「ほら、遠慮せずにどんどん言うと良い」
「どんどん言うと良い、じゃねーよ!」
楽しげに笑っている先輩と不機嫌そうな顔を隠そうともしない先輩と。対称的な二人の先輩に挟まれながらリィンは苦笑いを浮かべた。少し離れた場所からジョルジュが「二人とも、あまりリィン君を困らせないようにね」と一言声を掛けてくれるが「分かっているよ」と答えたのはアンゼリカだけで「困らせてんのはゼリカだろ」とぶっきらぼうに言ったのはクロウだ。
「嫌いなところなんてなかなか面と向かって言えることではないだろう」
「俺がこの場にいる時点で面と向かって言ってるじゃねぇか」
「結局はそれを本人に伝えなければ意味がないからね」
完全に矛盾しているだろうと思ったクロウは大きく溜め息を吐いた。指摘したところで細かいことは気にするなだとか適当なことを言って流されるのは目に見えている。
反論はあるが全く聞き入れる様子のない友人を前にクロウはとうとう諦めた。クロウが言い返すのを止めたところでアメジストは斜め向かいに座る後輩を見る。
「さて、それじゃあ本人からの許しも出たことだし思う存分吐き出したまえ」
「えっと…………」
ちらりとリィンは隣を見る。許してはいないような気がするけれど、頬杖をつながら顔を逸らしたクロウはもう好きにしてくれとでも思っているのかもしれない。
「普段は言えないことの一つや二つ、十や二十くらいあるだろう」
「そんなにはないですよ」
「おや、やはり多少はあるようだね」
そういうつもりで言ったわけではなかったのだが、さあどうぞと言わんばかりの雰囲気にリィンはどうしようと頭を悩ませた。
事の始まりはリィンがARCUSのことで技術棟を訪ねたことにある。その場にたまたまアンゼリカとクロウが居合わせていた。
二人が放課後に技術棟で過ごしているのは別段珍しいことではなく、またリィンがここを訪れることもそれなりにある話だ。そしてリィンとクロウが付き合っていることを今この場にいる二人は知っていた。
アンゼリカに「リィン君、ちょっと良いかな?」と呼ばれたのはARCUSをジョルジュに預けた時だった。疑問符を浮かべながら近付けば座るように促され、なかなかこういう話をする機会もないだろうからとリィンが振られた話題はクロウの嫌いなところはどこかというものだった。
「適当なところとか不真面目なところとか。借りたものを返さないところや好き勝手なところとか、色々あるんじゃないか?」
なかなか答えないリィンにアンゼリカが幾つか例として挙げるが、それに対してリィンは苦笑いを浮かべることしか出来ない。本人を前にして嫌いなところを挙げるというのはハードルが高くないだろうか。かといって本人がいないところで言ったのならそれは陰口にしかならないが、何とも答え辛い質問だ。
「他にはそうだな、可愛い子にデレデレしているとか嫌だと言ってもやめてくれないとか」
「……おい、好き勝手してんのはお前じゃねーか」
黙りを決め込もうとしていたクロウは次から次へと出てくるあることないことに遂に口を挟んだ。聞きたいなら勝手にしてくれと思ったが自由に捏造して良いとまでは言っていない、と赤紫がきつくなる。
「大体それはお前じゃねぇのか」
「麗人の私がそんなことをするはずないだろう」
あっけからんと言ってくれる友人に「あーそうかよ」とクロウは呆れた顔で相槌を打った。やはりここは全て聞こえない振りをするべきか。
それともリィンを連れてさっさと技術棟を出るべきか――そうしたいのは山々だがARCUSを預けたままリィンが技術棟を出ることはない。だがリィンとアンゼリカを二人にするのも気が引けて結局はここに留まっている。どうしてこんな話になるんだよと胸の内では何個目かの文句が零れた。
「けど、実際のところどうなんだい? 嫌なことは嫌だと言わないと」
リィンの実力なら心配いらないだろうけれど、というその言葉は最悪その太刀を抜けという意味だろう。随分と攻撃的だが有効な手段の一つではある。
とはいえ、勿論クロウ相手にそれをする気もなければそんなことをする必要は全くないのだが。
「いえ、そういうことは全然……本当に、何もないので」
文字通り、何も。
そう、太刀を抜くとか以前にこの恋人はリィンにまだ何もしていない。
リィンは恋愛経験が豊富な方ではない。加えて鈍いと言われたことも少なくない。
