青い空を白い雲がふわふわと流れていく。頭上に輝く太陽は今日も暖かな光を地上へと降り注いでいる。時折吹く風は心地良く、いつまでもここでのんびり過ごしていたいと思わせる。


「クロウ先輩」


 このままここで寝てしまいたい。
 そんなことを考えていたところで自分の名前を呼ぶ声が耳に届いた。わざわざ振り向かなくてもそこにいるのが誰かなんて分かっていたが、体を起こしてそちらを見れば予想通りの青紫の双眸と目が合った。


「よ、後輩君。俺に何か用か?」

「いえ、特に用はないんですけど」


 なんとなく屋上に来たら先輩がいたのだと目の前の後輩は話す。それで声を掛けただけだからこれといった用事はなかったらしい。まあこの学校の屋上は誰でも自由に出入り出来るのだから別におかしなことはない。逆に知り合いがいるのに声を掛けない方が不自然だろう。


「先輩はずっとここにいたんですか?」

「昼休みに入ってからな。今日は天気も良かったし」


 なんとなく、外に出ようかと思ってやってきたのが屋上だった。中庭ではなく屋上を選んだ理由も特にはない。つまるところリィンと同じである。
 とりあえず座れよと立ったままの後輩に促せば、リィンもそれに従って空いていたスペースに座る。いつも技術棟などで顔を合わせているが、屋上で会うのは珍しいなと思いながらクロウは話を振る。


「どうだ。少しは学院生活にも慣れてきたか?」

「そうですね。まだ授業についていくので精一杯ですけど」

「最初はそんなモンだろ。でもⅦ組は成績良かったらしいな」


 わざわざ一年のテスト結果を見に行ったわけではない。けれど風の噂でそんな話を聞いたのだ。なんでも貴族クラスであるT組より今年新設されたあの特化クラスの成績が良かったとか。テスト結果は廊下に張り出されているから誰かが見て二年生にも広まったのだろう。
 言われてリィンはああと話を理解する。だがすぐにそれはⅦ組のみんなの成績が良かったからだと言った。学年のトップから三位までをⅦ組で独占していた他、上位にも何人ものクラスメイトの名前があった。あの結果はクラスのみんなで得たものだ。


「みんなが頑張ったからこそ出せた結果だと思います」

「真面目だねぇ。けど、アレはクラスの平均点なんだからお前も悪くはなかったんだろ?」


 リィンの言うことは正しい。しかし、クラス順位というのはクラス全員の平均点で決まるのだ。Ⅶ組が一位を取れたのはⅦ組全員の努力の結果、つまりリィン自身の成績も決して悪くないことが分かる。実際、リィンの成績も今回のテストでは上位だった。
 けれど、それは自分一人の力ではない。それが分かっているからこそ、リィンはクロウの問いにこう答えた。


「それはやっぱり、Ⅶ組のみんなやクロウ先輩のお蔭ですよ」


 言われてクロウはきょとんとする。そんなクロウにリィンはみんなで勉強を教え合ったりしていたからだと続けた。お互いに苦手なことを教え合い、その成果が出たからこその一位。Ⅶ組の仲間や先輩であるクロウやトワ達が勉強を教えてくれて、それだけの人達の力があったからこそあの成績を取ることが出来た。ああやってみんなと勉強していなければ、これほどの成績を取ることなど出来なかったとリィンは思っている。


「謙虚だな。こういう時はもっと素直に喜べば良いのによ」

「喜んでますよ。あの時はクロウ先輩もありがとうございました」


 律儀にここで礼を言うのがこの後輩らしい。お礼なら勉強を教えた時にも聞いているし、わざわざ改まって言うほとのことではないというのに。でも、それがリィンの良いところでもあるのだろう。


「別に良いって。いい結果が出たのはお前が頑張ったからだろ?」


 それはさっきリィンが言った言葉。みんなが頑張ったから、リィン自身もみんなと一緒に頑張ったからこその結果だ。確かに少しばかり勉強を見てやったけれど、それをきちんと身に付けて結果を出せたのはリィンの努力があってこそだ。クロウはそれをほんの少しばかり手伝ったに過ぎない。
 そう話すクロウにリィンは小さく笑みを浮かべた。それからもう一度ありがとうございますとお礼を繰り返した後輩にクロウも笑う。


「そんじゃあテストも終わったし、思いっきり遊ぶとしようぜ」

「遊ぶって、何をするんですか?」

「そりゃあここは一発……」

「賭け事は駄目ですよ」


 ばっさり切り捨ててくれる後輩に「お前まで固いこと言うなよ」と言うが駄目なものは駄目だと譲ってくれそうにない。とはいえ、この後輩が賭け事に乗ってくれないであろうことは分かりきっていた。それでも言ってしまうのは性格故だ。向こうもこっちがギャンブル好きなことは知っているのだからいつものことだと流している。まだ出会って三ヶ月ほどだというのにそれなりにお互いのことを分かっているのは、なんだかんだでこの後輩と会う機会が多いからだろう。


