これを食べた相手は貴方のことを好きになる。

 いかにも怪しい謳い文句で渡されたそれは一見何の変鉄もない飴玉。要は惚れ薬なるものと同じ効果だと思われるそれが本物かといわれれば偽物だと考えるのが普通だ。そもそも惚れ薬だって実在するのか怪しい。ごく普通の店に“これで意中の相手も貴方にメロメロ”などというキャッチコピーと大量の品が並んでいればまず間違いなく偽物だろう。
 だが本物である可能性が零かといえばそうとも言い切れないのが現実だ。幾ら何でも偽物だろうと思いながら、それなら試してみるのも有りかと考えてしまったのはほんの出来心だった。


「こんなところで会うなんて奇遇ね」


 長い髪を靡かせながらにっこり笑った女性が手を振る。しかし、それを認めたクロウの眉間に皺が寄ったことに気が付いた彼女は「ちょっと、挨拶くらいしたらどうなの?」と頬を膨らませた。


「……今日も綺麗だな」

「また随分と適当な挨拶ね。それも貴方が不機嫌な理由に繋がるのかしら?」


 何でも分かっている風の彼女の態度にクロウはやりづらさを覚える。まだ何も言っていないけれどおそらくこちらの用件は分かっているのだろう。何せクロウが彼女を探し始めたタイミングで姿を現したのだ。どこが奇遇だとクロウは心の中で零す。


「おいヴィータ。この間のあれ、どうやったら効果が切れるんだよ」

「何のことかしら?」

「アンタに貰った怪しい飴だ」


 クロウの言葉に「ああ、あれね」といかにも今思い出したかのように彼女は頷いているが絶対分かっていただろうとはあえて口に出さない。言うだけ無駄であることを少なくない付き合いの上で知っている。例の怪しい飴玉を渡したのがこの魔女だったことから嘘臭いと思いながらも魔女の力で作った本物の可能性はクロウも確かに考えたのだが、たとえ本物だったとしてもすぐに効果は切れるだろうと考えたのが甘かった。たかが飴の効果が一週間も続くなんて思わないだろう。
 まさか永久的に効くものではないだろうなと居場所の分からない魔女を探しに出て一時間半。向こうから来てくれたのは有り難くもあるのだが、それが複雑であることも否めない。


「効果のほどはどうだったのかしら?」

「……その効果が切れる方法を聞いてるんだろ」

「あら、そんなに効き目があったの?」


 成程ね、と呟いている魔女は一体何を考えているのか。そう思ったところで「それにしても、やっぱり貴方が使ったのね」と言われてクロウは何のことだと聞き返す。けれどこっちの話よとすぐにはぐらかされてしまった。
 こうなるとその真意を聞き出すことは不可能だが、こうして姿を見せたということはクロウの質問に答える気はあるのだろう。とりあえず話を進めようとクロウは再度問うた。


「それで、どうすれば良いんだよ」

「その様子だと気になる子と両思いになれたんでしょう? 元に戻す必要はないんじゃないかしら」

「……こんなんで両思いになっても意味ねぇだろ」


 興味本意で試してしまった身では説得力など全くないが、最初にそれを貰った時は確かにそう思っていた。どうせ偽物か本物でも効果は長くても一日程度だろう。それならちょっとくらい試してみても良いかと思ってしまったのが間違いだったのだ。
 一日程度ならともかくずっとこのままというのは困る。先にも言ったように怪しい飴の効果で両思いになったとしても所詮それは偽り。何より自分勝手な出来心で巻き込まれたアイツにはアイツの気持ちがあるはずなのだ。だから絶対にどうにかしなければならない。そしてどうにかする方法は必ずある。

 真っ直ぐに見つめる赤紫の双眸にヴィータはやがてふぅと小さく息を吐いた。


「そうね。どうしてもっていうのならキスをしてみたらどうかしら?」


 突然の提案に「は?」と素っ頓狂な声が出る。するとヴィータはよくお伽噺でもあるでしょうと続けた。確かにお伽噺では有りがちな展開かもしれないが。


「あのな、俺は真面目に……」

「失礼ね。私も真面目に答えてるわよ」


 どこがだと零したらとにかく試してみたらと魔女は笑う。
 王子様のキスで姫は目を覚ます、なんて所詮は空想上の物語だ。非現実的すぎる――とはこの状況では言い難いのかと思ってしまったのは例の飴のせいだ。非現実的な現象は既に現実に起こっている。
 けれど流石にないだろうと考えるクロウの横でちらりと時計を確認したヴィータは「さてと、私はそろそろ行くわ」と片手を上げる。


