「クロウって苦手なこととかあるのか?」


 唐突にそんな質問を投げ掛けられて顔を上げる。
 いきなりどうした、と思ったままに聞き返せば深い意味はないけれどちょっと気になったのだとリィンは言う。それでこの質問かと思いつつ、しかしいきなり言われてもすぐには思いつかない。


「そりゃ誰にだって苦手なことくらいあんだろ」

「だけどクロウは苦手なことってあまりなさそうだと思って」


 そうか? とクロウは頭上に疑問符を浮かべるがリィンはこくりと頷く。言われてみればはっきりと苦手なことを表には出していないけれど、それはクロウに限った話でもないだろう。


「つーか、そんなこと聞いてどうすんだよ」

「いや、さっきも言ったけど気になっただけだ。クロウって何でもそつなくこなすし、苦手なことはなさそうなイメージがあるというか」


 リィンにしてみれば、色々なことを知っていてどんなことでも器用にこなすクロウは得意なことは多々あれど苦手なことは殆どないように見えるらしい。とはいえ、クロウだって人間なのだから苦手なことがあってもおかしくはない。だからこうして尋ねてみたわけだ。
 だが、それは全てクロウがそう見せているだけである。そこは二年分リィンより長く生きている経験の差というやつだ。元々手先が器用だったり話術が得意だというのもあるだろう。尤も、自分が生きていくのに必要だから身に付けたというものも多いが。


「まあ苦手なことっていうか、得意でもないことってのは割とあるけどな。好き好んで勉強とかしねーし」

「でも情報収集や分析は得意だよな」

「得意っていうほどでもないだろ。お前だって普段からやってるじゃねーか」


 遊撃士という職業柄、自分達にはそういったことが必要になる場面も多い。その時の様子を見てリィンは言っているのだろうが、クロウからすればリィンだって上手くやっている。これはどちらがより上手いというほどのことでもないだろう。
 それはそれとして、クロウが探しているのは得意なことではなく苦手なことだ。ぱっと思い浮かぶことはなかったが、何かあったかなとクロウは一人思案する。


「あ、暑いのと寒いのとだったら暑い方が苦手かもな」

「そうなのか?」


 どの季節が好きか、また夏と冬ならどっちが好きかというのはありきたりな質問だろう。ふとそれが頭に浮かび、暑い方が苦手だと答えたクロウにリィンは意外そうな顔をした。


「何だ、逆に見えたか?」

「前に夏が終わるのは寂しいって話してたから、てっきり夏の方が好きなのかと思ってたんだけど」


 よく覚えてんなとクロウはリィンの記憶力に感心する。かくいうクロウもそういえばそんなことも言ったな程度には覚えているわけだが、言われなければ思い出さなかっただろう。
 確かにあの時はああ言ったけれど、あれは季節の変わり目だったから。季節の変わり目というのは過ぎ去っていく季節に寂しさを覚えるものだ。まあ夏を嫌いとはいわないし、寒いから暑いからで文句を言っていたらやっていられないけれど。


「お前も冬の方が得意そうだな」

「そうだな。ユミルは山岳地帯にあるし……あ」


 もしかして、と視線を向けた青紫にクロウは小さく笑みを浮かべた。


「俺も北の方の生まれだからな。夏より冬のが得意ってわけだ」


 リィンの故郷であるユミルは夏でも比較的涼しい場所にある。そこで育ったリィンが暑い夏よりも冬の方が得意なのは長年そういった地域で生活してきたからだ。
 そして、それはクロウにしても同じ。クロウの生まれは帝国最北西にある旧ジュライ市国。リィンにしてもそうだが、やはり寒い地域で育つと暑さよりも寒さに強くなる。夏よりも冬が得意であり、暑い方が苦手と言うのはそういうことだ。


「そういやお前、暫くユミルに戻ってないんだろ?」


 故郷の話が出てきたところで思い出したようにクロウが尋ねる。コンビを組んで活動しているクロウは相棒がここ暫く実家に顔を出していないことを知っていた。それは遊撃士としての活動が忙しかったことが一番の理由ではあるが、今やっている依頼が終われば暫く休みを貰えるはずだ。


