良いだろう、阿呆が」
どうして言わないんだと言いたいけれど、リィンが自分に会いたくてバリアハートに来てくれたことは嬉しくもある。普段はあまり人を頼らない男が、自由行動日に生徒会の手伝いをするでもなくわざわざ来てくれた。その意味するところは大きい。リィンは恥ずかしいのか「だって」と言うが、だっても何もない。
「俺にまで本音を隠してどうする」
「でも、ユーシスだって今は領主代行で忙しいだろうし……」
「忙しいのはお前だろう。それに、俺はどんなに忙しくてもお前のことを蔑ろにはしない」
いつでも会いに来いと言っただろう。
言えば、リィンは「あっ……」と第三学院寮でのことを思い出したようだ。第三学院寮で過ごした最後の夜、二人で共に過ごした時のことを。そして約束したのだ。必ず会いに行くと。
「それと、会いたいと思っていたのが自分だけだと思うな」
そう、会いたいと思っていたのはリィンだけではない。士官学院を卒業し、バリアハートに戻ってから何度目の前の男のことを考えたことか。一回や二回ではない、片手で数えられる数などとっくに超えている。
けれどユーシスにはユーシスのやるべきことがあり、リィンもまた士官学院生として。灰の騎士として頑張っていた。トリスタに居るとも限らないリィンに会うのは難しく、またバリアハートを空けるわけにもいかない。だからユーシスから会いに行くことは出来なかったけれど。
「俺も、お前に会いたいと思っていた」
手を伸ばし、ぎゅっと抱きしめると懐かしい体温を感じた。こうして触れ合うのもあの夜以来だ。
一緒に過ごしたのはたった一年という時間なのに、その一年で掛け替えのない存在に出会った。貴族でありながらも貴族ではない、そんな複雑な環境で育ってきた二人。どこか似通った境遇の二人が惹かれあったのは偶然だったのだろうか。それとも必然だったのか。そんなことはどうでも良いけれど。
「……あったかいな」
「お前の方が体温は高いだろう」
「いや、ユーシスはあったかいよ。それに安心する」
ぎゅっ、とリィンもまたユーシスの背に手を回しながらそう話す。
互いの存在が互いに影響を与え、気が付いたら目で追っていた。士官学院に入学した時は色恋沙汰などに興味もなかったというのに、いつの間にか惹かれていた。恋とは落ちるものとはよく言ったものだ。
「お前のことだから言っても聞かないだろうが、無理はするな」
「酷い言われようだな……」
「そう言われたくなければ、自分の悪い癖を直すがいい」
ユーシスの言葉にリィンは「努力はするよ」と答え、それからどちらともなくそっと体を離した。
随分とゆっくり過ごしてしまったけれど、お互いそれなりに忙しい身だ。もう少し一緒に居たいという気持ちがないとはいわないけれど、二人共そこまで子供でもない。楽しい時間は早く流れるというが、大切な人と過ごす時間はいつもあっという間である。
「それじゃあ、俺はそろそろトリスタに戻るよ」
「そうか。お前ならいつでも歓迎してやるから遠慮せずに来るがいい」
事前に分かっているのなら前もって連絡して欲しいところだが、急に会いたくなったのなら今回のようにバリアハートに来てから連絡をくれても良い。特に用事がなくたって、会いたいという気持ちは十分な理由になる。
「今度は素直に会いに来たと言ってくれると嬉しいが」
「それは…………」
「冗談だ。気にせず来い」
またリィンが顔を赤くするものだからさらりと流したが、言ってくれたらやっぱり嬉しい。勿論、リィンに会えるのならそれだけで嬉しいのだが、言葉というものはそれとはまた別のものなのだ。世の中には言葉にしなければ伝わらないこともある。だから。
「待っている」
あえて言葉にして伝えてやれば、リィンはほんのりと頬を染めたまま視線をうろうろと彷徨わせた。
けれど数秒後、青紫は真っ直ぐにこちらを見ると「また来るよ」と微笑みを浮かべた。それにユーシスも「ああ」と頷いて口元を綻ばせる。
どんなに離れていても同じ気持ちであることに変わりはない。彼は大切な友人であり、特別な人……恋人でもあるから。会いたいと思うのも、互いに心配してしまうのも一緒。
だから、いつでも彼が来るのを待っている。
たまには素直に甘えれば良い。そんな風に思いながら、次会うのはいつになるだろうかと考えて思わず笑みが零れる。さっき会ったばかりだというのにもう次を考えてしまうなんて。
今は自分のやるべきことをやろう。リィンが帰るのを見送ったユーシスは、残りの書類を片付けるべく屋敷に戻るのだった。
fin