「やっぱ勿体ねぇよな……」
そんな声が聞こえてきて顔を上げると赤紫と目が合った。独り言のような気もしたけれど「何がだ?」と聞き返してみたら「お前」と言われてリィンの頭上にはクエッションマークが浮かぶ。
「えっと……だから何が?」
自分が勿体ないと言われてもこれだけでは意味が分からない。足りない言葉を求めて尋ねたリィンにクロウは「それ」とまた曖昧に返した。
それ、では分からないと言いたいのが伝わったのだろう。はあと溜め息を吐いた幼馴染みはきちんと体を起こしてリィンを見た。
「スカート、何で穿かねーの?」
やっと明確に言葉にされてリィンもクロウの言いたいことを理解した。唐突だなとは思ったが聞かれたからにはリィンも質問に答える。
「何でって、似合わないからだけど」
「似合うと思うぜ」
「ああいうのは可愛い子が着てこそだろ」
「だから似合うと思うって言ってんだろ」
しれっと言った幼馴染みにリィンの顔はほんのりと赤く染まる。けれどそういうことを言うのはクロウぐらいだ、とリィンは目を逸らしながら返す。
そんなことはない、とクロウが言ってもこの幼馴染みは頑なに聞き入れてくれない。けれどクロウがリィンを好きであることを除いてもリィンは可愛い。本人が気付いていないだけで昔から彼女は周りから沢山の好意を寄せられていた。それはリィンの見た目によるものより内面的なところによるものの方が多かったのだろうが、可愛いというのも理由の一つになっていたのは間違いないとクロウは思っている。
「制服はスカートだったろ」
「制服は仕方ないだろ。着ないわけにいかないんだから」
「じゃあたまにはスカートを穿いても良いじゃねーか」
良くないとリィンはばっさり切り捨てる。絶対に着なければならない制服はどうしようもないが、似合わないのが分かっているものをわざわざ着ようと思う人はいないだろう。たとえたまにだとしても進んで着たいとは思えないというのが正直なところだ。
「なら俺が見たいからスカートを穿いて欲しい」
だが次いで出てきた言葉にはリィンもぐっと詰まる。似合わないと知っていてもクロウに、好きな人に見たいと言われたら少なからず心が揺れてしまう。
でも似合わないからと逃げようとするリィンに「絶対に似合う」とクロウは言い切る。可愛いのにズボンしか穿かないなんて勿体ないだろ、と漸く話が最初に繋がった。
「けど――――」
「今度の休み、一度だけで良いから試しに着てみろよ」
一日で良いからさ、なんて聞かれたら駄目と言うことも出来ず。一度だけならとリィンは了承した。
けれどスカートなんて持っていないと伝えたら、デートの最初に買ってそれを一日着てくれれば良いと言われた。デート、とはっきり言われると恥ずかしくなるが自分達は付き合っているのだから間違ってはいない。分かったとリィンが頷くと次の休みはちゃんと空けとけよと恋人は小さく笑みを浮かべた。
□ □ □
来たる土曜日。朝食と一通りの家事を終わらせた二人は十時前には家を出た。それから約束通りにクロウは真っ先に服屋へ向かった。一応希望は聞かれたけれど特に何もなかったリィンはどうせ一日限りなのだからとそこもクロウに任せた。そうしてやってきたのは街中のとある服屋さん。
「ここって……」
そう呟いたリィンに他の店が良いかとクロウは問う。窓際に幾つかの服がディスプレイとして飾られている小さな服屋は別段珍しくはない。それこそどこにでもある、二人もよく通る道にあるごく普通のお店だ。
「いや」
「なら入るか」
この店にやってきたのはただそれだけの理由だろう。そう片付けたリィンはいらっしゃいませと笑顔の店員に迎えられた。
一直線に目的の売り場に向かう恋人を追い掛け、どれが良いかと聞かれてもどうしたら良いのか。試着はするだろという質問には頷いたが、試着なら幾らでも着てくれるのかという質問にはほどほどにしてくれと頼んだ。サイズが合わなければ困るから試着は必要だとしても着せ替え人形になるのは遠慮したい。
「んじゃとりあえずミニからいっとくか」
「ちょっと待ってくれ、それは流石に……」