「しゃーねぇな。なら、たまには屋上でゆっくり過ごすってのはどうだ?」

「それくらいなら良いですけど、昼休みの話ですよね?」

「お前、どんだけ人のこと疑ってんだよ」


 当たり前だろと話す俺のことを後輩は疑わしい目で見てくる。ま、こんなに天気も良いことだし授業なんかサボって屋上で過ごすのも悪くないとは思ったけど。真面目な後輩がそれを許してくれるわけないか。リィンが来なかったら普通にサボっていただろう、ということは勿論口には出さない。


「そういや、お前もたまには息抜きしろよ」

「えっと、急にどうしたんですか? 息抜きならそれなりにしてると思いますけど……」

「そうか? けど、いつも生徒会の手伝いで忙しそうにしてるからよ」


 この後輩といいトワといい、見掛ける度に忙しそうに学院やトリスタの街をあちこち走り回っている。だが、リィンは会長はともかく自分はそんなでもないなんて言ってくれる。
 第三者の目から見ればお前も十分忙しそうだよと突っ込んだものの本人は頭の上に疑問符を浮かべるのだから困ったものだ。本気でそんなことはないと思っているだろうことは一目瞭然。でも、そういうヤツだからいつだって人のために動くことが出来るんだろう。


「まあ息抜きしてるなら良いんだけどよ」


 本人がそういうのならこれ以上俺がとやかく言っても仕方がないだろう。そう思ったものの、いやでもと思い至って青紫を見る。それに気付いた青紫がこちらを見たのを認めて何となしに口を開く。


「そうだ。今度ちょっと付き合ってくれねぇか?」


 帝都で見たいものがあるんだけどと続ければ、目の前の後輩は少し考える仕草を見せたもののすぐに良いですよと頷いてくれた。特に用事もないのでと付き合ってくれる彼は本当に良い後輩だ。少し心配になるほどのお人好し。それもリィンの良さではあるのだが。
 でも今はそのお人好しに感謝しよう。たまには外に出て息抜きというのも良いだろう。見たいものがあるというのも嘘ではないけれど、息抜きや単に二人で出掛けたかったというのも理由の一つ。その用事自体は一人でも良いことだが、仮にそれを知ってもこの後輩なら付き合ってくれるだろう。


「よし、決まりだな。じゃあそん時はよろしくな」

「はい」


 そう話が纏まったところで授業の五分前を知らせる予鈴が学校中に響く。サボるなんて選択肢のない後輩はその予鈴の音で腰を上げようとするのだからやっぱり真面目だ。


「もう授業が始まりますね。それじゃあ俺はこれで」

「おう、午後も頑張れよ」


 他人事のように話す俺に「先輩も授業ですよね?」と後輩は疑問を投げ掛けてくれる。これは純粋な疑問だろう。それに対して俺ももう行くと答えれば納得した後輩は屋上を後にする。
 再び一人になった屋上で俺はぼんやりと空を眺める。青い空に白い雲、目の前に広がる景色は十数分ほど前と何ら変わらない。今ここで目を閉じれば、次に目を覚ました時には太陽が西の空に沈んでいるかもしれない。七月の頭ともなれば暑さが増してくる季節ではあるが、ほど良い風のお蔭で今はとても居心地の良い場所になっている。


「…………仕方ねぇ、行くか」


 このままサボってしまおうかとも思ったけれど今日は大人しく授業に出ることにしよう。単位も結構危ないことになっているし、ああ言ってしまった手前サボるのもなんだか気が引ける。友人辺りが聞いたら今更だろうと言われそうだけれど、授業は出るに越したことはない。


(平和だな)


 世界では、この帝国でも見えないところでは色々なものが動いている。だが、今この場所は平和そのものだ。当たり前のような日常がいつまでも続くと、そう信じている人間だって少なからずいるだろう。いや、そうあって欲しいと願っているというべきか。革新派と貴族派の対立は帝国に住んでいる人間ならば誰でも知っている。
 いつまでもこんな世界が続いたら――なんて思って自嘲する。そんなこと有り得ないというのに。だけど今だけは、その平和を楽しんでも良いだろう。

 青空を映した赤紫は瞼の裏に消える。再び現れた赤紫が映したのは屋上。ふうと一息吐いてゆっくりと立ち上がるとクロウも屋上を後にした。





共に笑い合い、楽しい学院生活を過ごす