「あ、そうだ」


 はい、と渡されたそれと渡してきた本人をクロウは交互に見る。クロウの手に乗せられたのはどこにでも売っている飴、よく大袋に入っているあれだった。そして渡してきた本人はといえば、それ以上何を言うでもなくいつもと同じように隣を歩いている。


「……まだ何も言ってないだろ」

「まだ、言っていないだけだろ」


 何故いきなり飴を渡されたのかといえば、それは今日が十月三十日――つまりハロウィンだからだ。そしてハロウィンといえばあのお決まりの台詞がある。
 今さっき言ったようにクロウはまだそれを口にしていないが、毎年この日になると言われているそれを幼馴染が言わないわけがない。そう判断したリィンはそれなら先に渡してしまおうと思っただけの話である。


「言ってないのに渡すのは違うだろ」

「結局は同じことじゃないか」

「そういう問題じゃねぇんだよ」


 不満そうに話すクロウにそれならどういう問題なんだとリィンは呆れながら聞き返す。すると幼馴染はあのお決まりの台詞も全部ひっくるめてハロウィンというイベントなのだからただお菓子を貰えればいいという話ではないのだと語った。
 確かにそういう考え方もあるだろう。けれど本当にそうなのかと疑惑の眼差しを向けたのは、この幼馴染が毎年お菓子よりも悪戯目当てにその台詞を口にしているからだ。はあ、とリィンは溜め息を吐く。


「そこまで言うならやり直すか?」


 順序が大切だというのならもう一度初めからやり直してもいい。大袋で買った飴は鞄の中にまだ沢山入っているのだ。やり直したいというのなら付き合っても構わないけれど、そういうことでもないと言われるんだろうなと思ったリィンの予想は見事に的中する。
 そうじゃない、とまたも否定した後。赤紫の瞳がじっとリィンを見た。


「つーか、お菓子より欲しいモンがあるんだけど」


 突然そう言い出したクロウに「もうハロウィン関係なくないか……」とリィンは半目で視線を送る。今日はハロウィンだからお菓子を渡したのであって、何でも欲しい物をあげる日ではない。


「別に高いモンじゃねーよ」

「それこそそういう問題じゃないと思うんだが」


 やけに食い下がるクロウに今度はリィンが言い返す。一体どうしてこんな話になったのか。色々おかしくないかと思うリィンを余所に「なあ」と隣から声を掛けられる。
 これなら最初からあの決まり文句を言われるのを待つべきだったのか。それともどの道こういう話の流れになったのか。考えたところで意味はないが、再び溜め息を吐いたリィンが結局折れた。


「……なら何が欲しいんだ」


 その頼みを聞き入れるかは別として話くらいは聞こう。そうしなければいつまで経っても話が終わらない、と思って折れるのもいけないのだろうか。リィンの頭に僅かにそのような考えが浮かびながらも十年以上こうやってきたのだから今更のような気もした。
 リィンが問い掛けると、クロウはにやっと口角を持ち上げた。ああ、これはまたとんでもないことを言い出すんだろう。そう思ったリィンは正解だが、そのとんでもないことはリィンの予想を遥かに超えていた。


「お前が欲しい」


 一瞬、リィンは幼馴染が何を言ったのか分からなかった。「は?」と思わず聞き返してしまったのも仕方がないだろう。そんなリィンにクロウは「だから、お前が欲しい」とわざわざ同じ台詞を繰り返してくれた。


「…………俺は物じゃないんだが」


 欲しいと言われても困る、と漸くリィンが答えると次はクロウの口から溜め息が零れた。


「お前な、それは色々とおかしいだろ」

「一番おかしいのはクロウだと思うんだけど」

「俺はお前が欲しいって言ってるんだよ。つまり」


 こういうことだと言いながらクロウはリィンの手を引いた。その力に逆らうことなく動いた体はクロウの目の前で止まり、唇を何かが掠めたのは間もなくのことだった。


「お菓子よりこっちが欲しいんだけど、駄目か?」


 一瞬だけ触れた何か。柔らかなそれがクロウの唇だと理解するまでにそう時間は掛からなかった。だが、リィンの頭は突然の出来事に機能を停止していた。


(欲しい? 欲しいって何が……俺が? クロウが、俺を?)


 混乱しながら断片的な情報を繋ぎ合わせていく。駄目かって、何を。いや、俺のことを言っているのか。同じようなところをぐるぐるとしながら、顔を真っ赤にしたリィンは幼馴染を見上げる。


「だ、駄目に決まってるだろ……!」

「何でだよ。俺はお前のことを誰より幸せにする自信あるぜ」

「どこからそんな自信……そもそも俺達は――」

「俺はお前が好きだぜ」


 もうずっと前から。クロウの言葉に「え」とリィンは言葉を失った。真ん丸の青紫を真っ直ぐに見つめてクロウは続ける。


「お前が欲しいんだ、リィン」


 静かな声が二人の間に落ちる。自分を映す赤紫の双眸を見て、幼馴染が決して冗談を言っているわけではないのだとリィンも理解する。
 いや、幾らクロウでも冗談でこんなことは言わない。それは誰よりもリィンが一番知っていた。


「…………いきなり、言われても」


 困ると戸惑いを浮かべながら視線が動くのを見たクロウはふっと優しげに笑った。


「ま、そりゃそうだな。じゃあ試しに一週間、付き合ってみないか?」

「一週間?」


 そう、と頷いたクロウは「といっても特別何かをするわけじゃねーけどな」と左手を持ち上げる。


「朝は一緒に登校して、放課後も待ち合わせして一緒に帰ったり。あとは昼休みに二人で昼飯を食うとか」

「……あまり今と変わらなくないか」


 例を挙げながら指を折っていたクロウはリィンの指摘に「だからそれで良いんだよ」と笑う。俺は今のままのお前が好きなんだからと、言われてリィンはまた顔が熱くなったような気がした。


「それで幼馴染としか見れないっていうなら諦める。だから一週間だけ、付き合ってくれねぇか?」


 見慣れた赤紫がリィンを映す。
 クロウがこんな風に自分に頼むなんて珍しい、けれど本当に……。そう思いながらリィンの視線はクロウの前で止まる。


「一週間、でいいんだな」

「ああ、一週間でいい」


 分かった、とリィンが頷くと「ありがとな」とクロウは微笑んだ。その表情にとくんと心臓が跳ねた、のは今さっき好きなんて言われたからだよな……? とリィンは胸にそっと手を当てながら考える。

 そんなリィンを見て笑ったクロウは「そういや」といつものように他愛のない話題を持ち出しながら止めていた足を動かした。それに合わせるようにリィンもゆっくりと歩き出す。
 あたたかなオレンジ色の夕焼けが二人を照らしていた。







飴より、何より、欲しかったもの
これはただのきっかけ。答えは一週間後に