「こら」


 咎めれば「良いじゃねーか」と返って来たから「危ないだろ」と至極真っ当なことを言ってリィンは隣を見る。今は料理をしている最中なのだ。もしも何かあってからでは遅い。


「じゃあ代わるか?」

「……代わったところで危ないことに変わりはないだろ」


 代われば良いという問題ではなくもっと根本的な話だ。料理当番を交代したところで危ないのだからキスは止めてもらいたい。
 ……既にやった後ではあるが言っておかなければ次があるかもしれない。言っておいても次はあるかもしれないが言わないよりはマシだろうと思っての発言だ。だがあまり意味はないんだろうなと長い付き合いになる相棒を横目にリィンは思う。


「なら料理が終わったら良いのか?」

「それなら良いけど、お昼のことは忘れないでくれ」

「キスの話だろ?」

「キスの話だよ」


 言って赤と青の紫がぶつかる。何年一緒にいると思っているんだ。そう言いたいのが伝わったのだろう。分かったよと答えたクロウはただ待つのも暇だからと昼食の支度を手伝い始める。
 今日の料理当番はリィンだが、あってないようなそれはお互いに手伝う形になることも多い。幾つかの野菜を出すクロウについでに蜂蜜も出しておいてくれと頼むのはいつものことだ。

 そうして完成した昼食を二人で食べ、洗い物を片付けて一息吐いた頃。


「リィン」


 呼ばれて振り向くと赤紫とかち合う。ソファに座ったクロウは隣をぽんぽんと叩いた。要するにこっちへ来いと言いたいようだ。
 特に何をするでもなかったリィンは呼ばれるままクロウの隣に座り、そのまま自分の横にあった頬へと唇を寄せた。


「何だ」

「リィン君も変わったなと思ってな」


 微かに肩を揺らした恋人に問えばそのように返されたが、クロウも人のことは言えないだろうとリィンは心の中で呟く。まるで自分ばかりが変わったかのような言い方だが決してそんなことはない。素直になった、とまでは言えないけれど昔は見せてくれなかったところまで見せてくれるようになった。それだけ気を許してもらえているのならリィンとしては嬉しい。
 勿論そこまであからさまな変化はないもののクロウは確かに変わった。久し振りに会った友人には変わらないと言われることが多い恋人だけど、一番近くにいるリィンは知っている。しかし彼のことを変わらないと言いつつもやっぱり少し変わったかもしれないとリィンにだけ友人がこっそり教えてくれることもあるのだが、それに対してリィンが「そうかもしれないな」と答えると大抵はリィンも変わったと言われる。けれどそれは仕方がないとリィン自身も思っている。


「なあ、リィン」


 呼ばれて少しだけ視線を上げると自分より赤みの強い紫の瞳が真っ直ぐにリィンを映していた。長い付き合いといっても全てが全て分かるわけではないのだが、さっきの今ともなればなんとなく予想は出来る。だから先にこちらからキスをしておいたのだが。


「珍しいな」

「たまには良いだろ」


 たまに、という言葉が引っ掛からないでもないがある意味ではそうかもしれない。いつもはわざわざ聞いてこないのだからそういう意味ではたまにだ。とはいえ、お昼の時はいつものようにしたくなったからでキスをしてきたし、今もまだはっきりと言葉にはされていないわけだがいつもならキスをしてくるのにしてこないのは先程の“たまに”が理由なのだろう。


「キス、しても良いか?」


 聞かれたリィンは肯定の代わりにそっと瞳を閉じた。互いの唇が触れ合ったのはそれから間もなくのこと。
 ゆっくりと恋人の姿を視界に捉えたリィンの頭上には疑問符が一つ。じっと見つめられる理由を考えようとしてすぐのことだ。


「リィン、キスがしたい」


 あれ、と思ったのはその赤紫を再び映した時だ。クロウが望むのならそれに付き合うのは構わないのだが、何かを感じ取ったリィンはその前に今浮かんだ疑問を目の前の恋人に投げ掛けることにした。


