朝。いつものように制服を着て登校し、友人に会えば「おはよう」と挨拶をする。それから昨日のテレビだけどといった雑談をし、チャイムが鳴ると教師が教室にやってきて「起立、礼」と委員長の号令が掛かる。
 そのチャイムと同時に駆け込んでくるクラスメイト、一日の予定を伝えるだけのショートホームルーム。そこから五分程度の休憩を挟んで授業が始まり、昼休みに入るなり購買に走る人々。午後の授業を終えた後は掃除をして再びショートホームルーム。

 これが大まかな一日の流れだ。放課後になればクラスに残って談笑していく人、部活動に励む者、真っ直ぐ家に帰る人も居れば寄り道をしていく生徒もいる。
 そんな放課後の校舎は、日中のような騒がしさはそれほどない。合唱部や吹奏楽部の練習する音が響き、校庭を走る運動部の声が聞こえてくる。


「あれ、クロウ先輩?」


 部活動以外の生徒には完全下校時間というものがある。その時間になると教師が各教室を見回り、早く帰るようにと注意される。
 その時間になる十五分くらい前だろうか。クロウは階段を下りていたところで後輩に声を掛けられた。


「よう、後輩。こんな時間までゴクローなこったな」

「これも生徒会の仕事ですから。それより、クロウ先輩はこんな時間までどうしたんですか?」


 この学校には様々な部活動があるが、強制入部というわけではない。中には帰宅部の生徒もいるし、更にその中にはアルバイトをしている生徒だっている。
 別にクロウはアルバイトをしているわけではないが、どの部活動にも所属していない。そのことを目の前の後輩は知っているからこそ、こんな完全下校時間になる寸前まで学校に残っているのを不思議に思ったのだろう。だが、そこに深い理由など何一つなく。


「それがよ、気付いたらこの時間になっててな」


 教師に怒られる前にさっさと帰ろうとしていたところだと、何ともくだらない理由を教えてくれた。いや、それを聞いたのは後輩の方からだけれど。


「……先輩、もしかしてまたサボってたんですか?」

「おい、またってなんだよ。まるで俺がいつもサボってるみたいじゃねぇか」


 おそらくそう言っているんだろう。失礼な奴だと口では言ったけれど否定は出来ないし、それを知っているからこそこの発言になったのだろう。学年も違うのにサボっていたことがバレるのは彼も授業をサボることがあるからとかではなく、ただ単にクロウがそういう発言をしたことがあるからだ。そして共通の知り合いがそういったことを彼の前で話したことがあるから。


「つーか、お前はまだ生徒会の仕事あるのか? 遅くまで残ってることもあるみたいだけどよ」


 さっさと話を変えようと生徒会の仕事で残っていると言った後輩の話を持ち出す。何かしらの行事がある時なんかは遅くまで残ることもあるというが、かといって毎回のように日が暮れるまで仕事があるわけでもないはずだ。とはいえ、この学校では生徒会が様々な役割を担っているだけあって、いつでも忙しそうではあるが。


「いえ、今日はもう終わりです。さっき書類を届けてきたところですから」


 あとは生徒会室に戻って片付けをするだけとのこと。
 相変わらず生徒会は忙しそうにしてるなと思いつつ、それなら鞄取って来いよと言えば「え?」と頭に疑問符が浮かべられた。あーこれは通じていないなと思ってクロウは言葉を付け足す。


「たまには先輩に付き合えよ。待っててやるから」

「それは良いですけど、学生ですし賭け事とかは駄目ですよ」

「……なあ、お前の中の俺ってどうなってんの?」


 なんとなく予想は出来たけれど、あえて聞いてみれば苦笑いでそれとなく誤魔化された。その理由にとあるクラスメイトが思い浮かぶ。
 これに関してもそういった話をした記憶がないわけではないのだが、そのクラスメイトも余計なことを言ったのではないかという気がする。濡れ衣だったら悪いが、これも共通の知り合いから何か聞いたと思って良いだろう。