クロウのことは好きだが、付き合うというのが具体的にどういうことなのかをリィンはいまいち分かっていなかった。手を繋いだりキスをしたり、そういうことをするような関係であることは知っているけれど、逆に言えばその程度の認識しかなかった。
こうして付き合うようになった時、でも恋人ってどうすれば良いのだろうと目の前の相手に聞いたら「別に今まで通りで良いんじゃね?」と返された。そうして今日まで過ごし、それらしいことも何度かしたことはあるもののおそらくアンゼリカの言うようなことは何もない。それだけはリィンにもはっきり言うことが出来る。
そのような後輩の発言にアンゼリカも何かを悟ったのだろう。きょとんとした顔をした彼女の視線はリィンの隣へと移った。
「君って意外と――」
「ジョルシュ、まだ終わらんねーのか」
「うーん……もう少し掛かるかな」
ちっ、と舌打ちをしたクロウは自分に刺さる視線をちらと見た。
やっぱりコイツといると録なことがない。そう思いながらクロウは「別にどうだって良いだろ」とだけ口にした。お前には関係ないのだからと暗に言うが伝わったかは定かではない。分かっていて気付いていない振りをされる可能性もある。やっぱり最初に意地でも止めておくべきだったと思っても今更遅い。
「……まあ良いさ。それで、他にクロウの嫌いなところはないのかい?」
「まだ続けんのかよ」
当たり前じゃないかと肯定するアンゼリカにクロウは何度目かの溜め息を吐く。そんな先輩達のやり取りを眺めながら他も何もまだ一つも言っていないんだけどなと思ったのはこの場で唯一の後輩だ。
嫌いなところなんて言われても、というのが正直なところでリィンの視線は無意識のうちに右へと移る。
隙あらばギャンブルを持ちかけようとするのは止めて欲しいけれど、クロウ自身がギャンブルをしたいのならそれを止める理由はリィンにはない。学生だからというのは立派な理由だが、そうでなくなったとしたらそこはクロウの好きにすれば良いと思っている。勿論そこに自分は巻き込まないで欲しいがギャンブル自体は本人の自由だ。
からかうのも止めて欲しいといえばそうだけど、それが全く嫌かといえばそうではない。からかっているように見せかけて、ということが少なくないことはリィンもよく知っている。先程アンゼリカが例に挙げたことにしても嫌いなところと言うようなものではない。
「アン、それくらいにしてあげたらどうだい」
不意にジョルシュが奥から声を掛ける。するとあれほどリィンから話を聞きたがっていたアンゼリカも「それもそうだね」と何故か急にあっさり引いてくれた。
どうしたんだろう、と首を傾げたリィンは横に座る恋人を見てまた一つ疑問を増やす。
「クロウ……?」
気のせいか、僅かに顔が赤くなっているような気がした。そこで体調の心配をしてくれる相変わらずの恋人にクロウが一先ず否定をし、それから愛されているんだねとアンゼリカが茶化す。奥で作業をしていたジョルジュも心なしか微笑ましそうにこちらを見ているような気がした。
一人状況についていけていない様子の後輩にクロウは小さく息を吐いた。
「お前、人のこと見すぎ」
え、とリィンが驚いた声を上げて再びクロウを見る。完全に無意識だったそれにリィンは「そんなに見てたか……?」と恋人に尋ねる。それにクロウが肯定を返せばリィンの頬にもほんのりと朱が乗る。
もしかして考え事をしている間ずっと隣を見ていたのか、とリィンは思ったが正にその通りだったのだ。じっと見つめる視線にクロウが耐えられなくなり、その様子に嫌いなところなど聞いても仕方なさそうだとアンゼリカも理解し、ジョルジュが助け舟を出してくれた。これが事の顛末である。
「よし。リィン君、終わったよ」
はい、と差し出されたARCUSを受け取ったのはクロウだった。リィンのARCUSを片手に「行くぞ」と言った恋人はさっさと技術棟を出て行く。
そんなクロウの名前をリィンはすぐに呼んだが既に遅く、急いで立ち上がるとジョルジュに向かってぺこりと頭を下げた。
「ジョルジュ先輩、すみません。ありがとうございました」
「また何かあったらいつでもくると良い」
「アンゼリカ先輩も失礼します」
