「Trick or Treat」


 言われたリィンはポケットから飴を取り出すと「はい」とそれを渡した。流れるような動作で渡された飴を見たクロウはすぐに青紫の双眸を見た。


「おい、何で持ってるんだよ!」

「何でって、今日がハロウィンだからだろ」


 他に理由なんてない。イベント事が好きな友人がハロウィンという一大イベントを見逃すわけがないとリィンは短くない付き合いでとっくに理解していた。だからこそリィンはあのお決まりの台詞を言われることを想定して事前に飴を用意していたのだ。


「そこはお前、お菓子じゃなくて悪戯を選ぶとこだろ」

「……どうして自ら悪戯を選ばなくちゃいけないんだ」


 誰が好き好んで悪戯をして欲しいと言うのだろうか。誰だって悪戯をされたくないからお菓子を渡すのだろう。世間一般的にもハロウィンのこの台詞は子供達がお菓子を貰うための合言葉のようなものになっている。その主張は明らかにおかしい。
 しかし、どうやらクロウはそれでは納得してくれないらしい。別にお菓子はいらねーんだよとまで言ってしまうのはもはや清々しい。


「せっかく悪戯ができる日だっていうのに……」

「そもそもハロウィンは悪戯をするための日ではないだろ」


 根本的に考え方が間違っていると指摘すると何のための“Trick or Treat”だと思っているんだと言われるが、少なくとも悪戯をするためでないことは間違いない。
 というより、クロウならばそれくらいのことは分かりきっているはずだろう。分かった上で言っているのだから余計に性質が悪いのだが。


「とにかく、お菓子は渡したんだから悪戯はなしだ」


 もしもお菓子を持っていなかったのなら一体どんな悪戯をされたのか。この友人ならどんなことでも悪戯だと言い張りそうなものである。
 流石にリィンもそれに付き合う気にはなれなかった。どう考えても子供のするような可愛らしい悪戯ではないだろう。尤も本場のハロウィンの悪戯というのはなかなかに過激なものでもあるらしいが、それについてはこの際置いておく。


「ちっ、つまんねーな」

「何年付き合っていると思ってるんだ」

「こうなりゃTrick or Trickでいくしかねーか」

「それはもう色々とおかしくないか……」


 悪戯か悪戯。言いたいことは何となく分かるけれど、元の文章に当てはめると明らかに変な文章になる。そのまま単語を差し替えるのなら悪戯をしなければ悪戯をされることもない。おそらくクロウが言いたいことは悪戯と悪戯の二択から選べということなのだろうけれど。


「ハロウィンなのに何もしないとかないだろ」

「飴なら渡しただろ」

「そういうことじゃねーんだよ」


 それならどういうことだとは聞く気にはならなかったが、それならともう一度同じ台詞を繰り返されたのにはもう一つ飴を渡しておいた。
 お前な、と言われてもここまではっきりと悪戯がしたいと言われてどうぞと言ってくれる人なんていないだろう。もしかしたらそのような物好きな人も世界にはいるのかもしれないが、少なくともリィンは遠慮しておきたい。


「いい加減諦めたどうだ」

「いや、お前だって無限に飴を持ってるワケじゃねぇだろ」

「……どう考えても反則だと思うんだが」


 二回目の時点でもルール違反ではないかと思うところなのだが、そこまでして悪戯がしたいのか。一体どんな悪戯をするつもりだったのか。
 気になるけれど聞くのが怖くもあるそれをあまりにしつこい友人に尋ねてみると「そりゃあお楽しみだろ」と教えてはもらえなかった。しかし、やはり可愛らしい悪戯でない気がすると思ったリィンは溜め息を吐いた。


「……どうしてもハロウィンがしたいのか?」

「逆に何でお前はそこまで嫌がるんだよ」

「それはクロウがあからさまに何か企んでるからだろ」

「俺は何も企んでねえよ」


 絶対に嘘だ、とリィンは心の中で零す。本当に何も企んでいないのならここまで食い下がらないだろう。しかし、そこまでハロウィンがしたいというのならば。


「Trick or Treat」


 クロウに代わって今度はリィンがその台詞を口にした。
 そこまで言うならと代わりに問い掛けたリィンに一瞬きょとんとしたクロウは――。


「…………自分だって人のこと言えないじゃないか」


 ごそごそとポケットから飴を取り出してリィンの手のひらに乗せた。もちろん、それはリィンが先程渡したばかりの飴とは別物である。


「お前がハロウィンは悪戯をするイベントじゃないって言ったんだろ。それとも、リィン君は何か悪戯がしたかったのか?」

「クロウがどうしてもって言うからだろ」


 はあ、と二度目の溜め息を吐いたリィンはそろそろ夕飯の支度でもしようかと立ち上がる。だが、それより早く手を掴まれたリィンが足を止められたまま横を見ると。
 ちゅ、と小さく音を立ててクロウの唇は掴んでいたリィンの手首に触れた。

 驚くリィンを余所にゆっくりと唇を離したクロウは、にやと口角を持ち上げて青紫を見上げた。


「……飴なら渡したんだが」

「これは悪戯じゃないからいいだろ」


 暫くして我に返ったリィンにクロウはあっけからんと答える。
 本当にそうなのかと疑いたくなるけれど、何故クロウはわざわざ手首にキスをしたのか。手の甲へのキスに敬愛という意味があることは知っているリィンだが、もしかしなくても何かしらの意味があるのだろう。


「ちなみに、意味は教えてくれるのか」

「それはまた今度」


 そう言ってクロウは掴んでいたリィンの手を解放した。楽しげに笑っているけれどそこにはどんな意味が込められているのか。
 悪い意味でないのは確かだが、結局ハロウィンは関係なくなっているじゃないかと思いながらリィンは今度こそキッチンへ向かう。続けて立ち上がったクロウもそのままリィンと一緒になって夕飯の準備を手伝うのだった。


 ――さて、肝心のキスの意味だが。
 また今度と言っていたその意味をクロウはその夜の内に教えてくれた。ただし、クロウが教えてくれたのは手首へのキスの意味だけではない。
 他にも幾つかあるキスの意味を全部実践しながらリィンが教えられるのはこれより数時間後のお話。







手首へのキスは、欲望

そう教えたら、熱のこもった青紫は
もう全部渡してるだろと呆れたように笑った