「ゲーセン寄ったりはしねぇから、早く行って来いよ」


 はあと溜め息を吐いてから促せば、後輩は素直に生徒会室へと向かった。共通の知り合い――友人に言えば自業自得と言われそうなものだが、どうしてこんなイメージになっているのか。
 いや、冷静に普段の学校生活を見直してみれば当たり前か? そうだとしても後輩にそこまで見せた覚えはないから、やはり周りの発言もある気がする。どっちにしろ自業自得ということになるんだろうが。


(まぁ、仕方ねぇか)


 思うところは幾つかあったが、最終的にそんな結論に辿り着いたクロウは視線を窓の外に向ける。すっかりオレンジ色に染まった空の中に一際輝く星が見える。きっとあれが一番星だろう。
 こういう景色はいつ見ても変わらないなと、吹奏楽部の奏でる音を聞きながらぼんやり考える。朝になれば太陽は東から昇り、このくらいの時間になると西の空へと沈んでいく。それと入れ替わるように月が現れ、星が輝き。そしてまた朝がやってくるというサイクルはいつまでも変わらないのだろう。


(この景色は何年後も、ずっと変わらねぇのかな)


 少なくともこの世界がある限りは永遠と繰り返される。隕石と衝突して地球がなくなったなどというようなとんでもないことが起きなければ、明日も明後日も。十年後も百年後も、千年後だって見られるに違いない。


「…………変わらないモン、か」


 世の中には変わらないものと変わるもの、どちらが多いのだろうか――なんてのは深く考えずとも分かる。時代が流れればそれだけ新しい技術が生まれる。それに伴って今見ている街並みも大きく変わるだろう。人間だって進化してきているわけで、変わらないものの方がどう考えても少ない。
 たかが二十年近くしか生きていない自分でさえ、そうした変化をこれまで何度も見てきた。世の中はどんどん便利になっていく。物だけではない、他にももっと多くの……。


「クロウ先輩! お待たせしてすみません」


 呼ばれて声のした方を振り向けば、生徒会室から鞄を取ってきた後輩の姿があった。こちらから待っていると言ったのだから謝る必要はないのだが、この後輩のことだから出来るだけ急いで来てくれたんだろう。


「片付けは終わったのか?」

「書類を作るのに使った物だけでしたし、今日はもう大丈夫です」

「そうか。なら帰るとすっか」


 考え事をしていた頭を現実に引き戻し、クロウは鞄を片手に足を進める。それに合わせるように後輩もまた歩き始めるのだった。



□ □ □



 こうして一緒に帰るのは初めてではないけれど、片手で数えても余るくらいの回数しか一緒に帰ったことはない。まず生徒会に所属している生徒と帰宅部の生徒では下校時間も違うし、学年も違う。
 そもそも、二人には接点という接点は殆どなかったりする。しいていうのなら同じ学校の先輩と後輩。もっとも、それ以外の理由も必要ないのだろう。親しくなるきっかけなんて様々だ。


「生徒会って、いつもこれくらいの時間までやってんの?」

「その時によりますよ。運動部ほど遅くまで残ることはないですけど」


 やっぱり大変そうだなと言うのに対し、そんなことはないと言えるからこそ彼は生徒会の一員なんだろう。それを大変だとか面倒だとか思うタイプの人間はまず入らない。面倒とまで思う人に至っては部活動にも所属していないだろう。
 別にクロウは面倒だから帰宅部を選んでいるわけでもないが、特に興味を惹かれる部活もなかったから帰宅部を選んだ。……なんていってみたけれど、つまりは同じようなものだ。


「どうして生徒会に入ったんだ? 他にも部活は沢山あるだろ」

「どうしてって言われましても……。部活見学はしましたけど、これといったものはなくて。それなら生徒会に入ろうと思ったから、ですかね」


 そこで帰宅部ではなく生徒会を選ぶところがこの後輩らしい。真面目な奴である。そういう先輩はどうして部活に入らないんですかと聞かれたのには、そのまま特に入りたい部活もなかったからだと答えた。
 部活の先輩と後輩でもなく、以前同じ学校に通っていた先輩後輩でもない。出会ったのはこの高校に入ってから。確か入学式が終わって一週間か二週間ぐらい経った時だったか。


