「クロウ、これ良かったら」
そう言って渡されたのは一輪の薔薇。今日は何かの日だったかと考えてみるが特に思い当たることはない。それに何で薔薇なのか。
不思議そうに薔薇を見つめていたら「依頼のお礼に貰ったんだ」と説明された。そういうことならまあ納得は出来る。どうしてそれを飾らずにわざわざ渡したのかは気になったけれど深い意味はないんだろうなと流したのが一日目。
「クロウ」
呼ばれて差し出されたのもやはり薔薇。昨日と違って今日は二人で同じ依頼を受けていたのだが、帰り際に寄りたい所があるからとリィンとは一度別れた。それまではずっと一緒にいたのだから間違いなくその時にこの薔薇を入手してきたことになるのだが。
「昨日のは依頼のお礼だから分かるけど今日のは?」
「何となく、かな」
深い意味はない、と言われても貰いものでないならこの薔薇はリィンが買ったということになる。いや、薔薇を買うのはリィンの自由だ。けれど何で薔薇、と昨日と同じことを考える。昨日のは偶々薔薇だったのかもしれないけれど今日は意図的に薔薇を選んでいるのだ。薔薇に何か意味はあるのか。
確か薔薇の花言葉は愛に関するものだったはずだ。薔薇の場合は色によっても意味があったりするが大まかにいえばそんなところだろう。告白、といっても俺達は現在進行形で付き合っている。本当にただ何となく買っただけなのか、と疑問を抱きながら過ごした二日目。
「……今日のもまた何となくか?」
翌日、やはりリィンは薔薇を一輪渡してきた。最初こそどうして花瓶に生けずに渡してきたのだろうと気になったが今ならその理由は分かる。普段ならお礼に貰ったそれをリィンが自分で花瓶に生けているけれどそれでは意味がなかったのだろう。三日も続けばこれがリィンの意思で初めから俺に渡されたものだと理解する。そしてこの薔薇も数分後には窓際に飾られている花瓶に俺が生けることになるのだ。
「そうだな」
「三日も続けて渡していることに本当に意味はねーの?」
「最初は依頼主にお礼で貰ったって言っただろ」
それはそうだけど今ではそれすら怪しく思えてくる。もしくはそれがきっかけになったかのどちらかだ。
きっかけになったのだとしたら何のきっかけだろうか。薔薇を贈ることに意味があるのか、それとも贈り物をすることに意味があるのか。幾ら本人が意味はないと言っても絶対に何かある。それをリィンが俺に説明していないだけだ。
(死ぬまで気持ちは変わらない、か)
四日目。ただ贈り物をするならたとえ花でも同じものを贈り続ける理由はない。他に思いつかなかったからというのはあるかもしれないが、送り主がリィンであることを考えれば首を傾げたくなる。
だから薔薇であることに意味があるとして、かなり沢山あるはずの薔薇の花言葉を調べてみた。赤い薔薇の花言葉はやはり愛に関するものが多かったが、どうやら薔薇は本数でも花言葉の意味が変わってくるらしい。こうも毎日贈られていることを考えればそっちが正解かと調べてみたわけだが、四本の花言葉は死ぬまで気持ちは変わらないだった。
(一体いつまで続けるつもりなんだろうな……)
窓際にある四本の薔薇を眺めながら考える。何でも本数によって変わる薔薇の花言葉は千本を越えたところまであるらしい。まさか三年近くかけてそこまで渡すつもりかとも思ったが流石にそれはないだろう。
二日目の時点で疑問はあったが、こうも続けて渡しておきながら何もないなんて思われないことはリィンだって分かっているはずだ。それでも本人は花屋の前を通り掛かったからと言うだけなのだが、それは通り掛かっただけじゃないだろうとは心の中だけで突っ込んだ。
五本、貴方に出会えて良かった。六本、貴方に夢中。七本、密かな愛。
これでリィンが薔薇を渡し始めてから一週間だ。薔薇を渡すようになった以外はこれまで通り、何も変わらずに遊撃士協会で依頼をこなす日々を送っている。最早薔薇を渡すことも日常の一部になってくるのではないかと思えてくるレベルだ。
「おい、リィン」
本当にいつまで続けるつもりだと、聞くつもりが「今日も薔薇が綺麗だったから」とどこかずれた答えを先に返された。ずれた、ではなくあえて先にそう言ったのだろう。つまりまだ止める気はないらしい。
だが一本刻みで意味があるのは途中までだ。こうなったら暫く付き合うことにしてリィンがどういうつもりで薔薇を渡しているのか待ってみることにした。今使っている花瓶に薔薇が入らなくなった時はどうするんだよと本人に聞いてしまったが、それならこれを使えば良いと別の花瓶を渡された。
そうして一ヶ月が過ぎても薔薇を贈られる生活に変化はなかった。
「クロウ、これ」
そうやって差し出された薔薇を「サンクス」と受け取る生活にも大分慣れてしまった。おそらく意味のある贈り物だから礼を言っているが、最初のリィンの言葉通りならこれは意味のない贈り物なのだろう。全くそうは思えないよなと思いながら俺は今日も花瓶の水を入れ替える。
(一ヶ月を越えたってことはリィンが伝えたい意味はどれだ?)