「たまには顔見せに行ったらどうだ?」


 きっと家族も喜ぶだろ、と言ってくれる相棒にリィンは微かに笑う。それがクロウなりの気遣いであることはすぐに理解した。


「そうだな。けどここからだと気軽に行ける距離でもないだろ」


 この場所からユミルへ戻るには一日近く掛かってしまう。幾らこの依頼を終えて時間が出来たとしてもじゃあちょっと行ってくると言える距離ではない。その気遣いは有り難いが、後のことも考慮するとそれはまたの機会にするべきだろう。
 そう思って「また時間が出来た時にでも顔を見せに行くよ」と答えたリィンに「だから丁度良いだろ」とクロウは言う。ここからユミルまでの距離くらいクロウにも分かっている。その上で、今回はそれだけの時間があるとクロウは判断したのだ。


「久し振りにゆっくりしてこいよ」


 両親も妹も、郷の人達だってリィンが帰れば温かく迎えてくれる。クロウだってこっちのことは気にするなと笑って送り出してくれるだろう。


「でも」


 だからこそリィンは渋った。確かにこれは良い機会だろう。そこに深い意味なんてないことも分かっている。しかし、自分ばかりが里帰りをするのも――と思ったことは声には出さなかったけれど。


「何なら俺も付いていくかな。結局ユミルには行ったことねーし」


 明るい声がすとんと心に落ちる。けど家族団欒の邪魔をするのは悪いか、と言いながら優しげな赤紫がリィンを映していた。
 その発言にリィンは目を瞬かせ、やがてふっと口元を緩めた。敵わないな、心の中で思わずそう呟いた。声には出さなくてもリィンの考えていることなど付き合いの長い相棒には分かってしまうらしい。それはそうか、とリィンもまた赤紫を見つめ返す。


「邪魔なんてことないさ。クロウさえ良ければ家族にもちゃんと紹介したい」


 数年前、皇帝陛下に小旅行へ招待された時には紹介できなかった大切な友人。今日は来られなかったけれど、両親にそう話ながらいつか紹介できる日が来れば良いと思っていた。
 しかしなかなか機会に恵まれず、結局リィンはクロウに自分の故郷を案内したことがない。長期任務明けで休みが貰えるとしても自分だけが里帰りをするのは気が引けてしまったのだが、そういうことならとリィンは漸く首を縦に振った。

 それを見てクロウもまた微笑んだ。そうと決まればさっさとこの依頼を終わらせないとなと話す相棒に「ああ」と頷くと、目の前の友人の笑みは含みのあるものへと変わる。


「ところで、さっきのはどういう意味の紹介なんだ?」


 口角を持ち上げてクロウが問う。全く、そう思いながらもリィンは笑って答えた。


「どっちも、かな」


 先輩であり友であり、相棒でもあるかけがえのない相手。本当に本当のところまでは言えないけれど、きちんと紹介したい気持ちは紛れもないリィンの本心。
 素直にそう答えたリィンにクロウは小さく息を吐く。


「苦手なこと……ってわけじゃねーが、お前には弱いかもな」

「それはお互い様じゃないのか」


 惚れた弱み、とでもいうのだろうか。苦手なことではないけれど、この人だけにはどうしても敵わないと思うのだ。今さっきリィンもそれを感じたばかりだが、クロウもそうだったんだなと思ってつい笑みが零れる。それもやっぱりお互い様で、そっと瞼を下ろしたのもそのまま唇が触れ合ったのもごく自然な流れだった。


「明日も早いしそろそろ寝るか」

「それもそうだな」


 触れ合った手が温かい。なあ、と言われて「うん?」と聞き返したら優しげな眼差しとぶつかった。


「ユミルに行ったら、お前の好きなものや大切なものを色々教えてくれよ」


 リィンが生まれ育った地、そこには沢山の思い出や大切なものがある。大事な家族にもクロウのことを紹介したいし、クロウにも自分の故郷を案内したい。やりたいことがいっぱいある。


「勿論だ。けど」


 俺が一番好きなのは――。
 そう伝えたら、愛しい人は笑って同じ言葉を繰り返した。








まだ知らない君のことを知り、また僕のことも知って欲しい
そして、いつか

(一緒に行けたら良いな)
俺の、彼の故郷にも