「頼みたいことがあるんだけど」
あまり人に頼みごとをしない幼馴染みに頼られることは素直に嬉しい。だが、いくら鈍いといっても流石にこれはどうなんだ。
「……クロウ?」
何だ、と聞き返したところへ落とされた問題発言に思わず言葉を失った。もはやどこから突っ込めばいいのかも分からないが、何も答えない俺をリィンは不安そうに見つめていた。
やっぱり無理かな、と浮かべられた悲しげな笑みに結局俺は言いたいことの全てを溜め息の一つに込めて吐き出した。
「言っておくが、俺だって世間一般的な男子高校生レベルのモンしか作れねぇからな」
それでもよければ、という意味を込めた一言にリィンの表情はぱあっと明るくなった。
「ありがとう、クロウ」
「失敗しても文句は言うなよ」
言わないよと返すリィンの笑顔を純粋に喜べないのは、今し方したばかりの約束のせいだ。それなら引き受けなければよかっただろうと呆れる自分もいるけれど、力になってやりたい気持ちの方が勝ったのだから仕方がない。この幼馴染みが鈍いことくらい、幼馴染みである俺が一番理解している。
「じゃあスーパーに寄って帰るか」
「うん」
それにしたって自分でも馬鹿だとは思う。好きな相手の誰かへのバレンタインの贈り物を手伝う、なんて。
大好きな君からの
妹は友達の家でチョコを作る約束をしている。母親は用事があって実家。友人に頼むことも考えたけれど放課後はみんな部活で忙しい。もし部活が休みの友人がいたとしても放課後という時点で遅くなってしまうことは確実だ。
そもそも高校は中学と違って色んな場所に住んでいる人が集まる場所だ。同じ中学校の友人さえ殆どいない。俺の場合は幼馴染みのこいつの他に数人、リィンにしても似たようなものだ。
そんな高校の知り合いの中で家も近く、部活動にも所属していない俺はリィンが探していた相手に丁度よかったのだろう。
「そういや何を作るつもりなんだ?」
勝手知ったるキッチンでまずは必要な道具を用意しようと思ったが、リィンにはチョコの作り方を教えて欲しいとしか言われていない。
教えるも何も、俺の考えるチョコの作り方は溶かして固めれば終わり。溶かす時にはお湯を使った方がいい、といったレベルだ。とても人に教えられるレベルではない。
しかし、それでも手伝って欲しいというのがリィンの頼みだった。スーパーでは板チョコをはじめとしたオーソドックスなものを買っていたようだが、これだけの材料があればある程度のものは作れそうだ。もちろん、レシピがあることは大前提だ。
「カップケーキならあまり甘くないよな?」
「ただチョコを固めるよりは甘くないんじゃねえの」
詳しくは知らないが、甘さはチョコの分量でもある程度調節できる。何よりもあまり難しくないものという点で無難な選択だとは思う。それくらいなら俺たちでもどうにかなるだろう。
「甘くない方がいいならチョコじゃなくてもいいと思うがな」
「でもバレンタインはチョコなんだろ?」
「日本ではそうだが、海外では花を贈ったりするモンだし拘ることねーだろ」
相手がそれを理解しているかはともかく、チョコでなければいけない決まりもない。第一、贈り物にケチをつける方がどうなんだという話である。
そこに文句を言う相手なら間違いなくやめた方がいい。好みの問題はあるにしても渡してきた相手にいきなり文句をつけるのはないだろう。そんなヤツに渡すくらいなら――。
「……チョコじゃない方がいいのか?」
聞こえた声にはっとする。今のはどう考えても失言だ。バレンタインのために準備をしようとしている相手に向かって言うことではない。
「ま、結局は気持ちの問題だろ。真面目に考えすぎんなよ」
俺だったら何でも嬉しい、とフォローした言葉の後にはお前がくれるものならという補足がつく。だが、贈り物で重要なのは金額でないことは確かだろう。金額が大きいほど好意の表れとなるのは夜の世界だけだ。
