コンコンとノックの音がする。ドアを開けるとそこに立っていた友人は少し出かけないかと問いかけた。
今日一日、小旅行で訪れたこの街でみんなそれぞれ思いのままに過ごした。トワは生徒に誘われて一緒に街を歩きながら色んなお店を見て回った。そうして時は流れ、太陽が沈んだ窓の向こうでは星が輝いている。
夕食も終えた今、どこへ何をしに行くのか。
聞けば、普通に答えてくれるのかもしれない。だけど彼の言葉を聞いた時点で答えが決まっていたトワは「ちょっと待ってて」と必要最低限の準備をするために部屋に戻った。
そうしてトワは友人と共に夜の街へと繰り出した。
星空の下の約束
夜になっても賑やかな街の中を歩いて行く。徐々に中心から離れているような気がしていたが、木々が生い茂る森の中へ進み始めた時点でそれは気のせいではなかったのだと知る。
迷いなく進んでいるのだから当然、目的地はあるのだろう。けれどそろそろ聞いてもいいだろうかとトワは口を開いた。
「クロウ君、この先に何かあるの?」
「あと少しで分かるぜ」
街頭こそないもののなだらかな坂道は歩きやすい。足を進めて行くにつれて自然の音がよく聞こえるようになってくる。
普段過ごしているリーヴスや長年暮らしてきた帝都とは違うその音は、前を歩くこの友人にとっては馴染み深い音なのかもしれない。
「着いたぜ」
立ち止まったクロウが振り返る。顔を上げた瞬間、さーと大きな音を立てて通り過ぎた風がトワの髪を揺らした。
髪を押さえたトワの瞳に映ったのは、どこまでも続く海と無数に光り輝く星々。
「綺麗……」
思わず感嘆が零れる。そんなトワにクロウは小さく笑みを浮かべた。
「ここは明かりが少ないから星がよく見えるんだ」
どうやらクロウの目的はこの星空だったようだ。いつも見ているのと同じようで違う空に目を奪われる。
「珍しいものでもねぇが、好きだろ?」
「覚えててくれたんだ」
「まあな」
ひとつ、ふたつと幾つかの星座を見つけて視線を下ろす。間もなくして自分を映す赤紫の瞳とぶつかった。
「ありがとう、クロウ君」
素敵な場所に案内してくれて。
お礼の気持ちを伝えると「いや」とクロウは首を振った。
「礼を言うのは俺の方だ」
予想外の言葉に「え?」と疑問を浮かべる。ぱっと今日一日のことを振り返ってみたけれど、これといって思い当たることはない。
お礼を言われるようなことなんてしただろうか。そう考えたトワの横でクロウは空へ視線を投げた。
「お前等がいなければ俺は今、ここにはいなかっただろうからな」
あっ、と思う。その一言でクロウの言おうとしていることを理解した。
理解したからこそ、ゆっくりと口を開く。
「みんなのお陰で今があるのは、わたしも同じだよ」
思ったままに口にしたトワにクロウは眉尻を下げて笑う。
「それとこれは違うだろ」
「そんなことないよ」
士官学院に入学してから今日まで、本当に色々なことがあった。楽しいことも苦しいことも、多くを乗り越えて今がある。
その傍らには、かけがえのない仲間の存在があった。学生時代も卒業してからも仲間たちに助けられてきたのは同じだと、話すトワの気持ちはクロウにも伝わっているだろう。それだけの時間を自分たちは共に過ごしてきた。
「……変わらないよな」
「クロウ君だって変わらないよ」
「そうか?」
「うん」
変わらない、ともう一度繰り返す。
さーと小波が揺れる音が静かな世界ではよく聞こえた。
「……なあ、トワ」
呼びかけに応えるように振り向く。
「俺、暫く旅に出ることにした」
その言葉に驚かなかったといったら嘘になる。でも、それが彼の出した答えなのだと理解するのに時間は要さなかった。
なんとなく、彼らしいなと思ったトワはふっと頬を緩めた。
「そっか。クロウ君なら大丈夫だと思うけど、あまり無茶はしないでね」
「お前こそ、根を詰めすぎるなよ」
分かっていると笑う。学生の頃も似たようなことを言われたなぁと懐かしくなる。やっぱり変わっていないのはクロウも同じだ。
でも、何もかもがあの頃と変わらないわけではない。それもお互いに分かっている。
「ねえ、クロウ君」
だからこそ、下ろした瞼をゆっくりと持ち上げて尋ねる。
「待っててもいいかな?」
意を決して告げた言葉にクロウは目を見張った。
潮風が銀糸を揺らし、さざめく波の音が耳に届く。一度目を閉じたクロウはやがて、トワを真っ直ぐに見つめるとそっと、目を細めた。
「ああ、待ってて欲しい」
必ず会いに行く、と。続けたクロウにトワは微笑む。
世の中には言葉にしないと伝わらないこともある。だけど今の自分たちにはこれ以上の言葉はいらなかった。
ささやかな、けれどとても大切な約束。
「小旅行、付き合ってくれてありがとう」
「別に礼を言われることじゃねーよ。それより星のこと、教えてくれよ」
「うん、もちろんだよ」
すっと空に向かって手を伸ばす。あのね、と話し始めたトワの声にクロウは静かに耳を傾ける。それはゆっくりと流れる穏やかな時間。
不意に、一筋の光が空を流れて海を滑る。
密かに願いを込めてちらと隣を見たら赤紫の瞳とぶつかった。そしてどちらともなく笑い合う。星に願った想いが同じだったらいいなと、そう思いながら。
fin