いきなりハードルが高すぎる。リィンがそこまで言い終わるより前に「冗談だよ」とクロウは笑った。着てくれるなら見てみたかったけどなと言いながらクロウは比較的長めのスカートが並んでいる辺りを見始める。リィンも自分で少しは眺めてみるが、やっぱり似合わない気がするという気持ちが強い。
一度着ればクロウだって分かってくれるだろう。そう思って了承したわけだが、クロウはどんなスカートを選ぶつもりなのか。何だかんだでクロウはリィンの嫌がることはしないから今日だって絶対に嫌だと言っていたらクロウは無理強いはしなかったに違いない。でも恋人がそう言ってくれるなら、と思ったから今日だけは女の子らしい格好をしてみても良いと思えたというのはここだけの話だ。
「一先ずこんくらいのとこからいってみるか?」
いつの間にかスカートだけではなく上まで持ってきたクロウから洋服を受け取る。それから試着室へ移動し、早速着替えたリィンは鏡に写る自分を見て何だか変な感じがした。
慣れないな、というのがリィンの中で出た最初の感想。似合わないよな、というのが次の感想。大人しめのゆったりとしたスカートそのものは悪くないけれど、どうにも自分に不釣り合いのような気がする。
「クロウ、やっぱり……」
「やっぱ派手なのよりそういう方がお前には似合うよな」
派手なのも悪くはねぇだろうがお前は苦手だろ、とリィンの話を聞かずに喋るクロウは次はこれだとまた別の服を差し出した。すっかりタイミングを失ってしまったリィンは「試着室にそんなに持ち込めないだろ」とすぐそこの張り紙を横目に指摘する。すると着替えたら次にこれを着てくれれば良いと当たり前のように返されて、元からそういう約束だし今日だけだからと諦めることにした。
それから二、三回ほど似たようなやり取りを繰り返し、クロウはリィンが試着をする度に必ず褒めた。でもこれはさっきの方が良いか、何かワンポイントに付けるのも良いかもなと言いながら服を選ぶクロウは楽しそうだ。高校生の頃は学園祭であちこちに首を突っ込んでいたようだし元々こういったことが好きなのだろう。
「そういえばクロウはこういうのが好みなのか?」
ここまでリィンは全てクロウが選んだ服を試着しているが、色々と試すのかと思ったらどれも似たような系統の服ばかりを渡されている。となればこういう服が好きだと考えるのは普通だろう。
しかしきょとんとした幼馴染みはやや時間を開けて「まあそうだな」と中途半端な答えを返した。そのことにリィンが首を傾げると服を探しながら幼馴染みは続ける。
「お前に似合いそうなのとお前が着てくれそうなのを探してるけど、結局は俺の好みだな」
まあ好みは服どうこうじゃなくてそれを着てくれる奴の方だけどな、と赤紫がリィンを映した。
――つまり、クロウの好みは先程のような服ではなくリィン自身。リィンが着てくれるのなら何でも良いと言ってしまえる幼馴染みにリィンの方が顔を赤くした。
よくそういうことを言えるなと呟いたらお前ほどじゃないと返された。けれどいまいちピンとこないでいると幼馴染には溜め息を吐かれたが、クロウの方がいつも人のことを可愛いとか言ってくるだろうとリィンは思う。
「まあそれともかく、後はこれ着てみろよ」
別の服を見繕ったらしいクロウからそれを受け取ったリィンは手元の服を見て目を見張った。
「これ…………」
「多分今までのどの服よりお前に似合うと思うぜ」
そう言って幼馴染みは優しく微笑んだ。そんな幼馴染みに向けていた視線を落とした先にあったのは先週までは入り口のディスプレイに飾られていたのと同じスカート。
ただの偶然。いつも通る道にあるお店から適当に選んだだけだと思ったけれど、どうやらこの恋人には見られていたのだと今になって知る。先週、この道を通ったときに何となく目に留まったスカート。可愛いけれど自分には似合わないだろうなと思いながら見ていたことに気付かれていたなんて、時間にしたら十秒にも満たない僅かなものだったというのに。
ちらと視線を上げると赤紫にぶつかる。これが最後だからと言われて、幼馴染とそのスカートを見比べたリィンはゆっくりと試着室に入った。
「…………やっぱり、今日着た中で一番似合ってるな」