程なくして「そうか」とリィンはほっと息を吐いた。安堵の表情を浮かべた幼馴染みに心が僅かに陰ったことには気付かない振りをした。
「それより、レシピは用意してあるんだろ? ならとっとと始めようぜ」
とりあえず袋からブラックチョコを取り出す。そういえばスーパーでもチョコはどれがいいのかと聞かれたが、甘さを控えめにするつもりだったならわざわざ聞く必要はなかったんじゃないかと今更ながら思う。
そこは好みの問題だろと言ったところで何故か「クロウは?」と聞かれたからブラックだと答えたものの本当にこんな決め方でよかったのか。まあ俺の答えは最初から予想していたようだったから他愛のない会話の一つだったんだろう。
「オーブン使うよな?」
「うん、百八十度だ。でもその前に生地を作らないと」
こうして、幼馴染みの大切な人へ贈るチョコ作りが始まった。
□ □ □
材料を混ぜ、できあがった生地をカップに移し、予めあたためておいたオーブンで加熱する。
あまり難しいイメージはなかったが、実際にやってみると思っていた以上に簡単にカップケーキは完成した。これならリィン一人でも何の問題もなかっただろう。
一緒に料理をする機会なんて滅多にないから、そのこと自体は嫌だったわけではないけれど。これが両親がいないから二人で夕飯を作るとかだったら素直に喜べた、なんて考えるくらいならやはり断ればよかったのだろう。
「クロウ、手伝ってくれてありがとう」
大量にできあがったカップケーキのうち、半分以上はクラスメイトとの交換用になるらしい。うちのクラスでもそうだが、バレンタインは女子が男子に告白するイベントであると同時に女子同士でお菓子作りを楽しむイベントでもあるのだろう。
どちらかというと後者の意味合いの方が強くなってきている気もするのだが、本来の意味からとっくに外れたこの国独自のイベントになっている時点で今更だ。ともかく、ここまでくれば俺の役目も終わりだ。
「どういたしまして。んじゃ、俺はそろそろ帰るから後は頑張れよ」
応援してる、とは言えないが幼馴染みとしての役目は十分果たせただろう。余計なことを言ってしまう前に帰ろうとクロウはさっさと自分の鞄を持った。
「あ、ちょっと待ってくれ!」
呼び止められて、振り返る。
それを確認したリィンは一度キッチンに戻ったが、すぐにまたリビングに姿を現した。手には、可愛くラッピングされた先程のカップケーキがある。その理由はすぐに分かった。
「……クロウ、その」
「ああ、いつもありがとな」
バレンタインは女の人が好きな男の人にチョコを贈る日。
リィンにとって、幼馴染みの男の子は友達として好きな相手だった。だから毎年、バレンタインだからという理由で何かしらのチョコをくれるようになったのは中学に上がってからだ。
それが所謂義理チョコでも、好きな相手からもらえるチョコが俺は嬉しかった。友情としての好きもリィンの心からの気持ちで、いつかそういう意味でもくれるようになったら、と。思ってもいた。
「けど、本命ができたなら俺にチョコは渡さなくてもいいんだぜ」
「え?」
リィンにチョコをもらえるのは嬉しい。でも、どこかの誰かはこれとは違う意味の、俺がずっと欲しかったチョコを受け取る。
その事実を簡単に割り切れるほど、まだ俺は大人になれない。
「バレンタインは好きな人にチョコを贈る日、だろ?」
ぱち、と青紫の瞳が瞬く。そういうつもりでチョコを用意したのなら、もう本当の意味も分かっているだろう。それとこれは別なんだとしても、本命ができたのに幼馴染みだからとチョコは受け取れない。
だけどこれは既に作ってしまったものだ。それをわざわざ突き返すような真似はしない。友情の意味でもリィンの気持ちは素直に嬉しい。ただ、幼馴染みのバレンタインは今年で最後だ。
