君といる時の自分
太陽が西の空へ沈み、東の空から月が昇りはじめる。今日も一日、依頼であちこち動き回った。
その依頼も先程終了し、時間も時間だからと近くで宿をとることにした。夕飯にはすぐ傍の湖で捕れたという魚料理を頂き、静かな部屋の中で二人はのんびりと過ごしていた。
「リィン、ちょっとこっちに来てみろよ」
窓の外を眺めるクロウに呼ばれる。何だと思いながらも、リィンはその言葉に従ってクロウの居る窓のところまで足を進める。
「どうしたんだ、クロウ」
「ほら、外見てみろよ」
リィンが見えるようにクロウは自分の横にスペースを開ける。一体何なんだと思いながら、リィンは開けられたそのスペースからクロウの指差す方向を見た。
何の変哲もない窓。そこから見えるのは当然外の景色だ。何かあるのかとそちらに視線を向けると、眼前に広がったのは――――。
「凄いな……」
思わず感嘆の声が零れ出る。そこにあったのは一面が満天の星空。夜なのだから星が見えるのは当たり前だが、これは想像していた以上の景色だ。あちこちできらきらと星が輝きを放っている。
「だろ? やっぱ星はこういうとこのが綺麗に見えるよな」
空はどこまでも続いているものだ。雲に遮られていない限り、どこからでも星を見ることが出来る。国が違っても、田舎でも都会でも、海の上からだって。見ようと思えばいつでも見られる。
けれど、その見え方は場所によって違う。光の多い都会では、その光によって星の輝きが掻き消されてしまう。他にも空気の状態だとか、星を見るのに影響を与えるものは少なくない。綺麗な星空を見ようと思ったらある程度場所は絞られてくるのだ。
「こんなに星が見えるところに来るのは久し振りだな」
「どうせなら流れ星でも探してみるか? 三回願い事が言えりゃあ叶うかもしれないぜ?」
「いや、あの一瞬で三回言うのは無理だろ」
まあなとクロウは笑う。だが、流れ星の願い事の話は有名だろう。誰だって一度は挑戦したことがあるのではないだろうか。まず流れ星を見つけることが困難ではあるけれど、見つけた時は願い事をしなければと思う人が大半だろう。
星が流れ落ちるまでの一瞬。瞬きする程度の僅かな時間に願い事を三回唱えることが出来ればその願いは叶う。大抵の人が知っている話だ。
「もともとは、本当に三回言うって話でもなかったみたいだしな」
「そうなのか?」
リィンの疑問に「ああ」と肯定で返ってくる。続けてクロウはこの話の由来を教えてくれた。
「流れ星に願い事っていうのは、突然現れた流れ星に願い事を言えるくらい普段からそのことを考えてるってことから来てるらしいぜ」
あの一瞬で本当に三回も願い事を口にするのはほぼ不可能だ。どんなに短い願い事でも星が落ちるまでの時間は短すぎる。
だからこそ三回言えたら願いが叶う――というわけではなく。それだけ強い思いを常に持っているからこそ、その願いを実現することが出来るという意味らしい。
「それで流れ星に三回願い事を言えたら叶うって話になったのか」
「そういうこと。つーわけで、お前は何か願い事ねぇのか?」
流れ星に願いたいこと、という最初の意味とは違うそれ。いや、聞いていることは同じだけれど先程とは違う意味合いで聞いているのだろう。願い事は願い事でも、星頼みではなく自分で叶えたいと強く思っている願いはないか。
そんなクロウの質問にリィンはそうだなと考える。普段から常に考えているような願い……。
「願い事、っていうほどのことじゃないけれど」
願っているというよりは、そうありたいと思っているというべきか。願い事として星に思いを馳せるようなことではないけれど、そうだったら良いなとは思っている。まあ願い事といえば願い事かもしれない、そんなレベルのものだ。
だが、それでもリィンにとっては大事な願いだ。叶って欲しいとも思っている。叶って欲しいというよりは、やはりそうありたいというべきかもしれないけれど。
「へぇ。どんな願い事なんだ?」
「願い事って人に言うものじゃないだろ」
「減るもんでもねぇし、ちょっとくらい良いじゃねぇか」
「よくない」
まずちょっとくらいとは何なのか。確かに目に見えて減るものはないかもしれないが、それでもこういうものは人に言うものではないことに変わりはないだろう。
リィンの返答にちぇっとつまらなそうな声を上げるクロウだが、そういえばクロウの方は何かないのだろうか。さっきから人に聞くばかりで自分のことは何も言っていない。そこまで考えたところで、リィンは青紫の瞳を隣に向けた。
「そういうクロウこそ、願い事はあるのか?」
気になって問えば、クロウは「一応な」と短く答えた。
別に願い事がないとは思っていたわけではないが、それほど強い願いがあるのかと少しばかり驚いた。それが何かも気にならないといえば嘘になるが、これ以上は流石に聞くべきではないだろう。
――そう思ったのだが。
「気になるか?」
まさか本人からそう聞かれるとは思わなかった。思わず「え」と声を漏らせば、クロウはどこか面白そうに「気になるなら教えてやるぜ?」と口角を持ち上げた。
「いや、さっきも言ったがこういうのは人に言うものじゃないだろ」
「俺が良いって言ってるんだから良いだろ」
それはそうかもしれないが、明らかに何かありそうな雰囲気である。たとえば、自分も言ったんだからお前も教えろとか。そういうことを言われる可能性もないとは言い切れない。
