『また、いつかまた。一緒に花火を見よう』


 大切な友人と過ごせる最後の日。その日は丁度この地域で夏祭りが行われる日だった。だからいつものように友人の家を訪ねてお祭りに行こうと誘った。
 沢山の屋台を見て回り、最後は空に打ち上げられる花火をはぐれないようにと繋いだ手を握りしめながら静かに眺めていた。本当にこれで最後、意を決して告げた最後の別れに友は驚いた顔をした。でも、その友に こう言われた時はこっちが驚いた。
 しかし、考えてみたらもう会えないわけではないのだと友人に言われて初めて気が付いたんだ。そんな当たり前のことにも気付けなかった自分にクロウは思わず笑ってしまった。


『じゃあまたいつか、一緒に夏祭りに行くか』


 ひとしきり笑ってから友の言葉を繰り返すと「約束だよ」と青紫が優しく微笑んだ。ああ約束だと返したクロウの口元はゆるりと緩んでいた。
 やっぱりこいつには敵わない。そう思いながら夜空に浮かぶ色とりどりの花を見上げた。あたたかなこの手を放したくなくて、時間が止まれば良いのになんて有り得ないことを考えてしまう。でも本当に、叶うのならこれからも隣にいたかったな、と。闇夜に煌めくその色を見ながら思った。







- side Crow -







「わあ、凄い人の数だね」


 ゼミの課題で集まった帰り、道行く人の中に髪をアップにした浴衣姿の女性を多く見かけた。浴衣を見るとお祭りのイメージが浮かび、もしかして近くで夏祭りをやるのかなと話していた先がそのお祭り会場だったらしい。せっかくだから寄って行こうかと決まるまでそう時間は掛からなかった。


「結構賑わってるみたいだね」

「ああ、事前に分かっていたらトワの浴衣姿が見れたというのに……残念だ」


 いつでもぶれない友人にトワは「もう、アンちゃんったら」と言いながら苦笑いをする。あ、でもとトワは隣を見上げる。


「アンちゃんが浴衣を着るのは見てみたかも」

「私は自分で着るより可愛い子が着ているのを見たい派なんだがね」


 けれど機会があればそのうち、と話すアンゼリカの目的はトワの浴衣姿なのだろう。流石は私のトワだと浴衣を着た彼女に言い切る未来が目に浮かぶ。


「どうかしたのかい?」


 そうしたいつも通りのやり取りをしながら歩く彼女達の後ろでぼんやりと屋台を眺めていたクロウは横を歩くジョルジュに尋ねられて漸く友人達の方を見た。不思議そうに見つめる瞳に「いや」と答え掛けたところで前の二人もクロウを振り返った。


「全く、浴衣姿の女性ばかりを探すのはどうかと思うね」

「してねーよ。つーか、それはお前だろ」

「私がそんなことをするはずないだろう」


 ちょっと目の保養をさせてもらっているだけだというのは何も間違っていないと思うのだが、結局クロウはそれ以上突っ込むのは止めた。
 はあ、と溜め息をついたところで「もしかして体調が悪いとか?」と素直に心配をしてくれる友人にもそういうわけでもないから大丈夫だと返す。それなら良いけれど無理はしないでね、と気遣われてしまったけれど本当に体調が悪いわけではない。


「ごめん。何だかぼーっとしているみたいだったから」


 そして隣からの謝罪に今度こそクロウは首を横に振った。


「いや。祭りなんて久し振りに来たなと思ってただけだ」

「そうなんだ。クロウってお祭りとか好きそうだけど」

「まあ嫌いじゃねぇけど、あんまり行く機会もなくてな」


 正しくは昔ほどお祭りに行きたいと思うことがなくなった。小さい頃は毎年夏はお祭りに行くのがお決まりで、それがとても楽しみだった。隣の家の友人と一緒にお祭りに行って、色んなゲームをして回りながら焼きそばやたこ焼きを半分こにして。あの日もそうやっていつもと変わらない夏の一日を楽しんだ。
 ただ、その夏の日を境にお祭りへ行く回数は大きく減った。祖父に連れられて行ったお祭りも楽しかったけれど隣にあいつがいないことが不思議で、どこか物足りなくて。あんなに楽しかったお祭りが全然違って見えた。お祭りに行きたがらなくなったクロウに祖父は年を重ねて興味も薄れたんだろうと思ってくれたからそれ以降は殆ど行っていない。


(夏祭り、か)


 いつかまた、そう約束した友人も今や高校生になっているはずだ。クロウの中では小学生だったあの頃の姿のまま止まっているけれど背だってそれなりに伸びているだろう。癖のある髪の毛はそのままなのか、でもきっとあの目だけは変わっていないんだろうな懐かしの屋台を眺めながら思い出が甦る。


