いつから惹かれていたのか、と聞かれたら最初からとしか言えない。
 店にやってきた瞬間、目を奪われた。それが恋だと自覚して納得したのはもう少しあとだが、惹かれたのは間違いなくあの時だった。


「今日はバレンタインだろ?」


 いつもとは違う、チョコレートを使ったケーキに首を傾げたリィンに補足する。
 そこで漸くこちらの意図が伝わったのだろう。一度ケーキに視線を落としたリィンは程なくしてクロウを見た。


「バレンタイン限定のメニューですか?」

「まあそんなとこ。せっかくだからお前にも食べてもらいたくてな」


 この協力関係も気がつけば随分長く続いている。たった一言で納得してもらえることはありがたい反面、複雑な気持ちもゼロではない。
 だが、素直に受け取ってもらえるのは喜ばしいことだ。


「では、いただきます」


 それもこんなに美味しそうに食べてもらえるのは、作った者として嬉しくないわけもない。
 両手を合わせたリィンは一口大のケーキをフォークに刺して口に運ぶ。もぐもぐとそれを食べ終えたリィンの表情はぱあっと明るくなる。


「美味しいです」

「それはよかった」


 チョコが濃厚で口の中で溶けるようだとリィンはケーキの感想を教えてくれる。デザート類はあまり得意ではないけれど、そう言ってもらえると作ってよかったと思える。


「バレンタイン限定なのがもったいないくらいです」

「なら今年のバレンタインは成功だな」

「毎年違うんですか?」

「いや、今年が初めて」


 正確にはこれが特別なのだが、言ったところで意味は通じないのだろう。何がいいか、どうすれば不自然ではないか、あれこれ考えながら準備したのはここだけの話だ。


「お前は結構もらったのか?」


 鞄と一緒に置いてある紙袋に視線を向けながら尋ねる。袋に入っているのは間違いなくチョコレートだろう。
 まあモテるよな、と思いながら聞いたクロウにリィンはきょとんとした。だがすぐにこちらの言おうとしたことを察したのだろう。ああ、と納得したように頷いた後にクロウを見た。


「これは違うんです」

「違うって、かなりの数だろ」

「よく生徒会の手伝いをしているから、そのお礼にって渡されるだけです」


 へえ、と相槌を打ったクロウだが、どう考えても全部がそうだとは思えなかった。
 もちろん、リィンの言うように日頃のお礼として渡した子もいるだろう。しかし、そう言いながら本命として渡している女の子がどれくらいいるのだろうか。


「クロウさんはどうだったんですか?」


 あまり考えたくないな、と思っていたところでリィンに聞かれる。


「オレは義理だってはっきり言われてもらったのが幾つかあるぐらいだな」

「そうなんですか? 少し意外です」


 意外とはどういう意味なのか、とは流石に聞けない。だがその答えはリィンの方から教えてくれた。


「クロウさんってすごくモテそうなタイプに見えるのに」


 その言葉に目をぱちりと瞬かせる。それはつまり、お前からはそう見えているということでいいのだろうか。
 少しは望みがあるのか、ないのか。だが男同士という時点で望みは薄いだろう。それでも好きになってしまったからどうしようもないのだが。


「へえ、お前からはそう見えるのか」

「見た目もそうですし、そういう印象があるので」


 そこに含まれているものは分からない。でも、モテそうに見えると言うくらいだから悪い意味ではないのだろう。


「そうか」


 そう受け取って短く返した。暫く、沈黙が流れる。


「ごちそうさまでした」


 やがて、ケーキを食べ終えたリィンが両手を合わせる。


「やっぱり、バレンタイン限定なんてもったいないですね」

「そんなに気に入ったのか?」

「クロウさんの料理はいつも美味しいですが、今回のケーキは限定だと思うと少し寂しくて」


 限定だからこそ惹かれるものもあるんですが、とリィンは笑った。
 ――言いたいことは分かる。ここで働いているのだから自分もそういう視点は持っている。持っている、のだが。


「そう言ってもらえると作った甲斐があるな」


 特別を受け取ってもらえた、と錯覚しそうになる。そうではないと分かっているのに胸の奥が揺さぶられる。
 けれど、それがリィンの純粋な感想であることも分かっている。惹かれてしまうのはもう、仕方がない。


「来年はやらないんですか?」


 何気ない一言に少しだけ言葉に詰まる。
 渡せたらいいとは思う。だが、来年のことなんてまだ分からない。そもそも、リィンはその時もここにいるのだろうか。


「そうだな……毎年同じより少し変える方がいいとは思うんだが、考えておく」

「はい」


 素直に頷いたリィンに小さく笑みを返す。
 店内には聞き慣れた音楽が流れていく。空になった皿を自分の手へ移動し、テーブルを整える。それから「ごゆっくり」とだけ告げてクロウはその場を離れた。

 バレンタインか、と胸の内で呟く。

 来年のことを少しだけ考えてやめる。
 その言葉は、胸の奥に静かに残っていた。







言葉にしないままの時間