「何回言うつもりなんだ?」


 仮にここでキスをしたとして、その後には三回、四回と続いていくのではないか。少なくともこの二回目で終わる気配がないのは気のせいではないだろう。
 そう考えたリィンが尋ねるとクロウは口角を持ち上げて何度でもと答える。


「お前がどこまで付き合ってくれるかと思ってな」

「またくだらないことを……」


 くだらなくはないだろうとクロウは言うけれどそれ以外に返す言葉は見つからない。おそらくこれはただの思い付きだ。何となく気になって試してみようとなったのだろうが、これも昼食を作る時にしたやり取りがきっかけだろうかと考えながらリィンは溜め息を吐いた。


「せっかくの休みなんだから掃除とかしたいんだが」

「すれば良いだろ」

「クロウに付き合っていたら何も出来ないまま一日が終わるだろ」


 その言葉の意味するところは説明する間でもないだろう。だからこそリィンにはくだらない以外の返す言葉が出てこなかった。


「そうか、一日が終わっちまうか」

「まあクロウが途中で止めてくれるなら良いけど」


 弾んだ声で繰り返す恋人に言えば「俺が?」と聞き返される。明らかに止める気のないそれにリィンはどうしたものかと考える。そもそもキスで終わるのかも怪しいよなと思いながらちらりと横を見ればクロウはにこにこしながらリィンを見つめている。
 このまま恋人に付き合うか、今はここまでだと終わりにしてしまうか。多分どちらを選んでも間違いではないのだろう。それを知っているからこそリィンは迷っているのだが。


「続きは掃除が終わってからだ」


 両手をすっと伸ばし、さっき言われた分のキスを自分からしたリィンはそう言って立ち上がるとクロウを振り返る。


「クロウも手伝ってくれた方が早く終わるんだけど」

「掃除は次の休みっていう選択肢はねぇの?」

「次の休みが晴れる保証はないだろ」


 いい加減に冬物は片付けてしまいたい、とリィンの視線は寝室の方へと向かう。本当はもう少し前に片付けてしまいたかったが自分達の休みと天気がなかなか合わなかったのだ。主に時間の方が取れなかったのだけれど、時間がある時には生憎の天気でずるずるとそのままになってしまっている。


「まあそれは一理あるか。んで、掃除が終わったら何でも付き合ってくれんの?」

「そこまでは言ってない」


 ちゃっかり話をすり替えようとするクロウをばっさりと切る。全く、何でもとは何を言い出すつもりなのか。
 いや、クロウが言いそうなことならリィンには予想が出来る。昔はそれこそ何を言うつもりかと身構えたが、こういう時のクロウは――そこまで考えたリィンは少しだけ考えてすぐ傍の恋人を見た。


「……夕飯を作ってくれるなら」

「うん?」

「付き合っても良い」


 さっきの? とクロウが聞き返すからリィンは掃除も手伝ってくれたらなと付け加えておいた。掃除の方は先程リィンが言ったままの理由だが、補足をするならその方がクロウと過ごせる時間が増えるから。
 せっかくの休みなのだからやりたいこともないわけじゃない。けれどただ恋人と過ごすのも悪くないと思えるくらいにはリィンもクロウのことが好きだ。それでも今日のうちにこれだけは片付けておきたいから、せめて少しでもその時間を増やしたいと思うのは別におかしなことではないだろう。


「それだけで良いのか?」


 ここでうんとは言わずにそう尋ねた恋人にリィンは小さく笑って「今日はそれで良い」と答えた。何か付き合って欲しいことが出来た時にはその時に言うから構わない。そして多分、というよりほぼ確実にその時はクロウの方が付き合ってくれるのだと知っている。だから今日はそれだけで良い。


「ならまずはさっさと掃除を終わらせるか」


 さっきの約束忘れんなよ、と立ち上がったクロウに言われて「ああ」と頷いたリィンはそれじゃあ始めようかと二人で掃除に取り掛かる。午前中も溜まっていたものを分担して片付けていたわけだが、これが終われば本当に全部終わりだ。そうしたらのんびりと恋人との時間を過ごすとしよう。








- pattern D -

何度も、何度でも
恋人がそれを望むのならたまにはそういうのも有りだろう