チリンチリンとベルが鳴る。ドアを開けると同時に聞こえるその音色は訪問者を教えるという大事な役割を担っている。
間もなくいらっしゃいませとお馴染みの店員に迎えられ、青年は軽く会釈をする。お好きな席へどうぞと案内されて青年が向かったのは窓側一番奥の二人用の席。おしぼりと水を運んできた店員にコーヒーを頼むのもお決まりで、メニューをちらと確認した青年に店員の方からいつもので良いかと確認するようになったのは三週間ほど前のことだ。
リィンがこの喫茶店を見つけたのは発売したばかりの新刊を買うために本屋への寄り道を決めた日のことだ。大通りを歩いていたらひっそりとした横路がなんとなく目に留まった。幾つかお店が並んでいるようだけれど、少し考えたリィンは時間もあることだからと興味本意でその道を奥へと進んだ。
横路に入って一つ目の角を曲がり、更に次の角を右へ行ったところにこのお店はひっそりと佇んでいた。そのままドアを叩いたのは二ヶ月前の話になる。
「お待たせしました」
運ばれてきたコーヒーにリィンは「ありがとうございます」と頭を下げる。そんなリィンに店員も小さく笑みを返して奥へと戻っていく。
二ヶ月前に偶然見つけたこの喫茶店にリィンが通うようになったのは静かで落ち着ける雰囲気を気に入ったからだ。読書をするにも勉強をするにも良い。ちなみに今回はテストが近いために教科書とノートを広げさせてもらっている。マスターは気さくで優しい老人、先程の彼はここで働く店員で年はリィンよりも少し上くらいだろうか。背が高く顔も整っている彼も親しみやすい店員である。
(この場合の公式は……)
コーヒーを飲みながら複数ある公式の一つを書き出す。数行に渡る途中式の末に導き出された答えを右下へ。これでこのページの問題は最後だ。
ふう、と一つ息を吐く。少し休憩を挟もうかと考えたところでコトリと音がした。音に反応するように横を見ればお馴染みの店員が立っている。そしてテーブルにはケーキが一つ。
「あの、間違えていませんか?」
コーヒーのおかわりを一度お願いしたけれど他に注文をした覚えはない。だから他の人と間違えたのだろうとリィンは指摘するが、彼は「いや」と否定をして「勉強ばかりでは疲れるでしょう?」と続けた。
確かに頭を使うと甘い物が食べたくなると言ったりもするが、それはここにケーキが運ばれる理由にはならないだろう。不思議そうな表情で見つめるリィンに店員は「まあ良いから」と言う。全然良くないんですが、と返したのは当然の流れだろう。そんなリィンに店員は「そうだ」と何かを思いついたような声を上げる。
「それなら今度、少し協力してくれませんか?」
「協力、ですか……?」
聞き返すリィンにこれはそのお礼――の前払いだと思ってくれれば良いと店員は話した。
突然そのような話をされても困惑してしまうが、けれど彼は何の協力をして欲しいのだろうか。お礼の話はともかく、自分に協力して欲しいこととは何だろうとリィンはもう少し話を聞いてみることにした。
「協力と言われても、俺に出来ることなんでしょうか」
「それは問題ない、というよりお兄さんみたいな人にしか頼めないからもし協力してくれるならこちらも助かるんですが」
「俺みたいな人にしか……?」
それはどういうことだろうと疑問符を浮かべると、彼は店のメニューを練習しているから客観的な意見が聞いてみたいのだと説明した。流石に初めて来る客にそういったことを頼むことは出来ないし、マスターにも意見は聞くけれどもっと他の人の意見も聞いてみたい。そうなるとこの店に通ってくれている常連客に協力してもらえたら一番有り難い、というのが事のあらましのようだ。
「勿論無理にとは言わないしお代も要らない。けど誰にでも頼める話ではないから協力してもらえたら嬉しいんですが、どうでしょうか?」
成程、とリィンは視線を落とす。さっきの店員の反応からしてそのことは後付のようにも思えるが、協力して欲しいという話はそれで本当なのだろう。
行きつけの喫茶店で働く顔馴染みの店員からの頼みだ。そういうことなら喜んで協力する――と言いたいところではあるが、リィンの中にはまだ一つ疑問が残っていた。
「でも、どうして俺なんですか?」
「いつも来てくれてるから、では納得してくれませんか?」
理由としては然程おかしくもない。けれどそれだけではまだ疑問は解決したとは言い難い。常連客に頼みたいといっても常連はリィンだけではないのだ。それこそ自分以外にもっと適任な人がいるのではないか、という疑問がある。
それを声に出したわけではなかったのだが、怪訝そうな表情から店員はそれらを悟ったのだろう。軽く肩を竦めた彼は「あまり目立つところでやるとマスターに怒られるんだよ」と普段よりやや砕けた口調で零した。会計の時などに短い会話をすることも少なくないが、いつもはお互いに敬語のため少しばかり驚いた。けれど自然なそれは普段の彼の話し方なのだろう。
「分かりました。俺でよければ協力しますよ」
「ありがとうございます。……今更だが俺はクロウ。一高の三年だ」
「東高二年のリィンです」
自己紹介をされてリィンも名乗る。年上だろうとは思っていたけれど彼が自分と同じ高校生だったのは意外だ。勝手に大学生くらいかと考えていたのだが年は一つしか違わないらしい。
東高って偏差値が高くないかと彼――クロウは言うが、偏差値の高さなら一高も相当だ。指摘すれば東高には負けると返される。確かに比べればそうだがそこまでの差はないだろう。要するに彼は見た目がカッコいいだけではなく頭も良いらしい。
「一高のテストはまだ先ですか?」
「ウチは再来週。そっちはもうすぐか?」
「はい。丁度来週の頭からです」
土日を含めてテストまで残り四日。どの部活もテスト期間で停止中だ。といってもリィンは部活動に所属していないのであまり関係はないが、テスト期間ということもあっていつも以上に勉強には力を入れている。少しでも怠ればすぐに成績は落ちてしまうのだ。
「それで今日は勉強ってワケか。まあ適度に休憩しながら頑張れよ」
頑張りすぎても疲れるだけだからなと言ったクロウはちらとカウンターへ視線を向けたかと思うと「それじゃあごゆっくり」と席を離れた。カウンターにはいつの間にかマスターの姿があり、それに気付いて仕事に戻ったといったところだろうか。
ではこっちも勉強を再開――する前に、せっかくもらったのだからと先程のケーキを頂くことにする。大きな苺は甘酸っぱく、ケーキも勉強していた頭に程よい甘さだった。
喫茶店での出会い
初めて訪れてから二ヶ月、名前を知ってそれから