「リィンが好きだ」


 幼いながらもそれは心の底からの想いだった。
 けれど、言われたリィンは一瞬目を開いたあと、困ったように笑った。


「ありがとう、クロウ」

「リィン、俺は本気で……!」

「うん、分かってるよ。でも今はまだ世界を知らないだけだ」


 そんなことはない、と言いたかった。だけど、七歳年上のリィンからすればクロウはまだまだ世界を知らない子供だった。
 世間一般からすればリィンも子供に分類されるが、それでもこの七年という時間は決して短くない。リィンがクロウの言葉を正面から受け取ってくれないのも仕方のない話だ。

 どうしたら信じてもらえるのか。どうすれば伝わるだろうか。
 ぐるぐると考えていたクロウの頭をリィンはそっと撫でた。


「もし、クロウが大人になって。それでも俺を好きでいてくれたら、もう一度言ってくれないか?」


 それはクロウを納得させるための言葉だったのだろう。優しいリィンの声にクロウは小さく頷いた。
 今ここでこれ以上何かを言ってもリィンを困らせるだけだ。でも、大人になれば――。


「それじゃあ帰ろう、クロウ」


 差し伸べられた手を取って、並んで歩く帰り道。いつもの帰り道はこの日、ちょっとだけ特別なものとなった。










 新緑が生い茂る夏が終わり、木々は色とりどりの紅葉へと移り変わった。その紅葉も終わりを迎え始める十一月。朝晩は随分と冷え込むようになってきた。


「クロウ……!?」


 聞こえた声に振り返る。そこにはスーツ姿のリィンが驚いた顔でこちらを見ていた。


「よう、久しぶり」

「久しぶり……じゃなくて、どうしたんだ!?」


 寒かっただろうと鍵を取り出しながら「とりあえず中へ」と話すリィンはガチャッとドアを開けた。それに従ってクロウはお邪魔しますとリィンの部屋に上がる。
 そのまま真っ直ぐにリビングへ行くと「コーヒーでいいか?」と聞かれて頷く。紅茶のほうが好きなリィンの部屋にコーヒーが常備されているのは、時々訪ねてくるクロウのためだろう。そんな小さな気遣いに心はほんのりとあたたかくなる。


「それで、いきなりどうしたんだ?」


 二人分のカップをもったリィンがリビングに戻ってくる。カップから浮かび上がる白い湯気を眺めたクロウはやがて、顔を上げた。


「リィン」


 呼びかけると、その声に反応するように青紫の瞳がクロウを映した。それは昔から変わらない、透き通るような綺麗な瞳。


「俺、二十歳になったんだ」


 そう、今日はクロウの誕生日だった。
 クロウの言葉でリィンもすぐにそのことに気がついたのだろう。お祝いの言葉は間もなくやってきた。


「そうだな。誕生日おめでとう、クロウ」


 お祝いの言葉に短く礼を言ったクロウは真っ直ぐにリィンを見つめる。


「なあ。昔の約束、覚えてるか?」


 もう十年以上も前になる約束。けれどクロウは一度だって忘れたことはない。それほど大切で、特別な約束。
 でも、リィンにとっては日常のささやかな約束に過ぎなかったかもしれない。そう思いながらクロウはリィンの返事を待たずに続けた。


「俺は今でもお前が好きだ」


 伝えた瞬間、リィンはこれ以上ないほどに両の目を大きく開いた。


「あの頃からずっと、お前だけが好きなんだ」


 大きくなって、あの頃より世界を知っても何も変わらなかった気持ち。きっと、この先も一生変わることはない。そう言い切れるくらい、クロウの心はリィンに囚われいる。


「リィン、今日はその返事が聞きたくてきたんだ」


 一秒でも早く伝えたくて、リィンが帰ってくるのを待っていた。電話やメールではなく、どうしても直接話しがしたかったから。


「なぁ、リィン」


 もう子供じゃない、なんて子供っぽい言葉かもしれない。それでも今日、確かに大人の仲間入りをしたから答えて欲しい。
 そう願いながらじっと見つめると、リィンはゆっくりと口を開いた。


「…………クロウは、女の子にモテるだろ?」

「そんなことは今、関係ない」

「あるよ」


 そのように言って笑うリィンは、あの時と同じ表情をしていた。


「俺じゃあクロウを幸せにできない」


 ごめんな、と謝るリィンはどこか悲しそうにも見えた。だからこんな言葉では納得ができなかった。


「俺の幸せを勝手に決めるなよ!」

「でも」

「俺はお前と一緒に幸せになりたい。そして、お前のことも絶対に幸せにする」


 リィンと一緒でなければ幸せになんてなれない。同時に、一緒にいてくれるのなら必ず幸せにすると誓う。


「……俺のことが迷惑なら」

「そんなことない!」


 言葉を遮るようにリィンは言った。
 それからもう一度、そんなことはないと小さく零した。


「……俺だってクロウのことが好きだ」

「なら」

「けど、俺が駄目なんだ」


 どういうことだ、とクロウはリィンを見る。すると暫し視線を彷徨わせたリィンはやがて、意を決したように口を開いた。


「クロウのことは好きだけど、クロウは弟みたいに大切な存在でもあるから。どうしたらいいのか分からない」


 これは、リィンの本心なのだろう。
 好きだけどそれだけじゃないから困惑している。リィンの言いたいことは分かった、けれど。


「なあ」


 呼びかけるとリィンはすぐに顔を上げた。その瞳は、仄かに熱を灯していた。


「好きならそれでいいだろ。大人だからってごちゃごちゃ考えすぎだ」

「そういうわけにはいかないだろ」

「俺のことを真剣に考えてくれてるのは嬉しいけど、好きなのに付き合えないってのは分からない。リィンは結局俺を子供だと思ってるだろ?」

「そんなことは…………」


 ない、という言葉は声にならなかった。やっぱり、と思いながらクロウは続けた。


「好きだ、リィン。俺と付き合ってくれ」


 あの頃から抱き続けてきた想いを言葉に乗せて再度伝える。


「この先もずっと、お前と一緒にいたい」

「クロウ……」


 なあ、お前は?
 優しく尋ねると、リィンはゆっくりと目を閉じた。そして、青紫が再びクロウを映して言った。


「俺も、クロウと一緒にいたい」


 漸くリィンが口にした本当の想いにクロウは笑みを浮かべる。
 そして絶対に幸せにするからと改めて誓うと「ああ」と柔らかな笑みが返ってきた。その笑顔が昔からずっと好きだった。もちろん、この先もずっと。笑顔があふれる毎日を送れるように、これからは共に生きていく。










fin