どれもこれも恋愛に関する花言葉が多いけれど、リィンが伝えたい意味は何なのか。有名どころでは九十九本が永遠の愛、百本で百パーセントの愛、百一本のこれ以上ないほど愛してる。それから百八本が結婚してくださいでプロポーズってところか。
この中なら一番有名なのは百八本のプロポーズだろう。リィンがどこで何を聞いたかは知らないが、纏めてではなく毎日渡してくることからも少なくない本数であると考えても良いかもしれない。当然、実際のプロポーズなら一本ずつではなく纏めて渡すのだろうが。
(プロポーズ、か)
まだはっきりそうと決まったわけではないけれど、もしリィンがそういう意味で渡しているとしたらこちらもただそれを待つだけというのはどうなのか。いや、そこまで待つのも有りだとは思うが俺だって付き合って三年になる恋人に対して何も思わないわけじゃない。こうして毎日薔薇を贈られている時点で愛されていることは分かるが、同じくらい俺だってリィンのことを想っている。
男同士ではプロポーズも何もない。でも、結婚が出来なくともそういったことを考えないわけでもない。
「クロウ」
最初の薔薇を渡されてから三十四日目。俺は今日もリィンから赤い薔薇を一輪受け取る。いつもなら受け取ったそれをそのまま花瓶に生けるのだが。
「なあリィン」
くるりとこちらに背を向けてキッチンへ向かおうとする恋人の名前を呼べば、青紫はすぐにまたこちらを見る。すっかり日常になってしまったこのやり取りをもう暫く日常にしても良いけれど、俺も男だからただ待つだけというのはやはり選べなかった。
「これ、やるよ」
そう言ってリィンの前に差し出したのも赤い薔薇。しかしそれは一本だけではない。沢山の薔薇の花束に青紫の瞳が丸くなる。
「これって…………」
「お前から貰ったのも俺がやったのも同じ場所に飾るんだからそれで良いだろ」
全部同じ場所に飾るのなら花瓶に並ぶ薔薇の本数はそれらを足したものになる。一ヶ月前に貰った薔薇はもう枯れてしまったけれど、リィンだってそこは承知の上だろうから問題ないはずだ。
花束へと視線を落としたリィンは数秒後、この薔薇は何本あるのかと尋ねてきた。お前の予想通りだと思うけどとは言わず、七十四本だと答えてやれば再び青紫が俺の姿を映す。
「……何で分かったんだ?」
「逆に何で分からないと思ったんだよ」
確かに途中までは分からなかったが、本気で俺が深い意味はないと言ったそれを信じていると思っていたわけではないだろう。それはそうだけど、と言いながらリィンは七十四本の薔薇を見る。
「でも、薔薇には色んな花言葉があるだろ」
「本当にな。お蔭でお前がどういうつもりで渡してるのか当てるのが大変だったぜ」
「だから、何で分かったんだ?」
もっと少ないかもしれないし、もっと多かったかもしれないのに。どうして百八本の薔薇を渡すつもりだと分かったのか。
どうやらリィンが聞きたかったのはそういう意味だったらしい。それについても俺が答えるまでもない気はするが「俺だったら百八本渡すから」と答えた。三百六十五本でも九百九十九本でも良かったけどな、とは勿論付け加えておいた。
「……一ヶ月前、花屋さんからの依頼で珍しい植物の採集に行ったんだ」
「あーそういやそんな依頼だったか」
