今年ももう終わりか、とカレンダーを眺めながら思う。この一年も様々な出来事があったなと振り返るにはまだ少し早いかもしれない。そう思ったリィンの視線はとある場所で止まる。
 一年の最後、十二月三十一日。
 たったそれだけの日で片づけられないのは、リィンの頭に残るとある記憶のせいだ。


「リィン?」


 聞こえてきた声にはっとする。
 振り返れば、いつの間にか目を覚ましたらしい友人がこちらを見つめていた。


「すまない、起こしたか?」

「いや。それより……」


 そこまで言ってクロウは言葉を止めた。どうしたのかと不思議に思って「何だ?」と先を促してみるが「何でもねぇ」と言われてしまった。
 何かを言おうとしてやめられると気になるのだが「時間、大丈夫なのか?」と指摘されて時計を見る。いつの間にか、部屋を出なければならない時間になっていた。


「忙しいからってあまり根を詰めるなよ」

「分かってるよ。行ってきます」


 大丈夫。クロウはちゃんと、ここにいる。
 そう思いながらリィンはドアノブに手をかけた。





 □ □ □





 年の瀬というものは忙しいもので、あっという間に時間が流れていった。
 期末テストを終え、大掃除をして。仕事も大方片付いたところで何かやることはないかと尋ねるとトワは困ったように笑った。年末くらいゆっくり休んでというトワこそ両手に書類を抱えており、どうせすることもないからとその一部を引き受けたリィンは自室で書類を片づけていた。
 仕事に一区切りがつき、大きく伸びをしたところで時計が目に入る。二十三時五十分。もうすぐ日付が変わる時間だった。


(三十一日か)


 大晦日だなと思ったリィンは頭を振る。つい、余計なことを考えてしまいそうになる。
 あれは過ぎ去ったこと、今となってはなかったことなのだから気にすることはないと分かっている。けれど。

 コンコン、と部屋をノックする音が聞こえる。
 こんな時間に誰だろうと思いながら「はい」と返事をしたリィンは立ち上がってドアへと向かう。それからドアを開けたリィンの目に飛び込んできたのはきらきらと輝くような灰銀。


「よう」

「クロウ……!?」


 どうしてここに、と問いかけるより早く。邪魔するぜと部屋に入ったクロウは先程までリィンがいた机の前で足を止めてこちらを振り返った。


「お前、こんな時間まで仕事してたのかよ」

「残ってた仕事を少し片づけてただけだ」

「そもそも年末まで仕事をすんなよな」


 そういうクロウこそ今まで仕事をしていたんじゃないかと思ったが、思うだけに留めた。
 一般的に人を訪ねる時間はとっくに過ぎている。そんな時間にクロウがここへ来た理由はなんとなく想像ができた。


「今、何考えてる?」


 聞かれて顔を上げると、柔らかな赤紫の瞳がリィンを真っ直ぐに映していた。
 とくん、と小さく心臓が音を立てる。それから視線が右下へ落ちる。


「言いたくねぇなら聞かねーけど、お前はもっとわがまま言ってもいいと思うぜ?」


 わがまま、という言葉を心の中で繰り返す。そもそも、これをわがままと言っていいのだろうか。
 あれは既に過ぎ去ったことで、みんなは前を向いている。立ち止まっているのはきっと、自分くらいだ。


「……お前に言いたいことがないなら、残りの時間。俺にくれないか?」

「え?」


 返事をするよりも先にぎゅっと、体を抱きしめられる。
 突然のことにリィンは困惑した。けれど、触れた場所から伝わる温もりに「あっ……」と声が漏れる。そのあたたかさに、胸の奥がじんと熱くなる。


「ありがとな」


 聞こえてきた声に頭を動かすが、この体勢ではその表情は見えない。


「お前等のお陰で俺は今、ここにいる。自分のしてきたことに後悔はないが、お前には感謝してる」

「……俺はただ、必死だっただけだ」

「そんなお前がいなけりゃ、俺もここにはいなかった」


 そんなことはないと思う。クロウを大切に思っていたのはリィンだけではない。みんながみんな必死に、あの激動の時代で足掻いた結果が今に繋がっている。
 どちらかといえば、自分は黄昏のきっかけを作ってしまった側の人間でもある。それを償うためにも自分のできることをしているのはきっと、クロウも同じだ。


「色々あったが、お前に出会えてよかった」


 ああ駄目だ、と思った。
 胸の内から込み上げてくるそれが、あふれそうになる。


「なあ。誰にでもなんて言わねぇから、一人でも本音を話せるヤツを見つけろよ」


 いつかの言葉が頭を過る。今となっては懐かしい、学生時代の思い出。


「俺じゃなくてもいい。だが辛いことも苦しいことも全部、一人で抱える必要なんかない」


 分かち合うのは楽しいことや嬉しいことだけではない。時には悲しいことや寂しいことだって共有してもいいとクロウは話す。


「…………本音を言えば、頼ってくれたらいいと思ってるけどな」


 付け加えるように呟かれた一言に、とうとう堪えきれなくなった一粒の雫がリィンの頬を伝った。それに続くように、想いがあふれる。


「俺は、あの時からずっと。クロウだって大切な友人だと思ってる」

「……ああ」

「クロウが今、ちゃんとここにいることも分かってる。だけど」

「分かってる。全部分かってるから、心配すんな」


 そっと背中を撫でる手があたたかい。一度零れた涙はひとつ、ふたつと、留まることを知らないかのようにリィンの頬を濡らす。でもクロウはそれを全部、優しく受け止めてくれた。

 遠くで、花火の音が鳴り響く。
 いつの間にか年が明けたらしい。

 リィンがその背中に回していた腕を緩めると、クロウは静かに体を離す。クロウの言った残りの時間は終わった。ここからはまた、新しい一日が始まる。


「……俺も、クロウに言いたいことがある」


 最初にクロウに聞かれた時、リィンは何も答えなかった。正確には、言い出せなかった。頭では理解している、忘れられない記憶のことを。
 でもやっぱり、クロウは全部分かっていた。分かっていて、こんな時間でもリーヴスまで来てくれた。そのことにクロウが責任を感じる必要はないけれど。


「何だ?」

「クロウの言うその一人に、俺もなりたい」


 これこそリィンのわがままだ。でも、前から思っていたことでもある。
 何かと理由をつけて甘やかしてくれるクロウにも頼ってもらいたい。もっと本音を話してくれたらいいのにと。伝えたリィンにクロウはふっと口元を緩めた。


「とっくにそうなってるから、来たんだろ?」


 その言葉にぱちりと目を瞬かせる。程なくして意味を理解したリィンは「そうか」と小さく笑った。

 これからもよろしくな、と微笑むクロウに同じ想いを返す。
 遠くでまたひとつ、花火の上がる音がした。






(やっと届いた想い)