「クロウが言ったところで俺は言うつもりはないぞ」
言われる前に先に言えば、クロウはきょとんとして「そんなこと気にしてたのかよ」と返してきた。それからお前は人をそんな風に思っていたのかと言われる。
そのことを否定は出来ず、それならそう思われないようにしろよと言えば「ひでえな」と返される。だがそれも全部はクロウの普段の行いのせいだろう。本人も思い当たる節はあるのか、酷いと言いながらも本気で傷ついている様子はない
「俺だって言いたくないモンを無理矢理聞き出したりはしねぇよ」
「じゃあ他に何かあるのか?」
「あのな、何かある前提にするなよ」
何もないという選択肢はないのか。そう言いたげな視線を向ければ、含み有り気に言ったのはそっちだろうとのこと。
全く、信用がないわけではないのだろうがこれはこれでどうなのか。これも普段の行いのせいだと言われてしまえばそれまでだが、深い意味なんてないのにとはクロウの心の内である。まあ、何もないとも言わないけれど。
「俺の願いは、ただお前と一緒に居たいってだけだよ」
さらっとクロウが自身の願い事を口にしたのに、リィンは小さく驚きの声を上げた。赤紫が青紫を捉えたのはそれからすぐのことだ。
「願い事って言うほどのことでもねぇけど、それが俺の願いだ」
これからも共に。たったそれだけのことだけれど、クロウにとってはそれが何よりの願いだった。この先も、何十年後の未来でも自分の隣にはリィンが居て欲しい。
星に願うようなことではないし、願い事なんて言うほどのことでもない。だけど、そうだったら良いなと思っているのだ。ずっと。
「だからこれからもよろしく頼むぜ、相棒」
これといって含みがあったわけではない。けれど、この願いを口にした時のリィンの反応が気になったのも事実だ。
約十年前、士官学院で先輩と後輩として出会い、後にクラスメイトとして過ごしたこともあった。友達というよりは悪友。そんな関係から一時は敵対し、今の関係になるまでそれは様々な出来事があった。そうした様々な出来事を乗り越え、今は。
「同僚としても、恋人としても、な?」
最後に付け加えられた言葉に、リィンは顔に熱が集まるのを感じる。こちらの考えすぎかと思っていたところでこの発言だ。やっぱり何かあると感じたのは間違いではなかったらしい。
「ここでそれを持ち出すのか……?」
「俺は思ってることを言っただけだぜ?」
おそらく最初からそこまで言うつもりだったんだろう。にやりと笑みを浮かべるこの相棒にどう返すのが正解なのか。
昔から口ではクロウに勝てないのだ。知識が広い上に頭の回転も速い。それでいて単位を落として一年のクラスに編入していたのだから困ったものだが、遊撃士になってコンビを組んでからというものクロウのそういったところに助けられたことも多い。
しかしこの場はどうするべきか。
考えたところでクロウの上をいく答えなんて出てこないわけだが、それならいっそ。
「………………俺も」
リィンが呟くように言うのが聞こえてクロウの視線が動く。恥ずかしさから顔を背けていたリィンは、頬をほんのりと朱に染めたままの顔でこちらを見る。
クロウ相手に口で勝てたことなんてない。だが、クロウが自分の願いを躊躇なく口にしたのは内容が内容だったからだろう。それならばもう、と意を決してリィンは口を開く。
「クロウと一緒に居たい、って思ってた」
その言葉に驚かされたのはクロウだ。まさかリィンからこのような返しがくるとは思わなかった。顔を赤くしたまま真っ直ぐ、真剣な瞳で言われたらこっちにまでそれが移りそうだ。
「……願い事は言わないんじゃなかったのか?」
「先に言ったのはクロウだろ」
どんな願い事なのか、と。
リィンに言われて、そういえばそんなことも言ったなとクロウは頭の片隅で思う。それが何か気になっていたのも事実だが、こんな言葉が出てくるとは思いもしなかった。
もっとも、それはリィンにしたって同じだ。自分と同じ願い事を相手も願っているなんて、そんなことはまず考えないだろう。それは同時に相手も同じように思っていてくれたという証でもあり、そのことは素直に嬉しくもあるけれど。気温的には涼しいはずなのに熱いと思うのはこの会話のせいだろう。
「あー……じゃああれだ、つまりお前も同僚としても恋人としても――」
「そこはもういいだろ!」
その顔で否定されても説得力なんて何もないのだが、これもただの照れ隠しかと思うと確かにもういいかと思った。わざわざ確認するまでもなく、この状況ではそう言っているも同然だ。
それを可愛いなと思ってしまうのは、好きだから仕方のないことだろう。それこそ自分達は恋人同士でもあるのだから、ある意味ではそれも当然のことで。
「リィン」
呼んでそっと手を伸ばすと、自然な動作で目を瞑られた。そのまま互いの唇を重ね合わせ、ゆっくりと離れて青紫を捉えるとクロウは口元を綻ばせた。
「これからもよろしくな」
数刻前にも言ったそれを繰り返せば、リィンも小さく笑みを浮かべて「ああ」と肯定を返した。
すぐ傍にあった手にさり気なく手を伸ばしたら、気が付いたその手はこちらを握り返した。そのまま二人で一つの窓から綺麗な星空を見上げた。
特に何かを喋るでもなく、ただ静かに二人で星を見る。
たまにはそんな日も良いだろう。それは、大切な人と過ごす穏やかな時間。
fin