「この前買ったヤツか?」


 お風呂から戻ってきたクロウがタオルで髪を拭きながら尋ねた。乱雑な仕草にちゃんと乾かした方がいいぞと指摘するが、これくらい平気だと軽く受け流される。どうせすぐに乾くという気持ちはリィンにも分かるけれど、自分と違って肩ほどあるその髪は乾かした方がよくないかと思う。女性のように気を遣うほどのものではないというのも分かるのだが、少しだけ勿体ないような気がする。


「どんな話なんだ」


 だがやはり本人は気にしていないようで、そのままリィンの横に腰を下ろした。だからリィンもそれ以上言うのは止めて手元の本に視線を落とす。


「お伽噺みたいなものかな。外国の伝承が元になっているらしい」

「へえ。どこの国にも伝承はあるモンだよな」


 この国にも古くからの伝承が多く残されている。今となっては空想上のそれらがかつては存在していた、というのはよくある話だ。
 数日前に買ったこの本もとある国に伝わる騎士伝説が元になっているらしい。人より遥かに巨大な騎士人形とはどんなものなのか。意思疏通ができる彼らと自分ならどんな話をするだろうか、と考えるのも楽しいものだ。


「これは騎士伝説か。巨大ロボは男のロマンだよな」


 隣から手元を覗いたクロウの銀色の髪がさらりと揺れる。その時ふと、感じたそれにリィンは首を傾げた。


「あれ?」

「どうした?」


 疑問が零れたところへすかさず質問が飛んでくる。水気を含んだ髪が煌めいて、その合間から赤紫の瞳が覗く。間もなくして互いの視線が交わった。


「あ、いや」


 瞬間、理解したリィンの口からは否定が出かける。しかし、当然クロウはそれで納得してくれるわけがなかった。


「そこで止められたら気になるだろ」

「大したことじゃないから」

「だったら言ってもいいだろ」


 何せ、大したことではないのだから。
 そう言われたらリィンもこれ以上は逃げられない。実際、隠すほどのことでもない。隠したくなったのは確かだけれど、じっと見つめる瞳に負けて僅かに視線を逸らしながらリィンはそっと告げた。


「クロウも同じ匂いがするな、って」


 思ったんだ、と。答える声はどんどん小さくなっていった。
 恥ずかしいことを言っているという自覚はある。だから誤魔化そうとしたのだ。これまで何度も鈍いと言われ、事実色恋には疎かった。でも、今はもうクロウが好きだと自覚しているから気づいてしまった。

 無言の視線が痛い。居たたまれない気持ちで待つこと十秒近く。


「…………お前」

「大したことじゃないって言っただろ!」


 それでも何だと問うたのはクロウだと。漸く口を開いた幼馴染みに言う。
 しかし、そこで再びクロウを見たリィンは気づく。程なくして、わしゃっとクロウの手がリィンの髪を混ぜた。


「わっ」

「これからは毎日そうだろ」


 一緒に暮らすんだから、とはっきり言葉にされて胸がじんと熱くなる。やがて「そうだな」と小さく頷いたら、ぽんぽんとクロウの手が優しく頭を撫でて離れた。


「だが、それが当たり前になるんだな」


 その声に振り向くと、赤紫の瞳がそっと細められた。熱い眼差しにとくん、と心臓が鳴る。
 一体いつから、この幼馴染はこんな瞳を向けるようになっていたのか。いや、こんなにはっきりとした想いを向けられるようになったのは付き合うようになってからだ。それよりももっと前から、その想いを抱いていたとは聞いたけれど。


「……時々、クロウはずるいよな」

「お前にだけは言われたくねーな」


 そう言って立ち上がったクロウは「お前も何か飲むか?」とリィンを振り返る。それじゃあとコーヒーをお願いすると短く頷いた幼馴染はそのままキッチンへと姿を消した。

 ぱたん、と読みかけの本を閉じたリィンは小さく息を吐いて何とはなしに部屋を見回す。今まで何度か訪れたことのあるこの場所も今日からはリィンの帰る場所だ。
 お邪魔しますからただいまに変わった挨拶にクロウは頬を綻ばせて「おかえり」と返してくれた。おやすみもおはようも、これからは誰より先に伝える。まだちょっと落ち着かないけれど、そう考えただけで心はぽかぽかとあたたかくなる。

 クロウが戻ってきたら明日の買い物の予定を話そう。二人暮らしに必要なものを幾つかと、ついでに献立を決めてもいいかもしれない。
 色違いのマグカップを手に恋人が戻って来るまであと少し。







(共に暮らし始める一日目)