二人に挨拶をしたリィンは小走りで技術棟を後にした。だが急がなくてもクロウなら技術棟の外でリィンのことを待っていることだろう。クロウはリィンを連れてさっさとこの場を去りたかっただけなのだ。
どうやら心配などせずとも上手くやっているみたいだと残された二人は彼等の出て行った扉を見つめる。そしてまたいつものように導力バイクについて話し始めるのだった。
□ □ □
アンゼリカとジョルジュが思っていた通り、技術棟を出たリィンはすぐに目的の人物との再会を果たした。
てっきり先に行ってしまったのだと思っていたのだが、当然のようにドアを眺めていたクロウは「ほらよ」とARCUSを軽く投げ渡すと今度こそ歩き始めた。受け取ったARCUSをホルダーにしまったリィンが軽く走るとその距離はあっという間になくなり、二人はそのまま隣に並んで歩く。
「ったく、アイツといると碌なことがねぇな」
歩きながらとうとう文句を零したクロウにリィンは苦笑いを浮かべる。いつもいつも、と呟いているクロウだが仲が良くなければあんな話は出来ない。そんな風に言ったならクロウには否定されるかもしれないけれど。
ふと、赤紫と目が合う。すると少し考えるようにその瞳が動き、それから再びクロウの瞳がリィンを見た。
「……それで、本当のとこはどうなんだよ」
え、と思わず零したリィンに「さっきの話」とクロウが付け加えた。そのことを言っているだろうことは分かっていたのだが、まさかここでその話に戻るとは思っていなかったためについ聞き返してしまった。
けれど、だからこそクロウは尋ねた。何もないならそれで良いとはいえ、なかなか面と向かってする話でもない。勿論、今更遠慮をして嫌なことを嫌だと言わないことはないとは思っているが、どうせなら聞いてみるかと問い掛けてみることにしたのだ。
そんなクロウにリィンは目をぱちくりさせ、やがて小さく笑った。
「本当に何もないよ。クロウこそ、何かあるか?」
「あるわけねーだろ」
嫌いなところなんて何もない。考えたところで出てくるのは好きなところばかり。それはそれで面と向かて話すことも多くないが、好きだからこそ二人は今付き合っている。それが答えだろう。
即答したクロウにリィンの頬が自然と緩む。ほんのりと頬が染まっているのは夕日のせいだ。やっぱり好きだなと、思っていたらうっかり手がぶつかって「悪い」「ごめん」とほぼ同時に謝った。その声に隣を見れば向こうも丁度こちらを見たところだったようで二つの紫が交わる。
「………………」
なんとなく視線を逸らさないでいると見つめ合っている形となり、ややあって視線が逸らされたのもまた同じ頃。
放課後に入ったから大分経っていることもあり、大多数の学院生は部活動に励んでいたり下校を終えた後なのだろう。その上でたまたまそういうタイミングだったのだろうけれど、二人が歩いている今は他の生徒の姿が見当たらない。
「なあ」
その声に青紫が動く。赤紫は未だにリィンを見なかったが、暫くしてゆっくりとその瞳がリィンを映す。
「手、繋いでみるか?」
聞かれてリィンは二、三回ほど瞬きをした。そして再び触れるクロウの手。今度のは偶然ではなく、クロウが意図してリィンに触れている。
しかしその手はどこか遠慮がちで、でもそれはリィンがまだクロウの問いに答えていないからだろう。
「……うん」
だからリィンは頷いて、遠慮がちなその手に戸惑いながらもそっと自分の手を重ねた。
あったかい、そう思ってから心臓がどきどきと五月蝿くなったのはすぐだった。あまりに心臓が五月蝿いからその音が聞こえていないか心配になるけれど、初めて繋いだ手に心も温かくなる。
嫌いなところも不満なこともない。確かにギャンブルはよくないし、借りたものはきちんと返すべきだろう。だけどそれがクロウの嫌いなところかといえばそうではない。
今だってクロウはちゃんとリィンが答えるのを待ってくれた。この恋人は最初からリィンのことを大事にしてくれている。付き合って数ヶ月経っても何もしていないのはなんとなくそういう機会がなかったからだけど。
「あのさ、クロウ」
やっぱり、嫌いなところはない。
思ったことをそのまま口にしたリィンに「そうか」とだけクロウは答えた。その頬に朱が乗っているのはやっぱり夕日のせいということにしておこう。
嫌いなところ
思い付かないなりに考えても出てくるのは逆のところばかり
それはつまり、そういうことなのだろう