「よう、飲んでるか」


 ワイングラスを片手に隣に並んだクロウに「程々にね」とジョルジュは頷く。こういう時はパーッと飲めよと話す本人もまだ二杯目ではないかと思うのだが突っ込むのは止めておいた。
 そういえばミシュラムでもあまり飲んでいなかったなと思い出したけれど、あの時は好きなだけ飲んでいいと言われたところで飲める状況でもなかったというのもある。だが遠慮をするタイプではないから気に留める必要はないかとジョルジュはグラスを煽った。


「アンやトワはまだ暫く掛かりそうだね」

「ゼリカは適当なところで切り上げるだろうが、トワは分校生も見てるからな。こっちには戻ってこないかもしれねーぜ」


 くるり。クロウの手の中で濃い赤紫が揺れる。アルスターの銘酒、スタインローゼは品薄という話だったが、どうやらオリヴァルト皇子が持ち込んだらしい。他にもこの場には一部の人たちによって持ち寄られた名だたる銘酒が揃っているという話は真っ先にクロウが聞き付けたものだ。


「そういや」


 届いた声に隣へ視線を向ける。くいっとグラスを傾けたクロウは一拍置いて続けた。


「そっちはこれからどうするんだ?」


 何気なく聞かれたそれはそんなに軽いものではないけれど、クロウはあえていつもの口調を崩さなかったのだろう。いつまでも、何よりもこのような場で重苦しく話をすることはない。
 友の意図を汲み取ったジョルジュも変わらない声色で答える。


「今はどこも人手不足だろうから僕も技師の一人として、この帝国でできることをしたいと思ってたんだけど」

「いいんじゃねえ? お前ほどの腕ならどこも大助かりだろ」


 トリスタでも街中の導力器を見てたよな、と言われて脳裏に懐かしい景色が浮かぶ。遠い昔のようだけれど、あの街に住んでいたのは今よりたった二年前だ。修理を頼まれた導力器を届けた際によかったらとお裾分けをもらったことも少なくない。
 ありがとう。助かったよ。
 大したことはしていなかったけど、小さなお礼の言葉は純粋に嬉しかった。またそうやって小さなことからはじめていきたいと思ったのは、学生時代の経験も大きい。


「俺も似たようなことは考えてたんだが」


 ちら、とクロウの視線が動く。その視線を追いかけたジョルジュはつい小さく笑い声を零した。


「勉強はできる時にやっておくのもいいと思うよ」


 たとえ中退していても再入学をして不足単位を再取得すれば卒業できる。
 ミシュラムで久し振りに四人で顔を会わせた時、トワはクロウにそう話した。何なら第Ⅱに編入したらどうかというあの話もきっと冗談ではないだろう。


「今更後輩に混ざって勉強するのが嫌だとは言わないだろ?」

「あいつ等に教わるのはまた別の話だろ」

「クロウならすぐに馴染みそうだけどなぁ」


 むしろ一筋縄ではいかない生徒に苦労するのはリィンやトワの方ではないだろうか。
 でも、二人なら喜んで彼を迎え入れるに違いない。いつだって大切な友を信じて諦めず、忘れず、願っていた二人だから。


「トワにたくさんの子猫ちゃんたちがいるっていうのに何が不満なんだい?」


 突如聞こえてきた凛とした声に振り向くと、アンゼリカが新しいグラスを持って二人の前で足を止めた。その姿を認めたクロウはじとっとした目を向ける。


「それで喜ぶのはお前ぐらいだろ」

「おや、その点については否定されると思わなかったな」

「つーか、挨拶は終わったのかよ」

「私が顔を出さなければいけないところは多くないからね。私より君の方が声を掛けられたんじゃないか?」

「……それはねーだろ」


 四大名門のご息女が何を言っているんだ、とクロウは呆れた顔を浮かべる。しかし今日は父の名代で来たわけじゃないからそんなものだとアンゼリカはさらっと流す。


「まあ私も暫くは侯爵家の人間として動かなければならないのは事実だけどね」

「そりゃあまた大変そうだな」

「頼りになる友人も一緒だから何てことはないさ」


 ぱちっとウインクをしたアンゼリカにジョルジュは困ったように笑う。
 目の前で繰り広げられたやり取りにクロウはぱちぱちと目を瞬かせた。


「は? もしかしてお前ら揃ってルーレに行くのか?」

「工業都市だからこそ、今は腕の立つ技師が必要だからね」

「……っていうことみたいなんだ」


 これほど適任な人材はいないだろうとアンゼリカは口角を持ち上げる。
 きっぱり言い切る彼女にジョルジュがこの話を持ちかけられたのは数時間前。悪い話じゃないだろうと言われても最初は戸惑ったけれど「君の力が必要なんだ」と言われたら断れない。相手はあの四大名門――ではなく、他ならぬ彼女の頼みだったから。

