貴族派と革新派による帝国の内戦が始まり、リィン達士官学院生は赤き翼――カレイジャスで帝国各地を回る日々を送っていた。その中で散り散りになっていた学院生と出会い、その仲間達の協力のお蔭でカレイジャスの各施設も充実していった。
そしてここ、食堂では調理部のニコラス部長がその料理の腕を振るってくれている。いつも彼の作る料理には力を貰っているわけだが、今はそこにリィンが立っていた。
「よし、やってみるか」
一通り材料を揃え、リィンは早速調理に取り掛かる。
数刻前に食堂にやってきたリィンは、食堂を利用している人がいないことを確認した上でちょっと厨房をお借りしたいのですがとニコラスに頼んだのだ。丁度昼も過ぎてみんな食堂を利用し終わった時間でもあり、それなら休憩をしてくるよと彼は快くこの場を貸してくれたのである。
わざわざ厨房を借りたのは、勿論自分で料理をするためだ。何を作るかもここに来る前から決めており、そのレシピ通りに調理を進めていく。
「こんな感じで良いかな」
まずは用意した魚を切り身にし、軽くした味を付けてから小麦粉をまぶす。更に卵とパン粉をつけて油で揚げれば完成。
――そう、今作っているのは魚のフライだ。正しくはこれで完成ではないのだが、一先ずフライは油でじっくり揚げれば完成する。だが、別にリィンはフィッシュフライを作っているわけではない。
「次はソースだな」
ソースというのはフィッシュフライに付け合わせるもの、といっても間違いではない。しかし、それでもこの料理は完成しない。ソースを作ってもまだ用意した材料は残る。
まあ残るといってもチーズやレタス、それからバンズぐらいだ。ここまでくれば何を作るのか見えてくるだろうか。けれど正直なところ、正確なレシピは分からないから想像しながら手探りで作っているのだが。
「んー……本にはこう書いてあったよな」
本で読んだのはタルタルソースの作り方。料理はレシピ通りに作れば基本的には失敗しないはずであり、今出来上がったこれも失敗したというわけではない。なのに何かが違う気がした。
「多分これで良いとは思うけど……」
もう一度ぺろりと味を確かめてもやはり違和感が残る。とはいえ、何が違うのかも分からなければ、誰かに聞こうにもこの場にはリィンしかいない。
いや、仮にここにニコラスがいたとしてもリィンが求めている答えを得られたかは分からない。おそらくタルタルソース自体のレシピは間違っていないし、これはこれで正解だろう。
「とりあえず完成させてみるか」
考えていたところで答えは出ない。そう判断したリィンは先程揚げたフライとタルタルソース、それからチーズにレタスを全部バンズに挟み込んだ。
そうして出来上がったのはハンバーガー――ではなくフィッシュバーガー。普通のハンバーガーでいう肉の代わりに白身魚のフライが挟んである料理で、リィンが以前に一度だけ食べたことのあるものを再現して作ってみたものだ。
厨房を大方片付けてからテーブルにつき、いただきますと両手を合わせてからぱくっと一口。
普通のハンバーガーとはまた違った味を楽しめるこの料理は決して不味くはない。見よう見まねで作った割には成功したといえるだろう。けれども。
「やっぱり、何か違うんだよな……」
食べた時に美味しいとは思える。思えるのだけれど、以前食べたフィッシュバーガーの方が美味しく感じた。――以前、クロウが作ってくれたものの方が。
その違いは味見をした段階で違和感のあったタルタルソースだろう。レシピ通りに作ったわけだが、普通のレシピ通りに作ってもあの味は再現できない。あの時もちょっと珍しい味付けだと思ったから、ここに何かを加える必要があるのだろう。その何かが分からないのだからどうしようもないけれど。
「クロウは何を使ったんだろう」
フィッシュバーガーは、クロウの故郷であるジュライのソウルフードだと言っていた。きっとこの白身魚のフライに合うようなタルタルソースの作り方があるのだろう。
(いつか)
いつか、それを本人に直接聞いてみようか。
今は敵対しているけれど、彼を必ず連れ戻すと心に決めている。連れ戻したらその後で聞いてみても良いかもしれない。何なら、もう一度作って欲しいと頼んでみるのも悪くない。
「待ってろよ、クロウ」
そう遠くない未来に必ずお前を連れ戻す。
