キスをしないと出られない部屋に閉じ込められた
- 「俺達は再び巡り会う」設定の教師のクロウと高校三年生のリィン編 -
冷たい床の感覚。
あれ、と意識が浮上し始めたところで「リィン?」と自分を呼ぶ聞き慣れた声が耳に届いた。
「クロウ? ここは……」
「さあな。俺も今気がついたところだ」
その言葉を聞いてリィンは自分たちのいる部屋の中を見回す。真っ白で特にものといったものもない部屋に見覚えはない。
そもそもどうして自分はこんなところにいるのだろう、とまだ些か回りきらない頭で考える。リィンはついさっきまでは自分の部屋で勉強をしていたはずだ。少し休憩をしようとしたところまでは覚えているのだが、そこから先の記憶が途切れている。
「まさかこの世界でこんな現象に巻き込まれるとは思わなかったが、あからさまに怪しいモンが置いてあるな」
そう言って動いたクロウの視線を追いかけると、部屋の真ん中あたりにぽつりと封筒が置かれていることが分かる。おそらく、何かしらの手がかりがあるとすればこの封筒の中だろう。
「とりあえず中を確認してみよう」
このまま話していても解決法は見つからない。そう思ったリィンは封筒を手に取った。封のされていないそれは簡単に開き、そこからは一枚のカードが出てきた。
――ここはキスをしないと出られない部屋です。
紙に書かれていたのはシンプルな一文のみ。しかし、予想もしていなかった内容にリィンは呆気にとられた。そんなリィンを不思議に思って後ろからリィンの手元を除いたクロウもまた、そこにある文字に言葉を失ったようだった。
「……これはまた、本当かどうか怪しいモンが出てきたな」
暫く続いていた沈黙をクロウが破る。その声音は普段と変わらなかった。だが、この文章のことを考えているだろうことは一目見ればすぐに分かった。
自分たちは今、付き合っている。
しかし、リィンが生徒であるが故にクロウはなんだかんだで手を出してこない。それがまさかこんな形で崩されることになるなんて誰が想像できただろうか。
(クロウはどうするつもりだろう)
この状況でも生徒に手を出さないという信念は変えるつもりがないのだろうか。それとも緊急事態である今はその一線を越えてくるのか。
気になって隣を見るとクロウも丁度こちらを見たところだったのか、ぱちっと目が合った。
「今のところこの部屋を出る手がかりはこれしかないワケだが、どうする?」
「え?」
ここで質問を投げかけられるとは思っていなかったリィンは素っ頓狂な声を漏らす。そんなリィンに「出口らしい出口も今のところないだろ」とクロウは続けた。
「こんなことで出られるかは分からないが、試してみるか?」
「……いいのか?」
いつも何かしらの理由をつけてそういうことは避けていたというのに。
暗にリィンが言いたかったことはすぐに伝わったのだろう。他に方法があるかなんて分からないのだから試すならこれしかないだろう、と赤紫の瞳が僅かに逸らされる。
「もちろん、お前が嫌じゃなければの話だが」
「嫌じゃない!」
クロウの言葉にかかる勢いで答えたリィンにクロウはぱちりと目を瞬かせた。
嫌じゃない、嫌なわけがない。そう伝えたリィンに小さく笑った彼は言った。
「なら試してみるか」
優しげな声にとくんと心臓が鳴る。お世辞にも恋愛経験が豊富とはいえないリィンの心臓はドキドキと音を鳴らす。
試してみる、とクロウは言うがどこにどうやってするつもりなのだろう。赤紫を見れば、彼はあたたかな瞳でリィンを見つめた。そのことにまたとくんと心臓が音を立てた。
「リィン」
耳に馴染む声がリィンの名前を呼ぶ。ぎゅっと、瞳を閉じたのは反射のようなものだった。
そんなリィンの反応にクロウが笑ったのが分かる。程なくして、唇に触れたのは。
「…………え?」
「キスをしろとは書かれていたが直接しろとは書かれてねぇよ」
そう言ったクロウはリィンの唇に触れた指を自身の唇に押し当てた。
「これもキス、だろ?」
間接キス。
クロウが選んだ行動にぱちぱちとリィンは目を瞬かせる。程なくして、顔に熱が集まっていくのが自分でも分かった。
「……クロウ、そういうことは最初に」
「いやーリィン君の反応が可愛いからつい」
本当にきっちりと線引きをしている担任である。振り回される方は堪ったものではないが、クロウに振り回されるのは前世からのことだ。
はあ、とリィンが溜め息を吐いたのとどこからかガチャリと音がしたのはほぼ同時だった。
「どうやら成功みたいだな」
いつの間にか、何もなかったはずの場所に扉が出現していた。いきなりこんな場所にいたことといい、不思議なことしか起こっていないけれど考えたところで答えは出ないのだろう。クロウも考えることはとっくにやめた様子だった。
「ま、楽しみはとっておくことにしようぜ」
ぽんぽんと大きな手がクロウの頭に乗せられる。それはつまり、本番は来たるべきまでとっておくということだろうか。それがいつのことを刺しているのかは分からないが、おそらくはリィンが卒業してからのことだろう。
ふっと細められた瞳は柔らかく、クロウの声も優しい。想いが通じ合っていることは確かだからこそ、こんな状況でもクロウは間違ったことをしたくないのだろう。
「ほら、行くぞ」
そう言って差し出された手にきょとんとしながらもリィンはそっと、自分の手を重ねた。繋いだその場所から互いの体温が交わっていく感覚にほんのりと心があたたかくなる。
ちら、と視線を上げれば赤紫の瞳とぶつかった。それから笑みを浮かべたクロウにつられるように、リィンの口元も緩む。
二人で潜った扉の先には、見知った校舎と満点の星空が広がっていた。
fin