「また今度会った時に結果を聞かせて頂戴ね」


 ウインクをして去っていく彼女を見送ってクロウは一つ溜め息を吐く。
 全く解決した気がしねぇ、と思いながらも手掛かりは他にない。遊ばれてるだけじゃないよなと嫌な可能性が頭に浮かぶがこうなったら試してみるしかないだろう。駄目だったらもう一度魔女を探すだけだ。

 そう結論付けたところではあ、と本日二度目の溜め息が零れた。けれどこれも全部自業自得。とりあえず帰るかとクロウは元来た道を歩き始めるのだった。



□ □ □



「なあ、リィン」


 帰宅をしたクロウはいつものように同居人から「おかえり」と笑顔で迎えられた。それ自体は一週間前と何ら変わりはない。だがその距離間は一週間前よりも随分と近くなった。
 そのことが嫌なわけではないけれど、これも例の飴の効果であることを考えると素直には喜べない。だからこそ早くどうにかしなければならない。そう思ったクロウはソファに腰掛けて隣に座る友人の名前を呼んだ。


「何だ?」


 するとリィンは疑問を返しながら小首を傾げる。それを可愛いと思ってしまうのは好きなのだから仕方ないだろう。けれど同時にやはり今のままでは駄目だと思う。こんな、押し付けのような気持ちは恋愛とはいえない。

 そう、クロウがあの飴を使った相手はこの同居人だった。言うまでもなくリィンは男だが、同性であるこの後輩に恋をしたのは自分達がまだ士官学院生だった頃の話である。嘘でも冗談でもなく、一時の気の迷いでもないと知ったのも同じ頃。
 だが自分達は同性ということもあり、友人のままの関係を続けることを望んだクロウは今もリィンの友人兼同僚というポジションにいる。それはそれで良いけれど、一度生まれた恋心は消えることなくクロウの中で燻っていた。


(だからってこれは間違ってる)


 その気持ちがほんの出来心に繋がり、結果として一時の夢だとしても欲しかったものが手に入った反面でもっと大切なものを失った。
 後悔しても後戻りが出来ないのならやるべきことは一つしかない。押しつけの恋心を失くすためにこんなことを頼むのもおかしな話だが、戻す方法がこれだけならとクロウは意を決して口を開く。


「キス、しても良いか」

「えっ?」


 尋ねるとみるみるうちにリィンの顔が赤くなっていく。いくら飴の効果で自分を好きになっているとはいえ、どうやらキスは恥ずかしいものらしい。それはそうか、と思いながら駄目かと出来るだけ優しく聞いてみると「駄目じゃないけど……」と視線を逸らしながらもリィンは答えた。
 徐々に語尾が小さくなっていったのは恥ずかしさのせいだろう。その反応も可愛いけれど夢は夢で終わらせなければいけない。これが本当だったら、なんて考えてしまってクロウは小さく自嘲を浮かべる。


「クロウ……?」

「目、瞑れよ」


 クロウが言えば何かを言いたそうにしながらもリィンはそっと瞼を下ろした。素直に従ってくれたリィンに内心でほっとする。
 これで、これだけで全部元通りになるかは半信半疑だが、全て元に戻れば良い。元通りになってリィンがこの一週間のことを覚えていたら大人しく怒られよう。悪いのは全面的に自分なのだから弁解の余地もない。縁を切られたって文句は言えないだろう。

 ――それでも、僅かな夢は幸せだった。
 そう思いながら軽く触れるだけのキスを終えた赤紫に映ったのは先程以上に顔を赤くした友人。


「リィン?」


 やはりこれでは駄目だったのか。面白いからと魔女にからかわれた可能性が高まってきたところでクロウの耳に微かな声が届く。


「……本当に、俺が好きなのか」


 唇をそっと指先で触りながらリィンが呟いた。おそらく独り言だと思われるその言葉の違和感にクロウはまさかと思う。
 本当にあれで良かったのか? と疑問を抱きながらも真相は本人に確かめてみるしかない。ゆっくりと息を吐き、それから一呼吸を置いたクロウは目の前の友人に問う。


「……戻ったのか?」

「え? 戻ったって……あ」


 忘れてた、とリィンが次に口にしたのはそのような言葉だった。


(忘れてた……?)