改めて決意して、残りのバーガーも食べ終える。使い終えた皿を洗い終えた頃に戻って来たニコラスにもう一度お礼を言って、リィンは食堂を出てまた帝国東部をカレイジャスで回る。様々な依頼をこなしながら、一歩ずつ前へ。
□ □ □
「これでやっと終わりだな」
腕を上げて大きく伸びをしながら見た空は、綺麗な夕焼けに染まっていた。たかが数日離れていただけで変わりのない景色だが、それでもこの景色を見ると帰ってきたという感じがする。
「さてと、夕飯はどっかで適当に済ませちまうか?」
「それでも良いけど、最近そればっかりじゃないか」
「仕方ねぇだろ。家に帰ってねぇんだから」
当然といえば当然のことを言われるが、だからこそ家に帰って夕飯にするのも良いのではないかという話だ。だから今日くらい楽しても良いだろうと言いたげな視線を相棒は向けてくれるが、どうやらこの辺りの考えは相容れないらしい。
「ま、お前が作るってんなら文句は言わねぇけど」
要するにこれから作るのが面倒なのだろう。自分が作らないのであれば家に帰って夕飯にするのでも構わないらしい。
そんな返答にリィンは分かったと頷いて、だけど家には何もないから買い物をしてから帰るという点については向こうも分かってくれた。そうと決まれば近くにある商店へと向かい、さっさと買い物を済ませることにする。
店に入ると多くの商品が棚に陳列されているのが目に入る。その中で食材が並んでいるエリアに移動し、それらを見ながらリィンは夕飯の献立を考える。
「なあクロウ、何か食べたい物とかあるか?」
呼ばれた銀髪は何でも良いというあまり当てにはならない回答をしてくれた。それも食べたいものがないとかではなく、リィンが作るのなら何でも良いという意味なのだろうが、一体どうしたものか。
このクロウという青年は遊撃士であるリィンの相棒であり、かつては同じ士官学院に通っていた先輩だ。それでいて昔はとあるテロ組織のリーダーであり、一時は敵として対立していた仲間。
帝国の内戦で何度かぶつかり合い、お互いに分かり合えたところで彼は命を落としかけたことがあった。しかし彼は蒼の起動者であったことが幸いし、一命を取り留めた後に再びリィンと共に歩く道を選んだ。今ではリィンと同じく遊撃士として各地を回っている。
「つーかお前も疲れてるだろ? そんな凝ったものとかじゃなくて良いぜ」
「料理くらいどうってことないさ。どちらかといえば、何を食べたいか言ってくれる方が有り難いんだが」
言われてクロウも沢山並ぶ食材の方に視線を向ける。野菜に果物、それから肉や魚と一通りの物は揃っているだろう。二人とも料理は人並み程度には出来るわけだが、これだけの種類の食材があれば作れるものの幅も広い。
その中で今食べたい物……あまり手間の掛からない料理はと考える。リィンのことだから何を言っても了承してくれそうなものだが、彼にとって料理を作ることが大変でなかろうと体が疲れているのも事実だ。かといって簡単な料理を挙げても何かを言われそうなものだが。
「そうだな……じゃあ鍋にでもするか? 好きなモン適当に入れてよ」
「……それ、闇鍋じゃないだろうな」
「それはそれで面白いと思うぜ?」
「やらないからな」
鍋というのは良いが、わざわざ闇鍋にする必要はどこにもないだろう。どうせ作るのなら美味しく頂きたいものである。闇鍋がイコールで不味いと繋がるわけではないとはいえ、いざするとなったら何を入れられるか分かったものではない。
「スリルがあって楽しいと思うんだけどな」
「そんなスリル求めてないから」
「分かったよ。ってか、お前は食いたいモンとかねぇのかよ」
ほぼ鍋に決まったところではあるが、人の意見を聞くばかりで自分の食べたいものを言っていない相棒にクロウは問う。返ってくる言葉は大方予想が出来ていたが、そういう奴だと知っているからこそクロウはあえて尋ねた。
「いや、俺は――――」
「人のことばっか気にしないで、食いたいモンがあるならそれで良いんだぜ」
これはもう性格だと分かっているからあえて突っ込みはしないけれど、一言くらいは言っておいても良いだろう。言ったところで今日の夕飯は鍋で決まりのようなものだとしても。
案の定、リィンは「そう言われてもな」と困ったような表情を浮かべた。まあクロウも本人が良いのなら良いかと結局溜め息一つで終わらせてしまう。こんなやり取りは今に始まったことではないのだ。
