キスをしないと出られない部屋に閉じ込められた
- 閃ⅡED後捏造 「Future Trip」設定の二十七歳のクロウと十九歳のリィン編 -
「……ン、おいリィン」
声が、聞こえる。それからゆらゆらと体を揺らされて次第に意識が覚醒しはじめる。ゆっくりと、目を開けると視界に映ったその人はほっと息を吐いた。
「意識はあるみたいだな」
「ク、ロウ……?」
「ああ。あいつじゃなくて悪いけどな」
そんなことはない、と言いながらリィンは体を起こす。それを言うのなら俺も同じだと心の中で続けたのは、安心してすぐに一瞬だけ別の色が顔に滲んだことに気がついたからだ。
突拍子もなく起こる不可思議な現象は幾ら経験したところで決して慣れないだろう。二度あることは三度あるということわざもあるが、どうやら今回もまた違った形で自分たちは巻き込まれたらしい。殺風景な部屋を見回したリィンは六年後のクロウの前で視線を止めた。
「出入り口はなさそうだな」
「脱出の手掛かりになりそうなものどころか何もねえからな」
カチャッとARCUSを開いたクロウはそのまま首を横に振る。予想はしていたがやはりARCUSも使えないらしい。アーツなら発動できそうだと言いながらもパタンとARCUSを閉じたのはそれが得策ではないと判断したからだろう。同じ理由でリィンも身に付けたままの太刀を抜こうとは思わなかった。
ここは出入り口が一つもない謎の空間だ。武力行使でどうにかなるとは到底思えない。それを実行するとしてもただ闇雲に力を振るうのではなく、何かしら策を練る必要があるだろう。
「とりあえず、手分けしてこの部屋を探ってみるか」
「そうだな」
あっという間に終わりそうだがなと立ち上がるクロウに苦笑いを浮かべながらリィンも腰を上げようとしたその時、かさりと何かが擦れる音がした。振り向くと、そこには一枚の紙切れが落ちていた。
いつの間に――いや、初めからここにあったのか。
すっと手を伸ばして紙を拾ったリィンはそのまま紙を開いた。
「リィン?」
クロウの声ではっとする。
顔を上げれば、似て異なる赤紫の双眸がリィンを見つめていた。だけどリィンを心配するその瞳はどちらも変わらない。それはクロウがいつだってリィンを大切に想ってくれている証だった。
「……クロウ、これ」
だから見つけたばかりの数少ない手掛かりを共有する。
リィンが差し出したそれを受け取ったクロウは数秒を経て「成程な」と呟くと視線を横へずらした。考えたことは多分、同じだろう。
「これで出られる保証はないが、ここに留まる理由もないよな」
続けられた言葉もリィンと同じ考えだった。紙に書かれたことの真偽はともかく、脱出の可能性があるのなら試す価値はある。
何せこれは数少ない手掛かりだ。ここにはいない互いの相棒のことも気になる。唯一の問題は、その紙に書かれていたのが“この部屋はキスをしなければ出られない部屋です”という一文だったことだ。
「……お前が気にしてんのは、こっちのリィンのことか?」
暫くして二人の間に続いた沈黙をクロウが破った。尋ねられて顔を上げると、優しげな瞳が真っ直ぐにリィンを映していた。
とくん、と心臓が音を立てる。違っていても同じ赤紫はいともたやすくリィンの心を震わす。けれどそれはクロウがクロウである以上、仕方のないことだった。
「いや……」
「じゃあ俺かあいつか」
「…………クロウは、いいのか?」
「俺からすりゃあただの役得だからな」
そう答えたクロウの普段通りの声色は逆に作られたものだった。彼等よりも付き合いが短くとも自分たちも決して短くはない時間を共に過ごしているのだ。クロウが何も思わないわけがないことをリィンはよく知っている。
役得という考えがないとはいえないかもしれないが、クロウもリィンと同じだけ。もしかしたらそれ以上にここにいない二人のことを、目の前にいるリィンのことを考えている。だからリィンが真っ先に気に掛けたのはこの八つ年上の恋人のことだった。
「嫌か?」
「そんなわけないだろ」
