「先輩、今日が何の日か知ってますか?」


 尋ねられてリィンは顔を上げる。クロウの視線は手元の書類に落ちたまま、ちらりと見たカレンダーは紅葉が描かれた十月。そして今日はその最後の一日。


「ハロウィンか?」

「そうそう。今日はハロウィンなんですよね」


 どうやらこの答えで正解だったようだが何故いきなりそんな話を持ち出したのか。何よりもどうして敬語なのか。今この生徒会室にはリィンとクロウ以外の誰もいないのだからわざわざ敬語を使う必要などないというのに。
 そう思っていたところでクロウの赤紫の瞳がリィンを映した。それからクロウは徐に口の端を持ち上げると。


「Trick or Treat」


 ハロウィンのお決まりとなっているあの台詞を口にした。
 突然のことに呆気にとられたリィンにクロウはわざわざ「お菓子と悪戯、どっちにします?」と日本語に訳して聞き直してきた。訳して貰わなくともそのくらいの英語ならばリィンもすぐに理解出来たけれど。


「……とりあえず、どうして敬語なのか聞いても良いか」

「別に深い意味はねーけど? ただまあ、世間はハロウィンで盛り上がってるのにお前はよくやるよなとは思ってるぜ」


 敬語を止めて言われたそれは深い意味がないと言えるのか。暗にどうして一人で生徒会の仕事を引き受けているのかと言われているような気がしてならないとリィンは小さく溜め息を吐いた。

 事の発端はたまたまリィンが生徒会の顧問に会ったことにある。これを生徒会室に運んでおいてくれないかと頼まれたリィンは二つ返事で了承した。一先ず運ぶだけで良いと言われたそれはいずれ生徒会で整理をしなければならない資料だったが、それは今リィンが一人でやる必要のあることではなかった。しかし特に用事のないリィンはついでだから片付けてしまおうとそれを持って生徒会室へ向かった。
 だが、その途中で丁度帰ろうとしていたクロウに出会ったのだ。そして話を聞いたクロウは「んなもんまた今度で良いだろ」と言ったのだが「どうせ後でやるなら今やっておいた方が楽だ」とリィンは答えた。そのまま一人で生徒会室に行こうとする先輩をクロウが放っておけるわけもなく、溜め息を吐きながらも後を追い掛けて今に至る。


「ハロウィンを楽しみたいならこれくらい俺一人でも大丈夫だから帰っても――」

「一人で大丈夫なら二人で早いとこ終わらせて帰る方がいいだろ」


 つーか本当にこれ一人でやる気かよ、とは運んできた資料を机に並べた後のクロウの感想である。一人でやったら帰る頃には完全に日が沈んでいるに違いない。二人でやったとしてもそれなりに掛かりそうだ。
 絶対次の生徒会の集まりの時でいいだろうと思いながらもやり始めてしまったからには中途半端にしてしまうのもややこしい。となれば、もう片付けてしまうしかないかとクロウも口を動かしながらこうして資料の仕分けもしている。


「それで、お菓子か悪戯かっつー質問の答えは?」


 すっかり話が逸れてしまったが、クロウは数分前にしたままになっていた問い掛けの答えをリィンに催促した。意味が分かっているのなら答えはYESかNOのどちらかだ。とはいえ、その答えも予想がついているのだが。


「…………持ってないけど」


 予想通りの答えにクロウは楽しげな笑みを浮かべた。そんなクロウの表情にリィンは嫌な予感がする。


「じゃあ悪戯されても仕方ねぇよな?」


 そう言ってかたんと椅子から立ち上がるとそのままクロウはリィンの横まで歩く。
 お菓子か悪戯か、なんて聞いて来た時点で何となくそうなるだろうとは思ったけれど。思いながらリィンは歩くクロウを目で追いかける。それはやがて目の前で止まり、にやにやとした笑みを浮かべるクロウがこれから何らかの悪戯をしようとしているのは間違いなかった。


「……そもそも、お菓子なんて常に持ち歩いている物でもないだろ」

「お菓子の持ち込みは校則違反ではなかったと思いますけどね」


 苦しい主張をしてみるがやはり聞き入れては貰えない。何も変なことはしねーよ、と言いながらクロウの手がリィンの頬に触れる。同時に赤紫の瞳が真っ直ぐにリィンを映した。
 じっと見つめる瞳。それから徐々に縮められる距離。
 リィンは反射的に目を閉じた。けれど、いつまで経っても何もされる気配がないことに気が付いたリィンは恐る恐る瞼を持ち上げる。するとこつん、と額が何かにぶつかった。


「言っただろ。変なことはしないって」


 額にぶつかったのは、クロウの額。それとも何かしたのかと笑うクロウにリィンは自分の顔が熱くなるのを感じた。


「そんなわけ……というか、生徒会室で何をしようとしてるんだ」

「だから何もしようとしてねえって」


 本当にそうなのかは怪しいところだが、言いながらすっと手を離したクロウはどちらかといえば人の反応を楽しみたかったのかもしれない。悪戯とはよく言ったものである。でも。

 そのまま先程まで座っていた場所に戻ろうとするクロウの手をリィンが掴む。
 不思議そうに自分を見る瞳から顔を背けながら、だけどこれだけは言っておかなければいけないとリィンは意を決してゆっくりと口を開いた。


「……その、嫌なわけではないから」


 何が、とは言わなかったけれどきょとんとしたクロウはすぐに理解したのだろう。リィンの言葉を聞いたクロウはふっと笑みを浮かべて「分かってるよ」と優しい声で返したのだから。


「あ、そうだ。ハロウィンだしこれやるよ」


 そう言ってクロウが取り出したのは飴だった。期間限定のハロウィン仕様だというそれは今朝のコンビニで見掛けたものらしい。


「それが食べ終わるまでに終わらせちまおうぜ」


 飴を見て、続いて机の上に並んでいる資料を見て「それは難しくないか?」と判断したリィンに「何とかなるだろ」とクロウは再び椅子に座ってその内の一枚を手に取った。
 そんでもって帰りはまたコンビニに寄ってハロウィン限定のお菓子でも探そうと提案するクロウにリィンも少し考えながらもそうだなと頷いた。

 何せ、せっかくのハロウィンなのだ。仮装をしたりお菓子を貰い歩いたりするわけではないけれど、少しくらい世間と一緒にイベントに乗っかるのも悪くない。それに。


(クロウと一緒にハロウィンを楽しむのもいいかもしれない)


 ――と、思ったのはここだけの話。







二人で一緒に、ハロウィンを探しに行こう