「クロウが泣いてるところが見たい」
その言葉にクロウは雑誌を捲ろうとした手をぴたっと止めた。そのまま頭を上げると、いつの間にか本をテーブルの端に置いていたリィンがクロウを見つめていた。
「……リィン君にそういう趣味があったとはな」
「違うから」
十年近く一緒にいるがお兄さん初めて知ったぜ、と冗談めいて言うクロウにリィンは溜め息を吐く。
「クロウが泣いているところを見たことがない気がして」
「俺だってお前が泣いてるとこなんて……あ」
ない、と否定しようとしたクロウの言葉が止まる。何となく察してしまったリィンは冷たい視線を目の前に向けた。
そういうのはいいから、と言えばぱたんと雑誌を閉じたクロウがソファに背を預けた。
「ならお互い様だろ。つーか泣き顔なんて見たいモンでも見られたいモンでもねえと思うんだが」
「……クロウが泣くところが全然想像できなかったんだ」
「別に想像しなくていいぜ?」
クロウが言うとリィンはそういうことではないのだと首を横に振った。けれどその後に言葉は続かない。
そもそも何でこんな話になったのかと疑問を抱いたクロウが認めたのはテーブルの上に置かれた本。巷で話題になっているらしいそれは正にそのままの言葉で薦められたのだという。内容は確か――涙なしでは見られない感動の物語だったか、といつぞや聞いた宣伝文句をクロウは思い出した。つまりはお涙頂戴の展開があったのだろうが。
「お前が何を思ったのかは知らねぇが、役者じゃねーんだし泣こうと思って泣くのはできないからな」
「そういう話でもないんだが……クロウは、泣きたい時でも泣かないんじゃないかと思ったんだ」
「何だそりゃ」
あくまで想像だけど、と言ったのは実際に見たことがあるわけではないからだ。しかし、クロウを見ていると何となくそんな気がした。その上ポーカーフェイスも上手いのだから隠されたら大抵の人間は気付けないだろう。
でも、それはとても寂しい。全てがリィンの想像だけど、きっとクロウ自身はそれを良しとする。そう思ったのは、決して短くはない付き合いで友を知っているからだ。そして。
「俺の前だけでも、泣いたらいいのにって思ったんだ」
年上だからとか、先輩だからとか。そういうことは関係なく。みんなの前でも隠すなとは言わないから、せめて自分の前だけでも見せてくれたら。
学院時代も途中から同輩になり、今では同僚だがこの年齢差だけはどうあっても埋まらない。遠慮をするような性格ではないけれど、年上であるためにクロウがリィンに見せようとしない一面はある。これもきっと、その一つだとリィンは思っている。クロウの言うように見られたいものでもないのもあるだろうが、それ以前に人には見せないようにしている部分だと。
(……成程な)
そんなリィンの指摘に暫し呆けたクロウは、ややあって小さく息を吐いた。
「そもそも泣きたいことや泣きそうなことが少ないだろ」
泣いているところが見たいというよりも前にそういう状況になることがまずない。実際、ここ数年を振り返ってもクロウの中にそういった記憶はなかった。数年どころか十年くらい遡ってもないだろう。泣きたいと思ったことも、泣きそうになったことも。
けど、リィンの言いたいことはクロウも理解した。要するに、この後輩は――。
「ま、お前が俺のことを好きだってことはよーく分かったぜ?」
「…………そうやってすぐはぐらかす」
「はぐらかしたんじゃなくて泣きたいことがまずねぇんだよ」
本当かと怪しげな視線を向けられるが、こればかりは事実なのだからどうしようもない。涙脆い人がいるのならその反対もいる、というだけの話だ。
かといってリィンの言ったことが完全に間違っているかといえばそんなこともないけれど、そこはお互いに今後は気を付けるとして。視線を上げた赤紫が青紫を捉える。
「それに」
すっ、と伸ばした手は程なくしてリィンの頬に触れる。真っ直ぐに自分を映す瞳にクロウは小さく笑みを浮かべた。
「俺としては泣き顔より笑顔の方が見たいな」
こんなにも自分を想ってくれている、大切な人にはいつだって笑っていて欲しい。
リィンが言いたいのはその相手が辛い時は辛いと、悲しい時には悲しいと言って欲しいということだろう。もちろんそれについてはクロウも同意見だが、その上で笑っているところが一番見たい。そしてそれを分かち合えたら。
「……クロウはずるい」
「お前には言われたくねぇな」
「俺は何もしてないだろ」
無意識のうちにさらっと人を落とすような発言ばかりする天然ほど怖いものもないだろう。何気ないリィンの発言をこっちがどんな気持ちで聞いていると思っているのか。
――なんて言わないけれど、相手の言動に振り回されているのはお互い様だ。言うまでもないがそれが嫌だという話ではない。
ふっと緩めた口元につられるように微笑みが浮かぶ。やっぱりこういう顔の方が見ていたい。そう思ったのもお互い様。
「でも、考えてみればクロウは怒ることもあまりないよな」
「それをお前が言うのか?」
リィンがクロウを怒らせるようなことがまずない。そしてリィンが怒ることも滅多にない。怒られたいわけでも怒りたいわけでもないけれど、喜怒哀楽のいいところをたくさん共有できるのはとても幸せなことだろう。言うまでもないが、残りの半分も共有することを前提として。
「なあ、リィン」
俺も一つ言っていいかと、聞いたら返事の代わりに唇を奪われた。
「……ったく、ずるいのはどっちだ」
「これはさっきの分だろ」
そう言って笑い合い、クロウがそっと伸ばした手に今度はリィンも素直に目を閉じた。
触れて、笑って
こうして幸せを分かち合おう