それだけは有り得ない。はっきりと否定したらクロウは「なら問題ねーな」と笑った。
あれ、と感じた違和感について考えるより早く、クロウの手がリィンの頬に触れた。間もなくしてリィンの目に映ったのは。
とくん。
心臓が大きな音を立てる。あつい、視線が心を射ぬく。赤紫の瞳に惹かれて目が離せない。隠そうとしない想いが、どこまでもあふれて流れ込む。
「く、ろ――」
「リィン」
甘い声が呼ぶ。よく知る声とそっくりな音が鼓膜を震わす。緩やかにクロウの口元が弧を描いた。そして。
「心配しなくてもお前は俺が無事に帰してやるよ」
え、と思った刹那。リィンの唇を掠めたのはクロウの指先だった。
それから楽しそうに口角を持ち上げたクロウはその手を自分の唇に当てて言った。
「奪っちまったな?」
唇を。掠めた指先が触れたのもまた、唇。リィンの元から微かな熱がクロウへと、移った。
その意味を理解した瞬間、ぶわっとリィンの顔に熱が集まった。
「本当、可愛い反応してくれるよなぁ」
「……よく恥ずかしげもなくできるな」
「好きだからな」
即答されて心臓はまた一際大きな音を立てた。声から、瞳から、多くのものから嘘偽りのない想いが伝わる。ずるい、と思ったのは果たして何度目だったのか。
ふわり。
どこからともなく淡い光が部屋に浮かぶ。一つ、二つと次々に生まる光が意味するものを二人は知っていた。
「どうやら成功みたいだな」
何も直接キスをしろとは書かれていない。揚げ足をとるようだが、クロウが起こしたそれで条件は満たされたらしい。
そして、これまでに二度。二つの世界を行き来した時に見たこの現象は別れの時間を意味していた。
「もうちっと二人の時間を楽しむのも悪くなかったが、今回はお互い気になることもあるからな」
「俺たちが一緒にいることを考えると、クロウたちもそうかもしれないけど」
「ま、それならそれでいいだろ」
相棒の実力は誰よりもよく知っているとはいえ、世の中にはその腕を持ってしても厳しいこともある。無事でいることが一番、同じような不可思議な現象に巻き込まれているとすれば互いの相棒といてくれた方が安心だ。
やっぱり同じ考えを抱いていたらしい未来の恋人にリィンは意を決して一歩、踏み出した。
「クロウ」
溢れる光の中で手を伸ばす。掴んだ腕を引いてそっと、頬に触れたのも、唇。
「……好きなのは、俺も同じだ」
クロウがどちらのリィンにも好きだと伝えてくれるように、リィンも自分を想ってくれる彼らが好きだ。それはきっと、ここにいない二人にしても同じだろう。
「…………お前、それは反則だろ」
「お互い様だろ?」
僅かに視線を逸らして呟いたクロウにリィンの頬は自然と緩んだ。そして好きだな、と思った。この、未来の恋人のことも。
仄かに頬を染めながらリィンは自分にできる精一杯で気持ちを伝える。
「ありがとう、クロウ」
限りなく手掛かりの少ない場所で自分たちにとっての最善の答えを見つけ出してくれて。それほどまでに自分たちのことを考えて、想ってくれて。
そう言ったら暫くしてクロウがはあと溜め息を吐いた。
「礼を言われることはしてねぇだろ。俺もお前も目的は同じだったんだ」
「それでも、俺は言いたくなったんだ」
「ったく、恥ずかしいのはどっちだよ」
ふっと笑みを浮かべたクロウの手がリィンの頭を撫でた。
「そういうのはそっちの俺にしてやれ」
「それはクロウもだろ?」
「俺の方は言われるまでもねーよ」
光が満ちる。三度目の邂逅もこれで終わる。
あたたかな手が離れて、見上げた先で赤紫とぶつかる。瞬間、どちらともなく笑い合って最後の言葉を告げた。
「元気でな」
「おう、お前もな」
それじゃあ、と別の世界の恋人に手を振る。不思議な時間の終わりは、本当の恋人との再会の時間だった。同じ世界の恋人と目が合って、真っ先に手を伸ばしたのは果たして誰だったのか。
――なんて、答えは言うまでもないだろう。
何せ自分たちは結局、本当の恋人のことを誰よりも愛しているのだから。程なくして二つの熱は唇を通じて混ざり合った。
fin