 へえと相槌を打ったクロウは軽くグラスを煽って口元を緩めた。


「じゃあそっちはそっちで頑張れよ」

「ああ」


 導力バイクも楽しみにしてる、という一言にも頷く。自分たちが学生時代に取り組んだもう一つの集大成は漸く、量産の話が持ち上がったところだ。
 今の状況を考えるとすぐにとはいかないだろうけれど、アンゼリカが教えてくれたその話は他の何よりもジョルジュの興味を惹いたのは事実だ。だがアンゼリカの話の本命もおそらくこれだろうとジョルジュは思っている。何せ、最後まで自分たちの力で成し遂げようと話した時が一番楽しそうだったのだ。


「それで、君は結局どうするんだい?」


 話に一区切りがついたところで再び話題が戻る。クロウの視線を受けたアンゼリカはふっと口の端を上げて笑う。


「まさかとは思うが、相棒しか乗りこなせないのかな」

「俺は一途だからな」

「一途、ねぇ。だったら尚更第Ⅱに編入した方がいいんじゃないか?」


 意味有り気な発言にやや間を置いて「どういう意味だよ」と聞き返したクロウに「そのままの意味だよ」とアンゼリカが肯定する。一途なら第Ⅱにいく以外の道はないのではないか、と。


「別に俺は――――」

「あ、みんな! ここにいたんだね」


 言い掛けたところで割り込んできた声に自然と視線が集まる。それぞれ違った色を含んだ視線に「あれ、どうかした?」と正に今、話題の中心になろうとしていたトワは首を傾げた。


「丁度いいところにきたね、トワ。今、クロウが第Ⅱ分校にいくかどうか聞いていたんだよ」

「え? クロウくん、分校にきてくれるの……?」


 アンゼリカの話を聞いてきらきらと輝いた目を向けられたクロウは言葉に詰まる。しかし、程なくして彼の口から溜め息が一つ零れた。


「まあそれも有りか、とは思ってる。何か妙な話になってる気もするんだが」

「あ、もしかして分校長が話してた……」


 言い掛けられたそれにクロウは苦笑いで返す。どうやら分校のことで何かあったようだが、話が見えないアンゼリカとジョルジュは一度顔を見合わせた後に二人へと視線を戻した。


「何かあったのかい?」

「……俺は中退してるが不足単位は多くねえしな。何ならそのまま分校にきてくれても構わないとか言われてよ」


 こちらはいつでも歓迎するぞ、と話すオーレリアの姿が目に浮かぶ。ついでにランディからは戦術科の後任になってくれれば助かるという話までされたらしい。きっとあちらはあちらでクロスベル方面でやりたいことがあるのだろう。
 そうなってくると大分解消されてきた分校の人手不足もまた話題に上るわけだ。オルディーネを扱っていたクロウなら機甲兵の扱いも問題ない。それならば、という話になるのもこれなら納得だ。


「ほう。よかったじゃないか、就職先が見つかって」

「まだ決まってねーよ」

「でもそれもいいんじゃない? 教えることについてはともかく、知識と実力は問題ないと思うよ」

「ううん、クロウくんなら教えるのも問題ないと思うよ。前に導力銃のコツを教えてもらったことがあるけど、すごく分かりやすかったから」


 そういえば後輩のテスト勉強に付き合っていたこともあったなとまたも懐かしい記憶が甦る。導力銃を使う者同士、トワがクロウにコツを聞いたのは一年生の頃の話だ。
 こうして考えてみると案外クロウは適任なのではないかと思えてくる。それはアンゼリカも同じだったようで「男ならさっさと決めたらどうだ」という始末だ。アンちゃんと声を上げたトワが本当は望んでいることも最初の反応で気付いているだろう、とジョルジュは隣を見る。

 それに気付いたクロウは一度視線をずらした後にあいていた手でトワの髪をくしゃっと撫でた。いきなりの行動に「わっ」とトワが小さく声を上げる。


「だから、俺は別に行かないとは言ってねーだろ」


 そしてぶっきらぼうにクロウは言った。
 素直じゃない。けれど決して短くない付き合いの上で友人のこの性格はお互いに知っている。

 ぱあっと顔を明るくして「本当!?」と尋ねるトワに「おう」と短く答えたクロウを見ながらジョルジュとアンゼリカも表情を和らげた。


「さて、それじゃあ改めて乾杯をしようか」


 ――それぞれが決めた道の先にある輝かしい未来に。

 うん、そうだね、ああ、と。
 頷いて再び四つのグラスは合わさりカシャンと高い音を響かせた。







ここから再び四人揃って足を踏み出そう