『どうしていちごにしたんだ?』


 真っ白の氷の山の傍に並べられたカラフルなシロップ。赤はいちご、緑はメロン、黄がレモンで青はブルーハワイ。そこには四種類の味が可愛いイラストを添えて大きく書かれていた。
 うーんと暫く悩んだ友人が選んだのは一番左のいちご味だった。しゃりしゃりと赤く染まった氷を崩しながら一口。また新たに一口分すくって交互に食べる。その合間にどうしていちごを選んだのか気になったクロウが尋ねると友人はきょとんとした後に小さく笑って答えた。


『クロウとおんなじで綺麗だったから』


 友の言葉に驚き、その笑顔から目が離せなかった。
 あの時はマジでビビったなと七種類のシロップが用意されている屋台の横を通りながら思い返す。昔から思ったことは割と口に出していた友人だが、まさか今もそうなんてことはないよなと急に心配になる。小さい頃なら許されてもこの年でも変わっていなかったら天然タラシだ。

 今の友人はどうなっているのか。会いたい、けれどあれから十年。あの町に行けば会えるのかもしれないが、これだけ時間が経ってしまうと気軽に会いに行ってみるかという気にはなれなかった。
 そもそも小さい頃の約束を今も覚えているのか。それに高校生になった今も友人があの町にいるとは限らないだろう。クロウだって今はまた別の街で暮らしているのだ。また、という約束が叶う日は訪れるのか。


「…………悪い、俺ちょっとさっきの店を見てくる」

「え、さっきのって……」

「後で合流するから」


 それだけしか言わなかったクロウに仕方がないといった表情を浮かべたジョルジュは「気を付けてね」と送り出してくれた。心の中で感謝しながらクロウは今来た道を戻った。




□ □ □




 途中、屋台の列を外れた先の道へと方向転換をしたクロウはそのままお祭りの会場を離れてひっそりとした神社の奥へと辿り着いた。樹齢何百年にもなりそうな木々が並ぶ中、見上げた空には無数の星が輝いている。


(やっぱりこの後は花火も上がるんだろうな)


 浴衣には夏祭りのイメージがあったが、花火も夏祭りには付きものという印象がある。美しくも儚いあの花を見ていると綺麗だと思う反面、お祭りの終わりが近付いているようにも感じてどことなく寂しさを覚える。
 中でもあの日は特にそうだった。花火が打ち上げられ、綺麗なそれに皆が釘付けになっている最中。夏祭りの終わりは隣にいる友人と過ごせる時間の終わりでもあると知っていたクロウの胸中は穏やかだったとは言い難い。


「あいつもどこかで花火を見てんのかな……」


 花火を見る度にあの日の約束を思い出す。花火の下で交わした大事な約束と大切な友の顔を。
 重症だと自覚したのはいつだったか。けれど考えてみればあの頃からそうだったのだと気が付くのにはそう時間が掛からなかった。
 ある意味、このまま会えない方が良いのかもしれないとも思う。自分のためではなく友のために。会ってしまったら、戻れなくなりそうだから。


(――なんて、所詮は建前か)


 会えるなら会いたいに決まっている。会えないからこんな言い訳を並べて納得しようとする。納得が出来るかといえばそうでもないけれど。


「いっそのこと、星にでも願ってみるか」


 あいつに、リィンに会いたいと。
 そんな夢みたいな話があるわけないか、と自嘲を浮かべながらもクロウは心の中でそっと呟く。この星空のどこかにいるあいつに会いたい。そう祈った時。


「クロウ……」


 一筋の風が通り過ぎるとともに微かな音を届けた。その声に振り返ると、さっきまでは誰もいなかったこの場所に一つの人影を見つけて息を飲んだ。


(まさか)


 嘘だろ、と目の前の光景を疑いたくなる。だが何度見てもそこには一人の青年の姿があり、どこか見覚えのあるはね方をしたその髪は。
 心臓が五月蝿いくらいの音を鳴らす。一目見ただけで闇夜に浮かぶ影の正体をクロウは本能的に理解した。


(……本当に、叶うものなんだな)


 見つけた、やっと会えた。はやる鼓動を抑えるようにゆっくりと息を吐く。
 それから数歩、足を進めて。


「リィン?」


 久し振りに口にした名前に懐かしさと一緒に多くのものが溢れそうになる。不自然になってはいなかったかと思ったところで勢いよく黒髪が上がる。そして青紫の瞳が真っ直ぐにクロウを映した。


(ああ、変わらないな)


 きらきらと輝くような青紫。同じ紫でも自分のそれとは全く違う、この瞳に引き込まれる。
 緩やかな風が流れ、やがて記憶よりも幾らか低くなった声がクロウの名前を呼んだ。たったそれだけのことに心が満たされて、やっぱり駄目だなと思う。

 やはり、この気持ちは間違いなどではなかったようだ。

 けれど今はただ普通に、友達として十年振りの再会を喜ぼう。そう結論付けたクロウはいつも通りのトーンで「でっかくなったな」と何気ない一言を口にした。
 ――止まっていた時が今、再び動き出す。










fin