「やっぱり女の子はこういうのが好きなのかな」
適当につけていたバラエティで『話題の壁ドン!』という特集が始まったのは、今話題のドラマの紹介が始まったところからだ。
壁ドンとは何か。壁ドンをされてみたいか。
そんなよくある構成の特集を眺めながらリィンがぽつりと呟いた。その声に顔を上げると、テレビへ向けていた視線を手元に落とした幼馴染みはまたスプーンを動かした。
「まあ最近の流行りみたいだし、一種の憧れみたいなモンじゃねーの?」
「そういうものか?」
「そういうものなんだろ。今の街頭アンケートでもそう言ってたし」
実際のところどうなのか、というのを男の俺に聞くのは間違っているだろう。リィンもそれは分かっているようで「そうだな」と相槌を打ってまたテレビの方を見た。
テレビでそんな特集が始まったからだろうが、恋愛に疎い幼馴染みがこういった話題に食いつくのは少し意外だった。正直、壁ドンというワードを知っていることすら意外だ。だが、これだけ話題になれば流石に聞いたことはあるかと思いながら俺は徐に口を開いた。
「何だ何だ。好きな子でもできたのか?」
「……どうしてそうなるんだ。ただ最近よく聞くなって思っただけだ」
リィンの言葉に嘘はないだろう。けれどあえて「へえ?」と聞き返すと、青紫がこちらを向いた。
「クロウこそ、どうなんだ」
「そうやって矛先を変えようとすると逆に怪しいぜ?」
「だから」
分かった分かったとその先を遮る。リィンには呆れたような顔をされるが、壁ドンというワードでそういった話題に流れるのは当然だろう。テレビでも言っていたが、好きな人にされてみたいという女の子たちは盛り上がっているのだ。そうならない方がおかしい。
「んで? リィン君はその壁ドンを試してみたいのか?」
「…………だから、何でそうなるんだ」
「気になるなら試してみた方が早いだろ」
実際にやってみれば女の子たちが憧れる理由も分かるかもしれない。適当にそれっぽいことを並べるとはあと溜め息を吐かれた。
「まずどうやって試すんだ」
「そりゃあその辺の女子に――」
「できるわけないだろ」
自分から言い出したことではあるが、まあそうだろうなと思う。こいつに壁ドンをされて喜ぶ女子ならウチの学校にかなりいるだろうが、こいつの朴念仁ぶりを考えると女子が可哀想だ。それに俺もおもしろくない。
もちろん後者は口に出さないが、それならと別の案を提案する。
「じゃあお前が試してみるか?」
俺の言葉にリィンが目をぱちくりとさせる。
え、と薄く開いた唇から声が零れたのは間もなくのことだ。
「だってお前、女子が憧れる理由が気になったんだろ?」
「いや、そういうことでもないんだが……」
「何事も経験って言うしな。いざって時に役に立つぜきっと」
「……どんな時だ」
「女子とお付き合いをした時だろ」
元々そういう話だっただろうと視線をテレビに向ければ、今度はスタジオに集まった女性陣が壁ドンについて語っていた。女性アイドルグループの子たちは学校でも友達とドラマの壁ドンシーンで盛り上がったらしい。
その様子を見たリィンは開き書けた口を一度閉じた。けれどすぐにまたこちらを振り向いて言った。
「それにしたって、どうして俺がされる側なんだ」
「お前が俺にしたいならそれでもいいけど?」
それを聞いたリィンは再び黙る。どうしてこんな話になっているんだと考えているのかもしれない。理由は今もつけっぱなしになっているテレビなわけだが、今回言い出したのは俺ではない。
「まあここまできたらやってみようぜ」
おもしろそうだろ? という言葉に同意は得られなかった。しかし、ほらと立ち上がって促せば、リィンは仕方なさそうに腰を上げた。リィンとしてはそれでこの話が終わるのなら、といったところだろう。こっちとしてはそれこそ理由なんて何でも構わなかった。
何せ、こんな機会は二度とないだろう。やるにしてもやられるにしても、せっかくの機会を逃す理由がない。
「それで、お前はどっちがいいんだ?」
近くの壁際まで移動して尋ねる。リィンはちらりと壁を見て、そのまま自分の背を壁に預けた。
「クロウの方が背が高いだろ」
「そこは別に関係ねえと思うがな」
相手の方が背が高いということもないわけじゃない。でもそれでいいのならとリィンの前に立つ。
どうしたらいいのかと戸惑うように揺れる青紫にそっと、口元が緩む。可愛いなと思いながら俺は左手を持ち上げた。
「…………」
どんと音が鳴る。瞬間、ばちっと青紫の瞳とぶつかった。
出会った頃から変わらない、透き通るような瞳は相変わらず綺麗だった。
「んで、壁ドンの感想は?」
「…………」
「リィン?」
「……まずい、どきどきする」
どうしよう。
そう呟いたリィンの頬はほんのりと染まっていた。そんな目の前の幼馴染みの姿にとくんと心臓が音を立てた。
――まずいのは、こっちの方だ。
「……クロウ、そろそろ」
「…………」
「クロウ?」
「あー、そうだな。これできっと将来役立つな」
「……役立たないだろ」
本日二度目となる溜め息を吐いたリィンの顔はまだ赤かったが、どうやら少しは調子を取り戻したらしい。食器を片付けないとと言い出した幼馴染みの言葉で俺たちはどちらともなく動き始めた。
本当にこいつの朴念仁ぶりはどうにかならないのか。どうせなら壁ドンではなく俺にどきどきしろよ。
そんな言いようのない呟きを心の中で零した。だが、それが現実になることを俺が知ることになるのはまだ少し先の話だ。
どきどきする
この経験が役に立つ日が来るのか
その答えは――――
『今日の二人はなにしてる』という診断メーカーをお借りしました。
結果は『冗談半分で壁ドンを試す。ふざけていたのに「まずい、どきどきする」とか言い出したので中断。こっちまでどきどきする』でした。