調査のために立ち寄った山奥で貴族連合と遭遇し、一定の距離を保ちながら開けた場所まで移動した先で帝国解放戦線に出会ったのは偶然だった。
そのことにリィンたちは驚いたが、それは向こうも同じだったらしい。驚きに開かれた赤紫を認めてすぐ、リィンは彼らが対峙しているのもまた貴族連合だと気がついた。
だからリィンはクロウの元へと駆け寄り、一時休戦を持ちかけた。お互い、今争うべき相手は他にいる。その提案を今回はクロウもすんなりと受け入れてくれた。
そうして、貴族連合を相手に戦闘を繰り広げている最中のことだった。
「リィン!!」
ぐら、と足場が崩れたことを理解した時には既に遅かった。
仲間たちが呼ぶ。幾つもの声が一斉にあちこちから聞こえてくる。せめて体勢を整えなければ、と必死に頭を働かせようとした正にその時。
「C!?」
別の声がリィンの耳に届いた。反射的に顔を上げたリィンの視界に白銀が飛び込んできた。
「手ェ伸ばせ!!」
言われるまま伸ばした手をクロウの手が掴んだ。瞬間、ぐいっとリィンの体は引き寄せられた。クロウ、と呼びかけようとした声は「黙ってろ!」と遮られ、リィンはそのままクロウに抱きしめられる。
全身で浮遊感を感じる中、ざーと勢いを増した激しい音が辺りに響き渡る。そこへ混じる何発かの銃声と、自分たちを呼ぶ仲間の声。
一時の交差
「クロウ!!」
体に衝撃が走る。しかし、その衝撃思ったほどではない。
だがそれも当然だ。この友人はリィンの体を左腕で抱きかかえ、空いていた右手で降り注ぐ大きな岩を打ち壊した。そして、地面につく瞬間にはリィンのことを庇ったのだ。
急いで体を起こしたリィンは今度こそクロウの名前を呼んだ。
「お前、怪我は――」
「俺は大丈夫だ! 今すぐティアラルをかけるからじっとしててくれ!」
有無を言わさない態度でARCUSを取り出したリィンに、何かを言いたそうにしながらもクロウは結局口を噤んだ。
ぽぅと淡い光がクロウを包む。本当はきちんと手当てをしたいけれど、流石に今回は治療道具を持ち合わせていない。せめて少しでも怪我が和らげばいい。そう祈るように導力魔法を唱えたリィンは自分にもアーツを発動させてからARCUSをホルダーに戻した。
「…………どうして、庇ったんだ」
しんと静まり返った世界でリィンは問う。足場が崩れたのはリィンのいた場所だった。そこが崩れたことで徐々に周りも崩れ始めたが、本来ならクロウは落下を免れたはずだろう。
しかし、この友人はわざわざ落下するリィンの元へと駆け寄った。それどころかリィンを庇い、自分が怪我をしている。
もしも立場が逆だったのなら、リィンも迷わずクロウへと手を伸ばしただろう。いくら自分も危険な目に遭うとしても大切な仲間が落ちるのをただ見ているなんてできない。でも、敵対する立場になったクロウはこれまで何度もリィンのことを敵だと言い続けた。
「……今は休戦中だろ」
だから手を貸しただけだ、と。本気でそう言っているのだろうか。
「休戦を持ちかけていなかったら助けなかったのか?」
「ああ、そうだ」
嘘だと思った。こういう咄嗟の状況で誰もがすぐに動けるわけではない。仲間たちもリィンのことを気に掛けた。それはいきなり飛び出したリーダーを見た彼の仲間たちも同じだろう。
けど、あの僅かな時間で自らの危険も顧みずに飛び込んできたのはクロウ一人だ。考える時間なんてないに等しい中、そこまで考えていたなんて思えない。あれはもう、条件反射だ。
「……今は休戦中だったよな」
呟いた一言に赤紫の瞳がリィンを映した。
「休戦は一時的に戦いを止めることだ。別に仲間ってわけじゃない」
「それは必ずしも協力関係になるわけでもないよな?」
状況的には、共通の敵に対する一時休戦。その上で協力関係のようなものでもあるが、休戦と協力はイコールで結ばれるものではない。言ってしまえば、この休戦はクロウがリィンを助ける理由にならない。その指摘にクロウは視線をリィンから外した。
「……お前にとって俺は敵だが、俺にとってお前は敵じゃない」
「俺はずっとクロウは仲間だって言っているだろ」
敵だと言い続けているのはクロウであってリィンではない。リィンは今まで一度だってクロウのことを敵だと言ったことはない。
二人の間に流れる沈黙。それが今の自分たちの関係を表しているのだろう。クロウが作ろうとしている、自分たちの関係を。
「…………前にくだらないことは考えるなって言ったの、覚えてるか?」
聞こえてきた問い掛けに顔を上げる。
いつの間にかクロウはまた、リィンを見つめていた。
「俺のことなんかさっさと忘れちまえよ」
その方がお前も楽だろ。言葉に含まれたニュアンスにリィンの中で何かがふつふつと湧き上がる。少し前までの戦闘の音は一切聞こえない。それだけ深いところまで落ちたのだろう。
今、ここにいるのは自分たちだけ。それが今、クロウがこの話を持ち出した理由なら。
「……忘れられないから、取り戻したいんだ」
あっさり忘れて切り替えられるのなら、こんなに必死に追いかけない。大切だから追いかけるのだ。
クロウの言うくだらないことはリィンにとって大切なことだとこの前も答えた。やっぱりクロウは何も分かっていない。いや、分かろうとしてくれない。ぎゅっと握った手のひらに爪が食い込むのが分かった。
「俺は――」
