いつも忙しそうにしている生徒会長。それが生徒会長の仕事であることは分かっているが、それにしたってあれこれ仕事を抱え過ぎではないだろうか。勿論他の生徒会メンバーも忙しそうにしているが、そのメンバーでさえ会長は働き過ぎだと言うくらいだ。実際、この学校で誰より一番働いているのは彼女だろう。時には教師の仕事も手伝っているという。


「今日も忙しそうだな」


 放課後、彼女を探して迷いなく足を運んだ先は生徒会室。生徒会長である彼女が放課後にやってくる場所といえばこの教室だ。調べ物の為に図書館に行っていたり、職員室まで届け物をしている時もあるが基本的にはここに居る。だからクロウは真っ直ぐにここへとやってきた。


「色々とやらなくちゃいけないことはあるからね」

「それは分かるけどよ。ちょっとくらい休憩しねーか?」


 現在も机の上で書類を片付けている会長に提案すれば、少し考える素振りをしてから「じゃあちょっとだけ」と頷いてくれた。こちらが最初からそのつもりで生徒会室を訪ねて来たことは分かっていたのだろう。
 生徒会メンバーでもないクロウが生徒会室を訪ねる用事といえば、こうしてトワを何らかの理由を付けて休ませることだ。そうでもしないとこの生徒会長はなかなか休んでくれないからと、彼女の友人であるクロウやアンゼリカなどはその為に生徒会室へとやってくる。


「そういや、今日はポッキーの日らしいぜ」


 十一月十一日、数字の一が四つ並んでいるこの日は世間でポッキーの日と呼ばれている。学校に来る途中で寄ったコンビニでも『今日はポッキーの日!』とデコレーションされたポップの下に色んな種類のポッキーが並んでいた。
 ポッキーの日ということで定番のポッキーは普段よりお安い値段となっており、それを理由に多くの学生がこれらを購入したのではないだろうか。製菓会社の陰謀だろうと楽しめれば良し、ということでクロウが片手に持っているのもポッキーである。


「でも、本当はポッキーとプリッツの日なんだよね」

「まあ細かいことは良いだろ」


 ほいと差し出されたそれをありがとうと言って一本貰う。どっちだろうと売れりゃあ良いんだろと言っては元も子もないが、それを建前に訪ねてくれた友人にトワは笑みを零す。両方とも美味しいと思うと言えば同意が返ってくるのだからそういうことなのだろう。


「ポッキーの日といえば、ポッキーゲームなんかも定番だよな」


 クロウはさらっと口にしたが、流石にそれは定番ではないだろう。ポッキーゲームという遊びはそれなりに有名ではあるが、ポッキーの日にやることの定番なんていう話は聞いたことがない。
 だから「それはちょっと違わない?」と言ったのだが、クロウは「ポッキーがあるならやっとかなきゃだろ!」なんて楽しげに返してくれる。そういうものだろうか、と一度考えてみたがやっぱり違うだろう。


「そんなことないと思うけど……。というか、クロウ君は誰とするつもりなの?」


 先程から話題に上がっているポッキーゲームというのは基本的に二人でやるものだ。一本のポッキーを二人が両側から食べ進め、先にポッキーから口を離してしまった方が負けという至ってシンプルなゲームである。
 シンプルなゲームではあるが、先にも言ったようにこのゲームは一人では出来ない。ポッキーゲームが定番かどうかはさておき、彼がそれをやりたいというのは分かった。しかし最低でも二人は必要なこのゲームを彼は誰とやるのだろうか。

 トワの純粋な疑問にクロウは口角を持ち上げる。そんなの決まっているだろうと言いたげな顔で当然のようにクロウは言った。


「そりゃ、今ここには俺とお前しかいねーし?」


 今日、今生徒会室にいるのはクロウとトワの二人だけだ。もしもここでそれをやろうとするなら相手は必然的に決まる。クロウとトワ以外に誰もいないこの場所で彼の相手が出来るのは……。


「ええっ!? だ、駄目だよそんなの!」


 漸く理解をしたトワは慌てて断る。何でだよとクロウは言うけれど駄目なものは駄目だとトワは繰り返す。
 何せ、ポッキーゲームというのは先に口を離した方が負けというゲームだ。逆にいえば、口を離さずに最後までやりきった場合にはお互いの口が触れ合うことになる。言い換えれば、キスをすることになってしまうのだ。
 いくら遊びとはいえ友人と、それも異性の相手とキスをするなんてというのがトワの言い分である。外国では挨拶でするものでも、この国では違うそれをたとえゲームでも軽々しくするものではない。


「ただのゲームだろ」

「ゲームでも駄目だよ!」

「よく罰ゲームとかにもあるじゃねーか」

「それはしょうがないけど、やっぱりこういうのは友達じゃなくて好きな人とかとやるものだと思うし……」


 だから駄目と主張するトワの頬はほんのりと朱に染まっている。それを可愛いなと思いながら見ているクロウは笑みをさらに深くする。


「なら良いだろ。俺だって好きな相手でもなければ誘ったりしねえよ」


 クロウの言葉に「え」と声を漏らしてトワはぽかんとした顔をする。
 たかが遊びの一つ。そう言ったのはクロウ自身だがそれも所詮は建前でしかない。罰ゲームでもないのにポッキーゲームをしようなんて誰彼構わずに言ったりしない。目の前にいるのがトワだったからこそ、クロウもそれを口にしたのだ。


