のんびりとした休日。特に出掛ける用事もなく、一通りの家事を済ませた後は各々リビングで自由に過ごしていた。リィンはひと月ほど前に購入した小説の続きを、クロウは先日出たばかりの雑誌をぺらぺらと捲っている。
 そうして一時間くらいは経っただろうか。リィンの読んでいた小説は四章を終えた。物語は全部で七章まであるからこのあたりが折り返し地点といったところだろうか。


(クロウは…………)


 ちらりと視線を同居人の方へと動かす。どうやら赤紫は未だにテーブルの上の雑誌に向けられているようだ。あちらは小説のような区切りはないからまだ暫くは掛かるだろうか。おそらくリィンが声を掛ければすぐに反応してくれるのだろうけれど。


(……やっぱり、格好良いんだよな)


 黙っていれば、と付け加えたら怒られそうだけれど。整った顔に綺麗な銀髪、そして自分とは違う赤みがかった紫色の瞳。ただ雑誌を見ているだけでも様になるのはズルいよなと同じ男としてリィンは思う。
 クロウにいわせればリィンもリィンで、それこそ色んな意味で心配らしい。そんなことを言うのはクロウくらいだと言ってもこの恋人は呆れたように溜め息を吐く。これだから鈍感は、と言われても俺はクロウのようにモテるわけでもない――と思っているのは本人だけなのだが。可愛いなんて言うのはクロウだけで十分だという点については間違っていない。


「…………」


 本の続きを読むか、恋人が本を読み終えるのを待つか。邪魔したら怒るかなという考えは頭に浮かべたその場で否定した。クロウならほぼ確実に怒らないだろう。
 怒らないなら良いか。そう考え至ったリィンが僅かに身を乗り出したのはそれからすぐのことだった。


「……クク、どうしたよ」


 リィンの唇が頬に触れて間もなく、肩を震わせた恋人は漸く赤紫の瞳にリィンを映した。


「したくなったから」


 質問にそのまま直球で答えたリィンにクロウは成程なと言いながら彼は未だに笑っている。


「いつまで笑ってるんだ」

「そりゃあリィン君がずっと人のことを見てるからだろ」


 気付いてたのかと言えば、あれだけ見られて気付かないわけがないだろうと返される。それもそうかと納得したリィンは、それでいて気付かない振りをしていたのかと尋ねた。
 するとお前が何するのか気になったからなとこの恋人はさらっと言うのだ。可愛いな、とあまり男に使うことのない言葉を続けて。だからリィンも思ったことをそのまま声に出した。


「クロウが格好良いのが悪い」

「おーそれじゃあ仕方ねーな」

「自分で認めるのか」


 呆れるリィンに口の端を持ち上げたクロウは問う。でも好きなんだろ、と。
 それについては否定しないけれど、と思ったリィンの右手は銀糸へと伸びる。そういうところも嫌いではないし格好良いのも事実だ。そして好きでなければああいうことはしない。こうして触れたいと思うのも。


「本はもう良いのか?」

「俺の方は一区切りついたんだ」


 へぇと相槌を打ちながら今日はそういう気分なのかとクロウは恋人の好きにさせた。クロウも何となくリィンの髪を触りたくなることはあるし、そういう時はリィンも大抵好きにさせてくれるのだ。多分深い理由なんてないのだろう。
 しいて理由を挙げるなら好きだから。恋人である自分達にそれ以上の理由は必要ない。


「俺はまだ途中なんだけどな」

「読んでても良いぞ」

「お前がそうしてるのに?」


 読めないことはないだろうとリィンからは何とも適当な回答が返ってくる。そういう問題じゃないよなと思ったクロウも実は青紫の視線に気が付いた時点で本を読むのを中断していたのだが、そこはあえて言う必要もねえかと恋人へ視線を流す。


「一体どこでそういうことを覚えてきたんだかな」


 昔は本を読んでいるのを邪魔したらまだ途中だと怒られたというのに。とはいえ本気で怒っていたことは一度もなく、大概はそのままリィンがしょうがないなと折れていた。そうやってなんだかんだでリィンはクロウに付き合ってくれるのだ。けれど今ではそれが逆転しているのだからおかしくて仕方ない。


「心当たりはないのか?」


 思わず笑ってしまったクロウの髪から手を離したリィンが見上げる。どうやらもう気は済んだらしい。そしてどこで覚えたのかなど聞くまでもないだろうという風に自分を映す青紫にクロウは優しく微笑む。


「心当たりしかねーかもな」


 それはそうだ。リィンはクロウを見てこういうことを覚えたのだから。
 恋人なんだから良いだろう、というのはどちらにも当て嵌まることだ。クロウがリィンを好きなのと同じだけリィンもクロウが好きで、触れたいと思うのも自分だけの感情ではない。
 お前も好きにすれば良いと誰かさんが言ったのはもう随分と前の話だ。少しずつ、けれど確実に時間の流れと共に二人の距離も縮まっていった。


「なあ、クロウ」


 ん? と短く聞き返したクロウはリィンが続きを口にするよりも先に恋人の頭を自分の元へと引き寄せた。キスがしたい、と言葉にせずともこの恋人にはそれだけで伝わったらしい。
 だが恋人の様子から伝わったのはそれだけではない。


「本を読むのは終わりにするか」

「良いのか?」

「それはこっちの台詞だ」


 元々はお前が本を読みたかったんだろと言うクロウに「気が変わったんだ」とリィンはあっさり答える。これもやはり恋人の影響だろう。
 一緒に過ごしている時間が長くなればそれだけお互いに似てくるというが、リィンはこの数年で随分とクロウの影響を受けたのかもしれない。でもそれは幸せなことだよなとクロウは思うのだ。そう思ったクロウもまた、リィンの影響を受けて変わったところが幾つもあるのだろう。


「どうする、今からでも出掛けるか?」

「いや、今日はクロウと二人で過ごしたい」


 まだ昼前、出掛けるのに遅くもない時間だ。少し早目のランチでも食べて適当に街中をぶらつくのもありだろう。
 そう考えたクロウにリィンは首を横に振った。勿論それも楽しいと思うけれど今日は家で過ごしたいのだと。答える恋人にまだ気が済んだわけではなかったのかと思いながらクロウは口元を緩めて分かったと頷いた。恋人の笑顔にリィンの顔にも自然と笑みが浮かんだ。








- pattern C -

たまにはそんな気分の時もある
そうして伸ばした手を彼は当たり前のように受け止めてくれるのだ