「じゃあ」
また明日、と。
今度こそ帰ろうとした俺の服を、何故かリィンが掴んでいた。
「リィン?」
珍しい――いや、懐かしいというべきだろうか。小さい頃はまだ遊びたいからとリィンはこんな風に引き留めたことがよくあった。
けれど流石にこの年になってまだ遊びたいからと引き留めたわけではないだろう。そう思いながらリィンの反応を待つ。
「…………好きな人になら、渡してもいいんだろ」
たっぷりと数十秒が経った頃、漸くリィンは口を開いた。だが、その意味をいまいち理解することができなかった。
「……は?」
「好きだったら、クロウに毎年渡してもいいんだろ」
真っ直ぐに、青紫の瞳がこちらを見上げた。じっと、真剣な色を浮かべて。
好きにも色んな意味がある。リィンがこれまで俺に渡してきたバレンタインのチョコも“好きだから”という理由だった。
やはり本命と友情は別だと、そう言いたいのかと思ったけれど。
「俺は、クロウ以外の男の人にチョコを渡す予定なんてない」
どくん、と心臓が鳴る。気がつけば、リィンの頬はほんのりと赤く染まっていた。
驚きで心臓が止まりそうになる。信じられない、というのが正直な気持ちだった。だが、ここまで言われて幼馴染みの言葉の意味に気づかないわけがない。
何よりも、リィンの気持ちはその瞳に映し出されていた。
「…………普通、本命に手伝わせるか?」
「それは……クロウは甘い物が苦手だし、一緒に作れば甘すぎて失敗することもないと思って」
一体いつから幼馴染みの“好き”は変わったのか。少なくとも去年、バレンタインにチョコを渡された時は友達としても意味だった。
そのあとだってリィンの言う好きはいつも幼馴染みとして、友達として、という言葉が必ずついていた。俺の言う好きの意味なんて全く気がついていなかった。いつの間に、彼女の好きは変わっていたのか。
はあ、と溜め息を吐いたらびくっとリィンの肩が揺れた。
その様子に本当に好きなんだな、と。理解して、心がじんわりと熱くなっていくのを感じた。
「それが許されるのは幼馴染みの俺くらいだぞ」
「…………ごめん」
「別にいいって。けど、俺はお前からもらえるなら何だって嬉しいぜ」
どんなに甘くても、たとえ失敗したとしても。
リィンが俺のために頑張ってくれたその気持ちが嬉しい。俺の好みに合わせるために手伝って欲しいと頼まれたことも全てを理解した今は単純に嬉しいし、そんな彼女がただ愛しかった。
「だから、来年も期待してる」
その一言でリィンの表情は緩やかに変化する。
「うん」
目を細めて、柔らかな笑みを浮かべるリィンがずっと、好きだった。そうやっていつでも俺の隣で笑っていたらいいと思うようになったのは中学に上がる前だ。好きになったのはもっと前、出会ったその時から惹かれていた。
でも小さい頃は隣にいるのが当たり前で、この先もずっとそうなんだと勝手に思っていた。そうじゃないと理解した時が、正しくリィンへの恋心を理解した瞬間だった。
「それじゃあ俺は帰るから」
「うん、気をつけて。あ、クロ――」
「そうそう、ホワイトデーは楽しみにしてろよ?」
先回りをして言えば、リィンは小さく笑って頷いた。その笑顔につられるように笑って、俺は今度こそ本当に家を出た。
ぱたんと閉じた玄関の前でそっと、先程受け取ったカップケーキを見る。リィンが初めて手作りで用意してくれたチョコは、これまで何度も欲しいと願っていた本命チョコだった。
そのチョコをしっかりと鞄にしまった俺はすぐ近くにある自宅に向かって歩き出す。さて、ホワイトデーにはどんなお返しをするべきか。そして、どうやってリィンに返事をしようか。
ホワイトデーまで約一ヶ月。
それまでゆっくり考えるとしよう。
fin