あの日は別々の依頼を受けていたが、遊撃士協会まではいつものように二人で一緒に向かった。そこで細かい依頼があるから今日はその辺りを片付けて欲しいと頼まれ、その場で適当に振り分けた中にそのような依頼があったような覚えがある。
「それで依頼が終わった後、お礼にと薔薇を貰ったのは本当だ。その時に薔薇の花言葉について幾つか教えて貰って」
前にそのこと自体を疑ったこともあったがそれは本当のことだったらしい。けれどやはりそこにきっかけはあったようだ。色によって変わる花言葉、それから本数によっても変わる花言葉。全部ではないけれどその内の幾つかをリィンは店主から教えてもらったという。
比較的有名なそれらの花言葉の中にはプロポーズの意味がある百八本の意味も含まれていたわけだ。言えばリィンはこくりと頷いた。だから一日一本ずつ薔薇を渡すことにしたのだと、漸くリィンの口から薔薇の意味を聞くことが出来た。
「でも何で一本ずつなんだ?」
一本ずつでも良いけれどそこはずっと気になっていた。纏めて渡すのは気恥ずかしいから少しずつ、手持ちのミラが足りなかったから――というのはないか。そこに深い意味はないけれどと言われてもそれはまあ納得出来ないこともないかと考えていた時のことだ。
「それは……こまめに贈り物をする方が良いって、この前本で見たから……」
予想外の回答が返って来て思わずきょとんとしてしまった。
それって確か……。そこまで考えてつい笑ってしまった俺に「笑うことないだろ」と顔を赤くした恋人が言う。
「悪ィ悪ィ。いやーマジで愛されてんなと思ってよ」
「…………当たり前だろ」
これを渡すつもりだったんだからと手に持っていた薔薇を見せられる。リィンが今日までに俺に渡した薔薇と合わせて百八本。
それもそうかと言った俺にリィンはまだどこか不満そうな表情で。だから「そう怒るなよ」と言いながらリィンの左手を花束から外させた。
「これからもずっと、俺の隣にいてくれ」
そのまま薬指に嵌めたのは蒼耀石のような輝きを持つ小さな石の付いたシルバーリング。それの意味するところはきっとすぐに伝わるだろう。
「……クロウはずるい」
「今回はお前からやってきたことだからな」
「でも最後に持っていったのはクロウだろ」
そう言ったリィンは少しばかり視線を外し、ちょっと待っていてくれと言って一度薔薇をテーブルの上に置く。それから棚の前まで行って引き出しを開け、間もなくして戻って来たリィンはじっとこちらを見上げた。
左手を貸してくれと言った恋人に僅かに驚きながらも左手を差し出すと、リィンもまた薬指にそれを嵌めた。
「この先も俺と一緒にいてくれ、クロウ」
リィンが嵌めたそれには紅耀石のような輝きを持った小さな石が付けられていた。付き合い始めてそろそろ三年。どうやら考えたことはお互い同じらしい。
「……最後に全部持っていったのはどっちだよ」
むしろ今回は最初から最後まで、俺はお前に振り回されていた。言えば「お互い様だろ」とリィンは笑う。まあ、全部恋人が俺のことを好きでやっていたことだからそれは幸せ以外の何物でもないけれど。
リングの付けられた左手をリィンへと伸ばせばその瞳はそっと瞼の裏に消えた。互いの体温が交じり合うまで数秒。たっぷりと数十秒の時を経て再び見た青紫は優しく微笑む。
「好きだよ、クロウ」
「ああ、俺も」
好きだ、と言い終えた時には再び唇が重なった。
貴方に伝えるメッセージ
いつまでも、二人で共に