 何かがおかしい。今の一言にクロウはさっきとは別の違和感を覚える。もしかしてリィンは自分に何かを隠しているのか。忘れていたというのはどういう意味なのか。
 ――そういえば、数時間前に会った魔女は何と言っていた? そんなに効き目があったのかと幾らか驚いた後に彼女は。


「リィンくん?」


 確信はない。けれどリィンの反応でクロウはある答えを導き出した。仮にそれが正解だったとしてもクロウにリィンを責める権利はないが、じっと青紫の瞳を見つめるとその目が気まずそうに横へ逸らされた。


「……クロウだって人のことは言えないだろ」

「それは否定出来ねぇが、どういうことかは説明してくれるよな?」


 やっぱりそういうことかと思いながらリィンの次の言葉を待つ。すると暫くして諦めたようにリィンがゆっくりと事の顛末を話し始めた。それをクロウは黙って聞いた。

 結論からいうと、惚れ薬などという怪しいものは初めから存在しなかったらしい。例の飴もどこにでも売っている普通の飴玉だったわけだ。
 では、その飴で何故惚れ薬のような効果が発揮されたのか。答えは至ってシンプルだ。まるであの飴が惚れ薬だったかのようにリィンがクロウに惚れた振りをしたから。


「何でまたそんなことをしたんだよ」

「それはクロウがあの飴を……」


 人のことを言えない立場でありながらも尋ねるとリィンはそこまで言ったところで言葉を止めた。続くであろう言葉は“渡してきたから”だろう。例の飴を魔女はクロウだけでなくリィンにも同じ謳い文句で渡していた。これが事の真相だ。
 だからリィンはあの飴に惚れ薬の効果があったかのように振る舞った。その理由は今更説明する必要はないだろう。これを食べたら相手は自分を好きになる、と聞いて試してみたのもその効果がある振りをしたのもからかい目的や興味本位でなどではなかったのだ――そう、お互いに。


「……なあ、やり直しをさせてくれねぇか」


 全てが明らかになり、夢が夢ではなかったと知った。それを知ったクロウが言うとリィンはその声に反応するように顔を上げた。


「やり直し?」

「ああ、最初からちゃんと」


 夢は終わった。けれどその夢は全てが幻ではなかった。幻どころか手を伸ばせば届く場所にあるそれを見ない振りなんて出来ないし、したくない。
 順番はおかしくなってしまったけれど、だからこそもう一度。夢を現実にするために初めからやり直したい。過ぎてしまった時間は戻らなくても一からやり直すことは出来るはずだから。大きく息を吸って、吐いて、そして。


「好きだ、リィン」


 真っ直ぐに赤紫が自分とは違う紫の双眸を見つめて告げる。この一週間、互いに何度か口にしてきたそれを。後ろめたいことは何もない、本当の気持ちを己の声に乗せて。


「……俺も、クロウが好きだ」


 交わる紫。そこに籠る、熱。視線が絡み、どちらともなく瞳を閉じて触れた唇。鼓動が早まり、先程以上の熱が身体中を巡る。
 同じ言葉に同じキスでも全く違う。夢ではなく本当に、そう思っただけでより多くの感情が溢れてくる。同時にやはり馬鹿なことをしたなと改めて思った。


「ごめん、クロウ」

「それはお互い様だろ。俺も悪かった」


 たった三文字の言葉を伝えることが出来なかったのは自分が臆病だったから。嘘でも、嘘なら。それが間違っていることは分かっていたんだ。
 だけど素直になれず、惚れ薬と同様の効果を持つと言われた飴に頼った。たとえ一瞬でも夢が見たい、本気か分からなくてもこれなら夢が見れる。だって好きだったんだ。いつからか、好きになっていた。大切な友のことが。


「もう一度、ここからやり直そう」


 偽りではない、本物の恋愛を。
 クロウの言葉にリィンも頷く。触れ合った手はとても温かかった。








-それは本物の恋が始まる合図-