村の外れにある古びた洋館。そこは妖怪が出ると噂の幽霊屋敷だ。入ったら最後、二度と日の目を見ることはできない。だから絶対に近づいてはいけないと人々は口にする。
 けれどリィンは今、その洋館の前に立っていた。門には蔦が絡み、建物からはおどろおどろしい雰囲気が漂っている。ここに人が住んでいるとは考え難い。それこそ、妖怪が住み着いていたっておかしくはないと思えた。


「…………」


 誰か、人でも妖怪でもここに住んでいるのだろうか。それとも誰も住んでいない空き家か。
 できれば後者だとありがたい。仮にここが空き家だとしても無断で立ち入るのはよくないことだ。しかし、リィンには他に行く場所がなかった。
 昨今まで暮らしていた村には戻れない。別の村に行ってもきっと、同じことが起こる。どこにも行けない。行く場所がない。また追っ手に捕まればそれで最後だ。

 意を決して顔を上げる。呼び鈴らしきものは見当たらず、幾らかの罪悪感を抱きながらもギィと音を立てながら門を押す。
 門の外から見たまま、庭と思われるその場所には雑草が好き放題伸びている。落ち葉もそこら中に落ちていて、お世辞にも手入れがされているとは言えない。その落ち葉に隠れた石造りの道を進んで辿り着いた先は玄関だ。


「すみません、誰かいらっしゃいますか?」


 コンコンと扉を叩いて声をかけるが反応はなし。視線を落としたところで目に入ったドアノブを回してみると、ガチャリとドアが開いた。


「……すみません」


 住人がいてもいなくても、鍵をかけないなんて不用心ではないか。そう思う反面で鍵が開いていてよかったと安心もした。
 軽く扉を開けながら声をかけてみてもやっぱり反応はない。何の気配も感じないあたり、本当に空き家かもしれないと考えながら、慎重な足取りで中に入る。

 広い玄関ホールはこの建物の外観を見たままといえるだろう。そこに飾られている壺やらは骨董品だろうか。あまりそういったことにリィンは明るくないが、おそらくこの館の主が趣味で集めたものだと思われる。
 建物の大きさからして、最初にこの館を建てた主は富豪だったのかもしれない。中も外と同じく手入れは行き届いていないようだが、ここなら見つかる心配はない。


(隠れたところで、行き場も何もないけど)


 反射的に逃げて、気がついた時にはこの場所に辿り着いていた。捕まれば自分に待っているのは死だけだ。
 正直、生きる理由があるかと聞かれたら返答に困る。けれど死にたいか、と言われたら死にたいわけではない。
 ……ないけれど、この先どうしたらいいのかも分からない。自分が死んだところで困る人もいなければ、悲しむ人だってきっといない。でも。


「お客さんなんて珍しいな」


 突然どこからか聞こえてきた声にリィンはびくっと肩を揺らす。そのまま声のした方を振り返ると、銀髪の青年がゆっくりと階段から降りてきた。
 まずい、と思う。本当に人がいるとは思わなかった。いや、いてもおかしくはないのだが、一応声をかけてから入ったとはいえ相手からすれば不法侵入者みたいなものだ。


「すみません。声はかけたんですが返事がなかったので――」

「ああ、いいって。気づかなかったのはこっちだしな」


 まず謝罪を口にしたリィンを青年はあっさりと受け入れてくれた。どうやら青年は普通の来客だと思ってくれたらしい。
 もしも人がいなかったら勝手に住まわせてもらおうなどと考えていたことは青年にバレるわけにはいかないが、未来永劫とはいわずとも少しの間寝泊りできる場所は必要だ。その場所にここは最適だが、そのためにはまず、この青年をどうにか言いくるめなければならない。


「それで、お客さんはこんなところに何の用だ?」


 人を騙すのは心が痛いが、そうしなければ生きていけない。これは生きていくために必要なことだ。
 そう自分に言い聞かせながらリィンは人がいた時のために予め用意していた言葉をそのまま口にした。


「あの、道に迷ってしまって……。暫く泊めてもらうことはできませんか?」

「別に構わないぜ」


 森の中で道に迷う可能性は十分に考えられる。だから今晩泊めて欲しい、と頼むのなら不自然ではないだろう。けれど一晩だけでは困るリィンは、突っ込まれることを覚悟で暫く泊めてもらえないかと正直に頼んだ。
 そんなリィンの予想とは違い、青年はあっさりとその言葉を受け入れた。あまりの即答にリィンの方が驚いてしまう。


「どうせここには俺しかいない。一人くらい増えたってどうってことねーよ」


 どうやら青年があっさり泊めてくれると言ったのはそれが理由らしい。どうせ部屋は幾らでも余ってるんだ、と青年は横を見た。おそらく、そちらには余っているという部屋が幾つかあるのだろう。


「まあこんな場所だし、大したもてなしはできないけどな」

「もてなしなんてそんな……泊めてもらえるだけで十分です。ありがとうございます」


 一瞬、青年の瞳が寂しげに見えた気がしたが、次の瞬間には最初と変わらぬ瞳の色に戻っていた。そのことに微かな疑問を抱きつつもリィンは一先ず寝泊まりできる場所を確保できたことに心の中で安堵した。


「泊めてもらうお礼になるか分かりませんが、俺にできることがあれば言ってください」

「んな気を遣わなくていいって。そういやお前、名前は?」

「リィンです」

「リィン、な。俺はクロウ。よろしくな」


 はい、と頭を下げたリィンにクロウは「敬語じゃなくていいぜ」と言った。年もあまり変わらなそうだし、という言葉に嘘を吐いている罪悪感がまたちくりと胸を刺したが、ここで否定をするのもおかしいかと思ったリィンは「分かった」と頷く。


「家の中は自由にしてくれて構わない……って言われても困るか。とりあえず、適当な部屋に案内するぜ」

「ありがとう」

「礼はいい。どうせ持て余してるモンだからな」


 そう言って歩き出したクロウに続いてリィンも足を進めるのだった。







ここから二人の青年の物語が始まる