お馴染みの喫茶店に通うようになって三ヶ月が過ぎた。先月、テスト勉強をしていた時に頼まれたことに協力をするようになってからはそろそろひと月といったところだろうか。
 以前は本を読むか勉強をするために立ち寄ってた喫茶店。その奥で一つ年上の店員とささやかなやり取りをするのが今ではお決まりになっていた。


「今回は結構いい線いってると思うんだよな」


 コトリ、と置かれたお皿にはフィッシュバーガーが一つ。普通のハンバーガーでいう肉の代わりに白身魚のフライを挟んでいるこれはこの店の看板メニューだ。
 それを見て読んでいた本を端に置いたリィンは「いただきます」と両手を合わせた。ぱくり、かじりついたそこから広がる魚の味。柔らかなパンズと一緒に口にしたそれはサクッと良い音を響かせた。美味しい、のはいつも通りだが、食べた瞬間に感じた前回との違いにリィンはすぐ傍の店員を見上げた。


「もしかして、フライの揚げ方が前と違いますか?」


 少し、白身魚のフライを食べた時の感覚が以前とは違ったような気がした。その指摘にクロウは緩く口角を持ち上げた。


「ちょっとだけな。こっちの方が衣がサクサクしてると思うんだが」

「そうですね。前のも美味しかったですけれど、今回の方がより良くなっていると思います」


 リィンの言葉に「これでまた一歩前進だな」とクロウは満足そうに笑った。そんな彼につられるようにリィンも微笑み、それから手元のフィッシュバーガーへと視線を落とした。


「でも、クロウさんが作るものは最初からどれも美味しいですよ」

「そりゃどうも。けどやっぱ、店に出すならマスターの味に近づけないとな」


 それについてもリィンが初めてクロウの作った料理を食べた時からそこまで大きな差はなかったように思う。リィンに持ってくる段階である程度は作れるようになっているのだろうけれど、比べれば確かに違いはあっても極端に違ったことは今までに一度だってない。
 それでも、クロウとしてはその部分が納得できないのだろう。だからこそ、こうして客の一人であるリィンに協力を頼んでいる。そういうところを見ると、気さくなこの店員は実はとても努力家なんだなと感じさせられる。


「俺はクロウさんが作る料理も好きですけど」


 味が美味しいのはもちろん、あたたかなその料理を初めて口にした時から好きだなと思った。元からこの店のメニューはリィンの好みにも合っているけれど、マスターが作ったものとは僅かに違うそれに俺はこれも好きですよと答えたのは本心だ。むしろ、リィンとしては――。


「…………クロウさん?」


 不意に訪れた沈黙にリィンは顔を上げる。すると何故か、クロウは若干俯いていた。


「……お前さ、本当に普段からそんななのか」

「え?」

「いや、こっちの話」


 これならそろそろマスターにも合格点をもらえるかもな、とあからさまに話を逸らされた気がするのは気のせいだろうか。彼の言葉が聞き取れなかったわけではないのだが、何に対して普段からそうなのかと聞かれたのかは分からない。
 何かおかしなことでもした、もしくは言っただろうか――と考えたところで一人では答えを見つけることはできない。しかし、聞いても教えてはくれそうにない店員の様子にリィンは諦めてその話に乗ることにした。


「マスターって厳しいんですね」

「店のことは特にな。ま、俺のために言ってくれてるのは分かってるんだが」


 それにしたってもう少しくらい甘くてもいいのにとクロウは言うけれど、それを許せないのはおそらくクロウ自身だろう。そのことはこの一ヶ月でリィンも理解していた。きっとマスターもクロウのそういうところを知っているからこそ厳しくしているのではないだろうか。
 と、思ったところでふと。クロウの言葉にリィンは引っ掛かりを覚えた。


「そういえば、クロウさんとマスターって……」

「ああ、言ってなかったか。マスターは俺の祖父さん。だから店のことと勉強のことには厳しくてよ」


 店のことは特に、ということは他にも言われることがあるのだろうか。そう思ったリィンの疑問はクロウの言葉であっさりと解決した。どことなく似ているとは思っていたのだが家族なら似ていて当然なわけだ。


「勉強なんて最低限のことを押さえとけばいいと思わねぇ?」

「いや、まあ。やっておくに越したことはないんじゃないですか……?」


 その方が将来の選択肢も広がる。少なくとも勉強をしておいて損をすることはないはずだと、正論を答えたリィンに「真面目だな」とクロウは言う。そんなことはないと否定すれば、赤点さえ取らないで平均そこそこ取ってればどうにでもなると思うけどなと一つ上の先輩は適当なことを口にする。
 けれど、彼の通っている学校のレベルを考えるとそれなりに勉強ができなければそもそも入試を通らなかっただろう。店のメニューの練習にしてもそうだが、多分口ではこう言っていてもやることはきちんとやっているのではないだろうか、と思ったのも束の間。


「そんじゃあ俺の分もお前は頑張ってくれよ」

「……それは自分でやらないと意味がないと思うんですが」


 ちゃんとしているのかそうでないのか。こうした言動を聞いていると分からなくなるが、ここにあるフィッシュバーガーこそが何よりの答えだろう。
 俺は程々でいいと言う彼に「でもクロウさん、受験生でしょう?」と尋ねてみると「第一志望は問題ねぇよ」と返って来るのだからやはりそういうことだ。

 この一ヶ月、協力という形で話をするようになって徐々に打ち解けてきた店員。いつの間にか、このちょっとしたやりとりもこのお店に来る一つの楽しみになりつつある。
 それは彼の料理を食べることができるからか、一つ違いの彼とこうやって話をする時間が楽しいからか。きっとそのどちらも正解だろうなと、考えていたところで耳に届いたのはチリンチリンと鳴るベルの音。


「悪ィ、そろそろ戻るわ」


 音が鳴るなり入口を見たクロウは一言そう言ってすぐにそちらへ向かった。
 いらっしゃいませといつものように対応を始めるクロウを暫し眺めたリィンは再び手元に視線を落とし、ぱくりと彼の作ったフィッシュバーガーを一口。


(やっぱり、俺はクロウさんが作ったものが好きだな)


 マスターが作るものも美味しいし、そこまで味に違いはない。けれど不思議とそう感じるんだよなと思いながらリィンは残りのフィッシュバーガーを食べるのだった。







読書に勉強、そして彼と過ごすささやかなひととき