「お前は勘違いしているだけだ」
何を、言っているのか。
言われた言葉の意味も、その表情の意味も、全部理解して。とうとうリィンは耐えられなくなった。
「どうしてクロウはいつも俺の気持ちを勝手に決めつけるんだ!?」
同じ学校の先輩で、クラスメイトでもあって。大切な仲間で悪友。敵だなんて一度も思っていない。敵だと言われても否定をし続けて、それなのに。
「…………リィン」
「クロウ。今度こそ答えてくれ」
この前は結局答えてもらえなかった。だけど、その答えをどうしても知りたかった。
だからもう一度問う。
「俺に何を望んでいるんだ」
敵であって欲しいわけではないだろう。敵になろうとしているのはクロウだ。そのために彼が切ったはずの繋がりは今も確かにここにある。
矛盾をしているのはリィンではない。もう分かってしまった。あの日、クロウが自分を敵だとはっきり宣言したから。全て、分かってしまったのだ。
「…………」
長い沈黙が続く。リィンはじっと、クロウが答えるのを待った。
どれくらいの時間が流れただろうか。目を閉じたクロウが再びリィンを映した時、彼は近くにあったリィンの手を勢いよく引いた。そして、三度目の熱が交わった。
「……忘れてくれ。今までのこと、全部」
それからそっと、告げられた一言にリィンは眉を下げて笑った。
「酷い話だな」
「酷いヤツと付き合わなくてよかったじゃねーか」
「よくないから責任を取ってくれ」
四回目。混ざり合う熱からクロウは逃げようとはしなかった。
ぽたり、空から落ちてきた雫が頬を伝う。ぽつぽつと雨が降り出したことなど気にも留めず、ただ目の前の相手を求めた。
「……バカだろ、お前」
は、と息を吐いたところでクロウが言う。
「クロウに言われたくない」
「お前の方がよっぽどバカだぜ」
「だからクロウには言われたくない。俺だってずっと、苦しかった」
あの時、この気持ちを自覚しなかったとしてもいずれ気がつく日はきただろう。遅かれ早かれ同じ結論に辿り着いたのだ。そうでなければこんなに胸が痛くなるわけがない。クロウに否定される度に胸の痛みが増して辛かった。
だけど多分、クロウも辛かったのだ。それは彼の表情がずっと物語っていた。そのことをクロウがよしとしなかったから決して交わることはなかったけれど、とっくにこの気持ちは一緒だった。敵でいたかったのならあの行為がそもそも間違いだったのだ。
「俺はお前を幸せにしてやれない」
「俺の幸せは俺が決める。クロウは、本当はどうしたいんだ」
それは他人が決められるものではない。少なくともリィンが幸せになるためにはクロウが必要だった。
もし、クロウが幸せになるためにリィンが邪魔だというのなら。話はまた変わってくる。けれど、そうではないだろう。クロウはリィンが自分の敵ではないと認めた。前回、あれが嫌がらせだったのならリィンの方がクロウの敵だと言ったにも関わらず。
ざーざーと雨が強くなる。
水を含んだ髪の毛が顔に張り付く。ぽたぽたと、雨が頬を伝う。そうして零れた雫がクロウの頬を流れていく。
薄く開いた唇を結んだクロウは何も言わずに左手を伸ばした。リィンもそれを素直に受け入れる。雨で冷えた体が熱を求めるのか、先程よりも深く唇を交わした。
「……俺はお前たちのところには戻れない」
それも分かるだろうとクロウは諭すように話す。彼が望みを口にせず、それだけを答えるわけもそこにあるのだろう。リィンだって何も知らないほどの子供ではない。
けど、もはやリィンにとってはそれはどうでもよくなっていた。言葉にしなくてもクロウは既にリィンの問いに答えてくれた。ここまでくればあとはシンプルな問題だ。
「俺がクロウの方に行く」
「だからお前にはそんなこと――」
「それなら方法を考えてくれ。帝国解放戦線のリーダーは恐ろしく頭が切れるって話だ」
「……無茶苦茶言いやがるな」
できないのか? と挑発的に尋ねる。
やがて、はあと溜め息を吐いたクロウは「わーったよ」とぶっきらぼうに答えた。それから彼の手はリィンの頬に触れた。
「本当に、いいんだな?」
真剣な瞳がリィンを見つめる。そんな友人にリィンはそっと微笑んだ。
「俺は最初からそう言ってる」
「……そうだったな」
クロウの指先が優しく頬を撫でる。その顔を見て、もう大丈夫だと安堵した。
「――ィン、どこにいるの!?」
「リィン! クロウ! いたら返事をして!?」
遠くから聞こえてくる仲間たちの声。そちらを振り向いたリィンに「行けよ」とクロウが囁く。
「怪我の手当ては必要だろ」
「何度も言わせんな。今更、お前との約束を違える気はねぇよ」
五十ミラの利子も残ってるしな、と友が笑う。それを見たリィンは以前のように食い下がろうとはしなかった。
分かった、と。それだけを言って立ち上がる。
「クロウ」
足を踏み出す前に一度振り返ったリィンは、友を見つめていった。
「ありがとう」
ぽかんとした表情でクロウがリィンを見る。程なくして、彼はさっきよりも大きな溜め息を吐いた。
「礼を言うのはお前じゃねぇだろ」
「そんなことないさ」
通り雨だったのか。あんなに強かった雨はいつの間にか上がっていた。
またなという言葉に「ああ」と返ってくるのを聞いたリィンは今度こそ歩き出した。あの日からずっと、追い続けていた未来に向かって。
――それはやっと、二つの想いが交差した瞬間