「あの、よかったらお礼をさせていただけませんか?」


 歩いていたところで声をかけられ、道を聞かれて答える。ここまでは特別珍しくもないことだ。
 大したことではないから気にしなくていいと答えても「せっかくなので」と食い下がられたところで、こっちが本当の目的なのだと気がついた。


「すみません、このあと用事があるので気持ちだけいただいておきます」


 まさか自分がそういう目的で声をかけられるとは思わなかったが、こちらにその気はないため断る以外の選択肢はなかった。用事があるといえば引いてくれるだろう。
 ――と思ったのだが、どうやらそう単純な話ではなかったらしい。


「それなら日を改めてお礼をさせてもらえませんか?」

「いえ、本当に気持ちだけで十分なので……」


 こういった場合はどのように対処するのが正解だろうか。気が済まないからとなおも食い下がってくるのなら、急いでいると強引に話を切り上げるしかないだろうか。


「こんなとこで何してんだ?」


 頭を悩ませていたところで不意に聞こえてきた声に振り向く。


「遅いから探しにきたんだが、何かあったのか?」


 そこにいたのは、よく知る友人だった。言葉自体に心当たりはなかったが、向けられた視線からその意味を察するのに時間は要さなかった。


「あ、ごめんね。ちょっと道案内をしてたんだ」

「へえ。まだかかりそうか?」

「ううん、今終わったところだよ」


 それでは失礼します、と今度こそ話を終わらせる。
 男も流石にこれ以上は無理だと判断したのだろう。何かを言いたそうに口を開きかけたまま、結局それを言葉にすることはなかった。



 □ □ □



「ありがとう、クロウ君」


 暫く歩いたところでトワは口を開く。先程の男性は多くの人が行き交う街の中にあっという間に紛れてしまった。


「ったく、ああいうのは無視すりゃいいだろ」

「最初は本当に道に迷っているかと思ったから」

「人助けはいいが、そうと分かったらはっきり断っちまえばいいんだよ」


 はあ、と溜め息を吐いたクロウにトワは苦笑いを零す。誘いに乗るつもりはなかったけれど、どのように断ったらいいのか困っていたからクロウが来てくれて助かった。


「それにしてもクロウ君、帝都に来てたんだね」

「オルディス方面に行く途中で寄っただけなんだが、まさかこんなところに出くわすとは思わなかったぜ」


 そう言われると返す言葉もない。偶然にしてはできすぎていると思う。
 クロウは近くに来る時にいつも連絡をくれるから、今回は本当に乗り継ぎのために立ち寄っただけですぐに移動するのだろう。
 久しぶりに会えて嬉しいけれど、すぐに別れなければいけないと思うとほんの少しだけ寂しさもある。


「……変なのに引っかかんなよ」


 雑踏の中で不意に届いた言葉に「え?」と顔を上げる。


「お前のそれは長所だと思ってるが、それで自分が危ない目にあったら元も子もないだろ」

「うん、そうだね」

「ま、俺が言うまでもないだろうが」


 言葉の節々から心配しているということが伝わってくる。
 それが嬉しくて、気がつけば「ふふっ」と小さく笑っていた。


「何でそこで笑うんだよ」

「ごめんね。でも、クロウ君もわたしと同じなんだなと思って」


 各地を飛び回って色んなことをしている友人の周りには自分以上に危険が多いだろう。
 彼の実力を考えれば心配はいらないと分かっている。それでも、気になってしまう気持ちもゼロではない。
 クロウが言いたいのもきっと、同じことなのだろう。そう思ったら自然と笑みが零れた。


「クロウ君こそ、あまり無茶しないでね」

「それとこれは別の話だろ」

「じゃあちゃんと帰ってきてね」


 トワが言うとクロウは微かに目を見張り、視線を逸らす。


「……わーったよ」


 そう言って彼はがしがしと頭の裏を掻きながら諦めたように頷いた。
 クロウの故郷は別にあるのに、そんなことを願うのはわがままかもしれない。けれど、その約束に胸の奥がじんわりとあたたかくなった気がした。


「そろそろ時間だな」

「そっか。今日は本当にありがとう」

「次来る時は連絡する」

「うん」


 またね、と手を振って小さくなる背中を見送る。
 人混みの中にその姿が消えたところでトワもまた歩き出す。ふと見上げると、空には一番星が輝いていた。






(今はまだ、名前のないまま)