今までより幾らか時間をかけて開かれたカーテンの向こうから姿を表した恋人にクロウは目を細めた。
可愛いと思ったこのスカートを着てみたいと全く思わなかったわけではない。でも自分には似合わないからという気持ちは強かった。クロウはどう思うだろう、とも少なからず考えた。けど最終的には止めておこうというところに落ち着いたそれを実際に着ることになるなんて考えてもしなかった。
「今日の約束、覚えてるよな?」
「……まあ」
「お前は気に入らねぇ?」
「そんなことはない、けど」
「ならそれ着て欲しい」
クロウの言葉に少し考えながらもリィンは分かったと頷いた。お前が自分で選んだモンが一番似合うと思ったんだよなと話す恋人にリィンの顔からは一向に熱が引かない。
これじゃあお会計が出来ないだろと言ったら今更だろと返されて更に顔に熱が集まった気がした。全部を聞かれていたわけでないにしろ微笑ましそうにこちらを見る店員の顔が見れない。仲の良い幼馴染み、とは思われていないだろう。店内で騒いでいたというほどではないけれど常識外れのカップルと見られていないことを願っている間にクロウは会計を済ませる。
そのまま店員に了承を経て着替えると「行くぞ」と恋人に手を引かれた。お騒がせしましたと笑顔の店員に頭を下げて店を出たら燦々と輝く太陽に照らされる。
眩しい、そう感じたのは外に出た一瞬。クロウに手を引かれるまま、おそらくは次の目的地に向かってリィンは足を進めながら小さく息を吐いた。
「もうあのお店には行けないな」
「んな気にしなくても平気だろ。何なら俺も付き合うし」
それは止めてくれと言ったのはクロウと一緒が嫌なのではなく、彼が目立つ容姿をしているためにあの時のとすぐに思われてしまいそうだから。高い身長に銀色の髪、顔だって良いこの幼馴染みは小さい頃から目立っていたのだ。
尤も、昔は今ほどの身長差はなかったのだがこればかりは仕方がない。昔からかっこよかった幼馴染は今も変わらずにリィンの隣にいてくれる。そして今も大きな手はリィンを導いてくれる。
「あ、そういえばお代……」
「あー良いって。俺が着て欲しいって頼んだんだから」
でも着るのは俺だろうと言うリィンに「けど一日だけなんだろ?」とクロウは隣を見た。元々そういう約束でリィンは普段着ないスカートを穿いている。
一日しか着ないのに、それも頼んで着てもらったのにお金を出して貰おうなんて考えるわけないだろうと話す恋人はそこで一度言葉を区切った。
「……だけどもし、今日一日それで過ごしてまた着ても良いって思えたら。その時はまたそれを着て欲しい」
だから良いよ、とクロウは笑う。それにたまにはこういうのも良いだろ? と恋人はぎゅっと手を強く握った。
恋人の言葉にリィンは僅かに顔を逸らした。ドキドキと心臓が音を鳴らす。嬉しさと恥ずかしさが入り混じった感情をどうしたら良いのか分からない。
「さてと、この後のことだがお前は行きたいとこあるか? 特になければこのまま一日俺に付き合ってもらうことになるぜ」
いつも通りに尋ねられてリィンはちらと横を見る。昼は少し前に出来た新しい店があるからそこに行ってみないかと提案され、ちょっとだけ気持ちが落ち着く。幼馴染のさり気ない気遣いに心の中で感謝しながらリィンはふっと口元を緩めた。
「全部クロウに任せるよ。今日はそのために空けておいたから」
「了解。それじゃあ今日はとびっきりの一日にしてやるよ」
それでまたスカートを着ても良いと思えるように、という恋人の思惑は既に叶っていることをリィンはまだ言わない。自分にスカートは似合わないという考えは変わっていないけれど、たまにならこの恋人のために着ても良いかもしれないと思えるだけのものはもう十分過ぎるほどに貰った。
幼馴染が、恋人がそう言ってくれるのなら。そしてあんな顔をしてくれるのなら、たまにスカートを穿くのも悪くないのかもしれない。そう思いながら、今日はいつもとは少し違う彼とのデートを楽しもう。
It looks good on you
そう言ってくれる貴方の前でなら
たまには良いかもしれない、って思えたよ