ゆっくりと覚醒していく意識。ここは、そう思ったのと「気が付いたか」と聞き覚えのある声が耳に届いたのはほぼ同時だった。


「クロウ……!? どうして――」

「さあな」


 言い終えるよりも前にクロウは遮る。予想外の人物が傍にいたことに飛び起きたリィンだったが、ズキッと走った痛みに僅かに顔を歪めた。
 そうだ。俺は買い出しのために街に出て、それから。
 リィンの記憶はそこでぷつりと途切れていた。そして気が付いたら見知らぬ場所にいて、見知った人物が窓際に佇んでいた。赤紫の瞳はざーざーと音を鳴らすほどの雨から外れない。


「…………ここは?」


 辺りを見回し、それから状況が飲み込めていないリィンは答えてはもらえないかもしれないと思いながらも尋ねた。今ここには自分の他にクロウしかいないのだ。話を聞くとしたら彼に問うしかない。
 だが、意外にもクロウは「俺達の拠点の一つ」と簡素ではあるがきちんと質問に答えてくれた。貴族連合の、と呟いたリィンに「いや」と短くクロウは否定する。それ以上は何も言わなかったけれど、貴族連合の拠点ではないとすれば。


(帝国解放戦線の拠点、か)


 貴族連合の一員であるクロウは元々帝国解放戦線という組織のリーダーだ。ここが貴族連合の拠点でないのなら必然的に帝国解放戦線が使っている拠点の一つということだろう。どうして自分がここにいるのかは未だに分からないが辺りには自分達以外の人の気配は感じられない。


「クロウが俺をここへ連れて来たのか」

「俺は呼ばれて来ただけだ」


 クロウの答えは相変わらず簡素だ。主語のないそれにリィンの眉間には皺が寄る。
 少なくとも今すぐ武器を手にして戦うということはなさそうだけれど、と思ったところでリィンは外出する際には必ず持ち歩いている愛刀の存在を思い出す。普段は腰に差しているそれはリィンのいるベッドの横にあるサイドテーブルに立て掛けられていた。そのことに一先ずほっとするが、ますますこの状況が分からない。


「クロウ」

「スカーレットが知らせに来たんだ」


 まともに話す気がなさそうな友人にそれでも話を聞けないかと名前を呼んだところでクロウが続けた。何を知らせに来たのかは間違いなく自分のことだろう。
 そこで漸く赤紫がこちらを見た。その赤紫がどこか冷たく見えるのはきっと気のせいではない。そして椅子から立ち上がったクロウはカツカツと音を鳴らしながらリィンの横まで歩く。


「解放戦線の仲間が偶然街でお前を見つけて、どうするか相談していたところに偶々スカーレットが通りかかって。灰の起動者ではあるがただの学生のお前を貴族連合のところに連れてくわけにもいかねーし」


 そもそも連れて行く理由もないがリィンの仲間の居場所はこちらには分からない。けれど倒れているリィンを放っておくのも憚られ、一先ず解放戦線の拠点として使っていたこの場所へ移動させた後に同じ起動者であり級友でもあるリーダーの元へ知らされた。
 どうやらこれがクロウがここにいる、またリィンがこの場所で目を覚ました訳らしい。その瞳に怒りが含まれているように見えるのも気のせいではないのだろう。漸くリィンは状況を理解した訳だが。


「……すまない、迷惑を掛けた」

「ま、俺は何もしてねーけどな。俺は解放戦線のリーダーだから、呼ばれただけだ」


 淡々と説明したクロウはサイドテーブルに立て掛けてある太刀を手に取るとそれをそのままリィンに向かって投げた。


「意識が戻ったならここにいる理由はねーだろ。さっさとあいつ等の元へ帰りな」


 お前が行ったら俺も出て行くからという風に赤紫がこちらを見る。早く仲間の元へ帰れと、そう言って。
 ぎゅっ、と太刀を握る手に力がこもる。


「迷惑を掛けたのはすまないと思ってる。でも、クロウは――」

「お前、今がどういう状況か分かってんのか?」


 え、と声を上げた時。クロウはベッドに片膝を乗せてリィンの体を押した。大した力ではなかったものの突然の出来事にリィンの体は重力に従ってベッドの上へと倒れ込んだ。ギシ、と安物のスプリングが音を立てる。


「お前と俺は敵同士。そのことを忘れた訳じゃねぇよな」


 倒れたリィンの上にクロウの体が覆い被さる。冷たい瞳に冷たい声、彼の全てから文字通りの意味が伝わってくる。けれど。


「クロウは、敵じゃない」


 そう、クロウはリィンにとって大切な仲間だ。リィンにとってだけではない。Ⅶ組のみんなにとっても、トワ達にとっても。クロウは敵ではない。
 はっきり言葉にしてリィンは赤紫の双眸を見つめる。一瞬、僅かだけれどその瞳が揺れた気がした。


「……俺が解放戦線のリーダーであることや貴族連合の一員であることを除いても、俺はお前の敵だぜ」

「それこそクロウが敵である理由がないだろ」

「いや、俺はお前の敵だよ」


 どうして、と問うことは出来なかった。リィンが問うより前にクロウがその口を塞いだからだ。自らの口で。


「言っただろ。俺はお前の敵だって」


 それにこの状況、どちらが有利な立場であるかは深く考えずとも分かるはずだ。
 そう言ったクロウはゆっくりと体を起こした。それからちらりと窓の方へ視線を向けたかと思えば「上がったか」と呟く声が聞こえた。言われてリィンも先程までの雨音が止んでいることに気が付く。どうやらさっきのは通り雨だったらしい。


「行けよ」


 ベッドの下の方に腰掛けたクロウはリィンを見ずに言う。行け、と小さく繰り返して。
 その言葉にリィンは静かにベッドを降りて太刀を腰に差した。そのままクロウに背を向け、部屋を出る寸前に銀色を一瞥したが彼の視線は最初と同じように窓から外れない。ドアノブに手を掛け、ガチャっとそれを回して一歩。進もうとしたところでリィンは零すように呟いた。


「それでも、クロウは仲間だ」


 あんな顔で敵だなんて言われても文字通り受け取れる訳がないだろうと心の中で続けてリィンは今度こそ部屋を出た。







あんな、苦しそうな、何もかも諦めたような顔で
絞るような声で行けと言われて、しかもキスまでされて

(俺は……どうしたら良かったんだ)
(クロウは、本当は何を望んでいるんだ)

教えてくれ、クロウ
そうしたら俺は――――