ふとした瞬間、目にしたカレンダー。その日にちに「あ」と思ったのは一瞬。
 けれどそれだけ。特に気に留めることもなく意識を戻し、今日もありふれた一日を平和に終えようとしていた。

 だから、これはほんの思いつき。

 さて寝るかと大きく伸びをしたところでARCUSが目に入ったのも偶然。それを見てある後輩の顔が浮かんでしまったのも、偶然。


「よう」


 呼び出した相手はたった数コールで出た。つまり、起きていたのだろう。


「クロウ!?」

「久しぶりだな。元気にしてたか?」

「ああ。試験が近いからその準備で少し忙しいけど」

「相変わらず大変そうだな」


 でも映像越しのリィンの表情は明るい。忙しくてもやりがいがあって楽しいのだろう。
 本当、こいつには教官という仕事がぴったりと合っていると思う。本人はまだ未熟だというかもしれないが、今やすっかり教官が板についている。


「クロウこそ、元気にしてるのか?」

「おう。今はリベールにいる」


 へえと相槌を打ちながら目を輝かせたリィンにこちらも軽く近況報告をする。
 会わない時間が長ければその分、互いが知らない話が増える。そういえば、なんて新たな話題を切り出せば時間が過ぎるのはあっという間だ。ところどころに出てくる知り合いの名前にクロウは相槌を打ちながら耳を傾けた。





「……と、すまない。俺ばかり話してるな」


 分校の話から共通の友人たちの話。気がつけばすぐ傍にある時計はあと数分で日付が変わる時刻を示していた。
 いつの間にこんなに時間が経っていたのか。けれど話題は決して尽きたわけではない。


「別に構わねぇぜ? 俺も色んなヤツの近況を知れて楽しいしな」

「でもクロウ、何か用事があって掛けてきたんじゃないのか?」


 言われて漸く、当初の目的を思い出した。しかし、それは元々大した用事ではない。
 このままリィンの話を聞くのもいいし、時間も時間だからと話に一段落がついたこのタイミングで通話を終えても構わなかったが、せっかくリィンからきっかけを作ってくれたのだ。


「なら一つ、俺のわがままを聞いてくれねぇか?」

「わがまま?」


 こちらの言葉をそのまま復唱したリィンは首をこてんと傾けた。
 思わず零れかけた「可愛いな」という一言を飲み込んだ俺は「ああ」と頷いて映像の中の友人を見つめた。


「誕生日、祝ってくれないか?」


 三秒、いや五秒くらいは経っただろうか。
 次に通信越しに聞こえてきたのは「え?」という短い一文字。だけどそのあとはすぐに言葉が続いた。


「ちょっと待ってくれ!! クロウ、今日誕生日なのか……!?」

「まあな。つっても、あと数分で終わるが」

「何で先に言ってくれないんだ!?」


 こちらの声に被るほどの勢いでリィンが言った。
 ――何で、って。


「俺も数時間前にカレンダーを見て思い出したんだよ」

「そういうことじゃなくて……いや」


 そこで言葉を区切ったリィンは一度、深呼吸をした。
 それからすっと、青紫の瞳が画面越しに真っ直ぐこっちを見た。


「誕生日おめでとう、クロウ」


 あたたかな言葉が胸にすとん、と落ちた。

 ああ、そうか。誕生日ってこういうものだったなと、頭の片隅でぼんやり思う。
 そのぬくもりを求めた先がこの後輩だったのは偶然ではなく、必然。偶然なんて所詮は言い訳に過ぎなかった。

 ……なんて、最初から分かってたことか。
 心の中でそう呟いたクロウは画面に映る友の顔を見て微笑んだ。


「おう、サンクス」


 じんわりと胸にぬくもりが広がるのを感じながら祝いの言葉に礼を述べると、リィンは小さく溜め息を吐いた。


「もっと前から知ってたら俺だって……」

「祝ってくれたか?」

「当たり前だろ」


 即答する友人に思わず笑みが零れる。画面の向こうでもリィンが口元をふっと緩めたのが分かった。


「次からはちゃんと祝わせてくれ」

「ならその前にお前の誕生日も教えてくれよ」

「俺は五月だよ」

「じゃあお前の誕生日にはとびっきりの酒を持って祝いに行くから楽しみにしてろよ!」


 酒、という単語に僅かに反応したリィンだったがお互いとっくに成人済みだ。それを聞いた彼の表情は柔らかかった。


「ああ、楽しみにしてる」


 ふわりと笑ったリィンに任せておけと言い切る。さて、どんな酒を見繕うことにするか。それはこっちの楽しみでもある。
 せっかくの誕生日なのだから特別なものがいいよなと考えているうちにカチッ、と長針と短針が重なる音がした。その音を合図にクロウは口を開く。


「急に連絡して悪かったな」

「いや、嬉しかったよ」

「今は忙しいみたいだから大目に見るが、仕事もほどほどにな」

「分かってるよ。クロウも体調には気をつけて」

「おう」


 それじゃあ、と。通話を切ろうとした時のことだ。


「クロウ」


 優しい声に呼ばれて思わず手を止めた。
 小さく、呼吸をしたのが伝わる。そして透き通るような瞳が真っ直ぐにこちらを見据えて、言った。


「誕生日、おめでとう。それから生まれてきてくれてありがとう。今日、クロウが生まれてくれて、クロウに出会えて本当によかった。俺は、クロウに出会えて幸せだよ」


 そう話したリィンは最後に「おやすみ」と言って通話を切った。
 通信が切れたARCUSからはツーツーという無機質な音が聞こえる。これが予想外のプレゼントだと理解してクロウが通信を切ったのはたっぷりと十数秒の時が流れてからだった。


「…………っとに、アイツは」


 出会えてよかったはこっちの台詞だと、リィンの誕生日にはっきり伝えることにしよう。幸せなのも同じだと、ちゃんと、言葉にして。

 ありふれた一日は、たった数十分でとても幸せな特別な日へ。




お返しは君の誕生日に、たくさんの幸せをのせて