「そんなら鍋の材料買って帰るか」
「そうだな。…………あっ」
じゃあこれと、と食材を手に取ろうとしたところでクロウはその手を止めてリィンを振り返る。
「どうした?」
「いや、大したことじゃないよ」
「大したことじゃないなら言えよ」
明らかに何かを隠されれば気になる。実際に大したことでないとしても、何か思ったことなり思いついたことなりがあるのだろう。
リィンも別に何かを言おうとしたのではなく、ついあることが頭に思い浮かんで声に出てしまっただけだ。本当に大したことではないから今言うこともないだろうと思っているのだが、目の前の赤紫がそれを許さず。最後は本当に大したことではないことを前置きしたうえでそれを口にした。
「前にクロウがフィッシュバーガーを作ってくれたことがあっただろ?」
「ああ、パンタグリュエルで会った時か」
どうして今そんな話を持ち出してきたんだとは思いつつ、クロウは「んで?」と先を促す。真っ直ぐに向けられる視線に耐えきれず、視線を逸らしながらもリィンは続ける。
「あの後、もう一度食べたくて自分でも作ってみたんだけど、クロウが作ったのとは何か違ってたんだ。それで、クロウはどうやって作ったのかって聞こうと思ってたんだけど……」
あれから内戦はさらに激化し、それはもう多くの出来事があった。今でこそ普通に話しているけれど、一時は本気でこの友人を失ったかとさえ思った。けれど彼は生きていて――という表現も実際は間違っているのだが、詳細については省かせてもらう――共にに遊撃士の道を目指した。
そんな様々なことがあって今まで忘れてしまっていたけれど、あの時クロウを取り戻した後で聞こうと思っていたことをふと思い出したのだ。それでつい声が出てしまった、というわけである。
「それを今思い出したってだけで、深い意味はないんだ。だから良かったら今度――」
「はあー……。お前は本っ当にバカだな」
盛大な溜め息が出る。今それを思い出しただけで深い意味はないという言葉は本心だろうが、それならそれで言えば良いのにとクロウは思う。おそらく最初にクロウがこれから料理をするのは面倒だという態度を取ったことも一因だろうが、言うだけ言ってみても良いのにと。それもやはり性格なのだろうけれど。
「良いぜ、作ってやるよ」
「え、でも」
「自分の故郷の料理をまた食べたいなんて言われたら作ってやりたくなるだろ」
お前だってそうではないのかと尋ねるように言えば、リィンも確かにそうかもしれないけれどとこちらの言おうとしていることは理解してくれた。
それでも悪いと言いたげなリィンだったが、食べたいのか食べたくないのかと聞かれれば食べたいと答える。その答えを最初から言えば良いんだよと笑って、クロウは必要な食材を手に取っていった。
そんなクロウにリィンも素直に甘えることにする。人のことを甘いだ何だと言うけれど、クロウも俺に対しては十分甘いよなと、リィンは心の中でこっそり思った。
□ □ □
「そらよ、出来たぜ」
買い物を終えた二人は現在借りているアパートの一室に帰ってきた。最初は別々に部屋を借りるつもりだったのだが、今回のように暫く家を空けることもあるだろうし、ルームシェアをすれば家賃も半分浮くということから割とその場の流れで決まった。
その部屋に戻ったクロウは早速キッチンに立ち、先程買ってきたばかりの食材を使ってフィッシュバーガーを作った。やはり作り慣れているもののようで、手際よくあっという間に出来上がった。
「ありがとう、クロウ」
「あーいいって。それより早く食えよ」
元はリィンが夕飯を作るという話だったことや、帰って来たばかりで疲れているだろうという意味の込められたお礼なのだろう。ああは言ったけれど、クロウだってこれくらいの料理はどうということもない。そんなことはいちいち気にしなくても良いのに本当に真面目だよなと思う。
いただきますと両手を合わせてからフィッシュバーガーをぱくりと食べる。普通のハンバーガーとはまた違う、魚の風味が口の中に広がっていく。
「やっぱり、クロウが作ると美味しいな」
そして、白身魚のフライに上手く絡み合うタルタルソース。前にリィンが作ったのとは違う、ちょっと変わったそれがとてもよく合っている。
「そりゃどーも。まあこの俺様が作ったんだから当然だけどな」