「でも先輩、部活の助っ人にいったりはしますよね?」

「助っ人と部員は違うだろ。俺は気楽に生きてたいんだよ」

「それって部活に入らないことと関係あるんですか……?」


 部活に入っても気楽にやれば良いだけではないのかと言いたげな後輩だが、部活に入ったら当然だがその部活に出なければいけないだろう。幽霊部員などという言葉もあるけれど、そこまでして部活に所属しようとは思わない。結局、帰宅部が一番自由で楽なのだ。


「カードゲームとか競馬とか出来る部活がありゃ良いのによ」

「そんな部活、学校が認められるわけないじゃないですか……」


 まずそんな部活に部員が集まるのかという話だけれど、部として成り立つくらいには集まるのではないだろうか。たとえ部員が集まったとしても、前者はまだしも後者は学校で許されるはずがないけれど。


「何も金を賭けるなんて言ってねぇだろ。競馬は予想すんのも楽しいし、カードゲームたって普通にポーカーとか――」

「もっと根本的な問題です」


 ばっさり切り捨てる後輩に「夢がねぇな」と零せば、そういう話じゃないでしょうと呆れられた。勿論、クロウ自身も本当にこんな部活が学校に認められるとは思っていない。将棋やチェスのような部活があるのだからカードゲームくらいは有りではないかと思わなくもないが。


「本当にお前は真面目だよな」

「……先輩が不真面目なだけじゃないですか」

「俺はいつだって真面目だぜ」


 真面目だったら授業をサボったり、そのまま完全下校時間近くまで寝てたりしないという後輩の意見は間違っていない。むしろ正論である。だが。


(本当、変わらないよな)


 どうしたらこんなに真面目になれるのだろう。そう思うほどに真面目で、やっぱりお人好しで。何度変わらないと感じたことだろうか。
 真新しい制服を身に付けた後輩を見掛けたあの時から。会う度に声を掛けては短いやり取りをし、生徒会室で友人を交えて談笑をし。高校入学以前の繋がりも部活の繋がりもないけれど、それでも先輩と後輩として徐々に親しくなっていった。


(このままずっと)


 変わらないままであればいい。変わらないままであって欲しい。
 先輩と後輩、ただそれだけの関係。今ならたったそれだけのことが叶えられると思うから。


「クロウ先輩?」


 不思議そうにこちらを見つめる青紫。遠い記憶にある色と重なり合うそれは、けれどあの頃とは違う色を宿している。


「あーあ、お前もやってみりゃ絶対この面白さが分かるのにな」

「だから、学生は賭け事禁止です」

「賭けなくても出来んだろ。あ、それとも賭けてぇの?」

「賭けません」


 じゃあ良いだろと言っても首を縦には振ってくれない。競馬は却下でもポーカーは別に良いだろ。ただのトランプゲームじゃねぇかと主張すれば、本当にそれだけなら付き合っても良いとのこと。全く、どれだけ信用されていないんだ。


「俺、先輩なんだけど」

「先輩でもやっていいことと悪いことくらいあります」

「固ぇな」


 当然のことを言っているといわれたらその通りだ。ま、逆にここで分かりましたと言われてもそれはそれで困るわけだが。
 こうして知り合って話をしているうちに少しずつお互いのことを知っていって。当たり前に先輩と後輩として過ごしている日々は、絶対ではないけれどこの先も続くのだろう。明日も明後日も、俺が卒業するその日まで。


「ちょっとくらい悪いことしてもバレねぇよ」

「悪いことだって自覚があるなら止めてください」


 先輩と後輩。今度はその差が埋まることなどないのだろうけれど、平和なこの世界でいつまでもこの関係を続けるのも悪くない。


(そう、何も変わらずに)


 ただ傍にいられれば良い。
 あの時は自ら手離したそれを離す理由はもうないから。あの頃のように、このままの関係で。







(どういう天の巡り会わせか、俺達は再び同じ世界で出会った)
(平和なこの世界で俺が望むのはたった一つ――)