「ま、無理にとは言わねーけど」


 言いながらクロウは袋からポッキーを取り出して食べる。いくらクロウがやりたいと言ったところでトワが嫌だと言うのならこのゲームは成り立たない。それなら仕方がないと諦めるしかないだろう。
 先程の発言から頭が追い付かないトワだったが、ふと何かが頭に引っ掛かった。彼はポッキーの日を理由に休憩に誘って、それを理由にポッキーゲームをしないかと提案して。最初は前者の理由を建前にここへ来て、後者は単なる思い付きのおまけだと思ったけれど、彼の話を聞いているとなんだか……。


「……あの、クロウ君」


 何だと聞き返してこちらを見る赤紫。見慣れたその色はいつもと何ら変わりのない色を浮かべている。けれど、さっきの話を聞いているとなんだかポッキーゲームの方が目的のようにも思えてきて。それが冗談や遊びではなく、彼の言ったように好きな相手だから誘ったのだというのなら。


「クロウ君って、その…………」


 わたしのことが好きなの? とはなかなか口に出来なくて。だけどさっきのはそういうことになるんじゃないかと思いながらももごもごと言い淀んでしまう。
 赤く染まった頬は少し前のそれとはちょっと違う。口元を緩めたクロウはまた一本、袋からポッキーを取り出して黄緑を見つめる。


「せっかくだし、一回くらいやってみねぇ?」


 改めて言われたそれは勿論ポッキーゲームのことだ。ポッキーの日だからなんて都合の良い言い訳をして誘ったその真意はトワの想像通り。好きだから誘った、それだけのこと。


「い、一回だけだよ……?」


 真っ赤な顔でそう答えたトワにおうと頷いたクロウは取り出したばかりのポッキーをそのまま咥える。おどおどしながらもトワも反対側を口に含み、それからどちらともなくポッキーを食べ始めた。

 少しずつ食べても徐々に互いの距離は縮まる。そういうゲームなのだから当然といえば当然だ。十センチほどあった距離が九センチ、八センチと近付き、残り五センチにもなればもう目の前だ。最初こそ開けていた目も照れや恥ずかしさからすぐに閉じてしまった。
 そして四センチ、三センチと距離は縮まり――。


「あっ」


 ポキンと小気味よい音と同時に聞こえてきた声。トワが瞼を持ち上げると、気まずそうな友人の顔が目に入った。


「いやー、意外と難しいもんだな」


 すぐにいつもの調子で笑って流したクロウだが、どこかぎこちないそれに「クロウ君」と名前を呼ぼうとした時。不意に視線を落としたクロウは「あ、やべっ」とポケットから携帯を取り出していた。


「ノート返すっつって忘れてた」

「えっと……? 誰かにノートを借りてたの?」

「ああ、今日中に返す約束でな。明日提出の課題もあるし、やっぱ今日じゃないとダメだよな……」


 しょうがない、駅まで持ってくかと言いながらクロウは立ち上がる。幾らか操作をした後に携帯は再びポケットにしまわれた。おそらく今から持って行くとでも返信したのだろう。


「悪いトワ、そういう訳だからちょっと行ってくるわ」

「あ、うん。気を付けてね」


 まだ話したいことはあったのだが、友人を待たせているのなら引き留めるのも悪い。残っているポッキーは適当に食べてくれと言ってクロウは手を振る。そんな彼をトワもまた明日ねと笑って見送った。

 ――クロウが生徒会室を出て行ってから十数秒。
 静かになった部屋の中でふうと息を吐き、トワはテーブルに残されたポッキーへと視線を向ける。開けっ放しの箱には半分ほどのポッキーが残っていた。


(冗談、じゃないんだよね……?)


 さっきのあれもその前の彼の発言も。冗談や嘘でないことは友人として二年以上付き合っているトワにも分かる。そしてこれは夢でもない。これは紛れもない現実だ。
 思い出したらまた顔が熱くなってきた気がする。結局ポッキーゲームは失敗――もとい折ってしまったクロウの負けで終わったわけだが、彼の反応を見ればそれがわざとでないことは間違いない。


(どうしよう)


 トワが生徒会室の椅子に座ったままそう考えている頃、校庭で運動部の横を通り過ぎようとしていたクロウも同じことを考えていた。
 ポッキーの日を理由にあそこまでやったはいいけれど最後まで出来なかったのは、クロウにその一歩を越える勇気が最後の最後でなくなってしまったから。トワが目を瞑っていてくれて良かったとはあの時のクロウの心の内である。余裕があるように見せかけても実際はかなり緊張していたし、自分の心臓の音は五月蝿いくらいに聞こえていた。


(次会ったらいつも通りに……)


 出来るだろうか。そもそもいつも通りで良いのだろうか。しかし、はっきりしたことはまだ何も言っていない。ただ、今回のことでほぼ確信に近いくらい相手の気持ちは分かってしまった。自分の気持ちについてはとっくに気付いている。だからこそあのポッキーゲームである。
 オレンジ色に染まる空を見上げ、若者たちは考える。彼は、彼女は、今何を考えているのだろうかと。お互いに相手のことを考えているとは露知らず。







(一歩の距離が踏み込めない)