そう話すクロウの言葉をリィンは正にその通りだなと思いながら聞く。
ジュライでは珍しくないのかもしれないが、この辺りでハンバーガーといえば間に肉が挟まったものを連想する。挟んであるものが違うだけでレシピもほぼ同じであることは間違いないが、ただそれっぽく作ってみてもこの味は再現出来なかった。本場を知っている人にしか作れない味だ。
「俺が作った時は全然違ったんだけど、どうやって作ってるんだ?」
「大体はお前の予想通りだと思うぜ」
「見よう見まねで作ったらそれっぽくはなったけど、クロウのとは全くの別物だったな。このタルタルソース、珍しい味付けだよな?」
リィンが自分で作った時、レシピ通りのはずなのに一番違和感を感じたのがこのタルタルソースだ。初めて食べた時もちょっと珍しいなと思ったのだ。ここに何か秘密があるのだろうとリィンは予想している。
しかし、言われたクロウはといえば「んー」と少し考えるような仕草を見せた。
「確かに、普通とはちょっと違うのかもな。店で買えるモンやちゃんとした店で食うモンとは違うし」
市販にソースとして店に販売されている物、それから一流の料理人が作る物とは当たり前だが違う。この二つだって同じ味ではない。やはり一流の料理人が作る物の方が市販で量産されているものよりも美味しいだろう。
だが、クロウが言いたいのはそういうことではない。市販に出回っている物、プロが作る物と自分で作る物は違う。それは言うまでもないことであるが。
「けど、俺にとってはこれが“普通”なんだよな」
あ、とリィンもクロウの言おうとしていることが分かった。昔を懐かしむように浮かべられた笑みを見て、思わず「すまない」と謝れば「おいおい、何でお前が謝るんだよ」と困ったように笑われた。
「別にお前が謝ることはねぇだろ。ただ俺は特別なモンを作ってるつもりはないっつーか、普通に作ったのがこれなんだよ」
何か普通の作り方と違うことをしているのではない。クロウにしてみれば、これが普通に作った結果の物なのだ。その工程の中で一般的な作り方との違いはあるのかもしれないが、その一般的な作り方を知らないから何とも言えないだけなのだ。
何も悪いことはしていないというのになんだか申し訳なさそうな顔をするリィンに、クロウはどうしたものかと考えながら頭の後ろを掻く。故郷のことでは色々あったけれど、今はクロウの中でも整理がついている。リィンがそんな顔をする必要などないのに。
「あ、なら今度お前も作ってみろよ」
そうだ、そうすれば解決するじゃないかとクロウはリィンに提案する。
唐突に提案にリィンはつい「え?」と聞き返した。どうしてそういう話になったのかと言いたげな表情に、だからとクロウは説明を加える。
「お前が作るのを見れば、何が違うか分かるだろ? 料理の幅も広がって丁度良いじゃねぇか」
料理の腕を磨くことは悪いことではないだろう。誰かに振舞う機会があるわけでもないが、料理が出来て困ることはない。知識が増えれば、その分だけ料理のアレンジも広がっていく。クロウにしてもリィンにしてもそれは同じで、リィンもずっと気になっていたことが分かる。正に一石二鳥というやつだ。
「どうだ。悪くねぇだろ?」
予想外の発言にきょとんとしたリィンだったが、ニッと口角を持ち上げて笑うクロウを見てくすりと笑みを零した。
「そうだな。じゃあその時はクロウも一緒に作って教えてくれ」
「おう、任せときな」
二人で並んで料理をする。いつもお互いに手伝ったりはしているけれど、そうやって教えてもらいながら料理をするのも悪くないだろう。各々でタルタルソースを作って、お互いに作った物を交換して食べてみるのも良いかもしれない。作り方はその過程の中で教えれば良いのだ。
「いやー楽しみだな。リィンが作るフィッシュバーガー」
「そんなに楽しみにされても困るんだが。どうやったってクロウが作る物には勝てないだろうし」
「料理は勝ち負けじゃねぇだろ。大事なのは気持ちだって言うじゃねぇか」
そもそも勝負をするわけでもないし、気持ちがこもっているのならそれで十分だろう。むしろそれ以上のものはない。料理とはそういうものだ。
「つーワケで、期待してるぜ?」
どこか楽しげに笑うクロウに、リィンも小さく笑って「ああ」と頷いた。
秘密は普通で特別なモノ
(それは懐かしい故郷の味)