赤や橙に紅葉していた木の葉が落ち、日に日に気温が下がっていく秋の終わり。少し肌寒いと感じるようになってきた十一月の半ば。今日もトリスタにある士官学院では授業が行われ、放課後になると生徒は散り散りになる。教室に残って友人と談笑をする者、部活動に励む者、図書館で勉強をする者。真っ直ぐ帰宅する生徒やトリスタの街に出掛ける生徒もいる。
そんな中、赤色の制服を身に付けた少年は放課後になるなり技術棟へと向かっていた。正確には、技術棟にいるであろうとある人物を訪ねて。
「やあ、リィン君」
パタンとドアが開く音に顔を上げ、そこに立っている後輩の姿を認めてジョルジュが声を掛ける。それにリィンも挨拶を返すと、その足は真っ直ぐにこの場にいるもう一人の人物の元へと向けられた。
「クロウ」
「よう、後輩。何か俺に用でもあんのか?」
技術棟に入るなり真っ直ぐにクロウの元へ行ったのだから何かしら用件があって来たのだろう。実際、リィンはクロウを訪ねてここへやってきた。つい一ヶ月程前までは同じ教室で勉強していた彼だが、Ⅶ組への編入期間が終わった今は元のクラスに戻っている。それに伴って顔を合わせる機会も減り、おそらく一番いる可能性が高いと思われるこの場所を訪ねた。その予想通り、クロウはこの場所で放課後という時間をのんびりと過ごしているところだった。
「ちょっと話があるんだけど……」
「おう、何だ?」
聞き返すがリィンは視線を左右に揺らすだけ。それに疑問を浮かべながら、どうかしたのかと尋ねれば二人で話がしたいのだという。
その発言にクロウは一瞬きょとんとした表情を浮かべたもののすぐに口元に笑みを浮かべる。分かったと短く答えてからジョルジュに一言声を掛けて二人は技術棟を後にする。二人で話が出来ればどこでも良い、というわけでもないんだろうなと考えたクロウが向かった先は第三学生寮のリィンの部屋。
Meaning of Trick
「お前の部屋に来るのは久し振りだな」
第三学生寮に来ること自体はそれほど久し振りでもない。というのも、自分の荷物を第二学生寮に引き上げてからもこの先輩は週に一回ほど第三学生寮に訪ねてくるのだ。理由は単純、シャロンのご飯をご馳走になりたいから。シャロンもその為にやってくるクロウの分を毎度嬉しそうに用意している。
だが、いくら第三学生寮に来ていてもリィンの部屋まで訪ねることはまずない。それ以前に最近のリィンはクロウを避けていたような節もある。その理由はクロウにも思い当たることがあったため特に気にしていなかったのだが、漸く話をする気になったらしい。
「それで、俺と二人きりで何の話がしたかったんだ?」
「クロウに聞きたいことがあるんだ」
言えば何かと聞き返される。その話をするためにクロウを探していたのだが、それでもいざ話をするとなると少々躊躇ってしまう。しかし、ここで話をしなければいつまでも顔を合わせ辛いままだ。否、そう思っているのはリィンだけなのだが、今日は話をすると決めたのだからここで止まってはいけない。
一度ゆっくりと深呼吸をして、リィンは赤紫の双眸を真っ直ぐに見つめる。それから徐に口を開いた。
「ハロウィンの時のあれ……どういう意味だ?」
やっぱりそのことか、と思ったのはクロウ。最近クロウを避けていたリィンが二人きりで話したいことなんてそれくらいだと思っていたが当たりのようだ。正直もっと早く問い質しに来るかと思っていたのだが、意外なことにここまで来るのに結構な時間を要した。それだけ混乱していたのか、それともまた別の理由があったのか。そこまでのことはクロウには分からないけれど。
「どういう意味って、あん時はお前がお菓子を持ってなかったからイタズラしたんだろ?」
とりあえずクロウもリィンの質問に答える。リィンの言うあれというのは、ハロウィンの時にクロウが彼にした悪戯のことだ。どうしてあんなことをしたのかといえば今し方答えた通りの理由になる。
しかし、リィンが求めている答えはそういうことではない。勿論クロウもそれは分かっている。分かっているけれど、それでもクロウはそう答えた。
「いや、そうじゃなくて」
案の定リィンはそういうことではないと言う。
悪戯というにはあまりにも悪ふざけが過ぎるあの行為。ハロウィンの悪戯だといえば何でも許されるわけではないだろう。悪戯にだって限度は付きものだ。その内容は相手によって違うとまで言ったこの先輩がどういうつもりでその悪戯を自分にしたのか。リィンが聞きたいのはそういうことだ。
「俺は真面目に話して……」
そこまで言ってリィンははたと言葉を止めた。こちらは真面目に話しているのだけれど、もしかするとクロウにとってあの悪戯はその程度のことなのだろうか。あのくらいのことは誰にでも出来る悪戯で、今言ったこと以上の理由なんてないのかもしれない。
そう思ったらその先の言葉が出て来なくなってしまった。胸がぎゅっと掴まれるような感覚がリィンを襲う。ああそうだ、この感覚には覚えがある。
「リィン?」
何かを言い掛けたまま口を閉ざしたリィンは、暫くして「やっぱり何でもない」と急に話を終わらせた。あまりにも唐突なそれには流石のクロウも戸惑う。
だが、苦しそうな表情を浮かべる後輩を見れば原因は明白だった。そのまま背を向けようとするリィンの腕を慌てて掴み、クロウは青紫を真っ直ぐに見て口を開く。
「悪かった。お前をからかうつもりでやったんじゃない」
そして、今度はリィンが求めていたであろう答えを述べる。あれはからかうつもりでやったことではないのだと。正直な気持ちを口にする。
「ハロウィンのイタズラっていうのはまあ、口実ってヤツだ。誰にでもそういうことを出来るわけじゃねぇよ」
そういうこと――キスは誰にでも出来ることではない。キスというのは一般的に好きな人とする愛情表現の一つ。誰でも良いわけではないし、誰にでも出来るわけでもない。
それはクロウにしたって同じだ。相手が誰でも良いのではない、リィンが相手だったからしたのだ。他の人が相手だったら絶対にしない。ハロウィンの悪戯という口実を使えば最悪冗談にも出来る。冗談にしたらそれで冗談でそんなことをするなと怒られるとは思ったけれど、それでもこんな機会はないと思ったら手が出てしまった。
「それって…………」
「お前が好きだってことだよ」
冗談だと言って誤魔化せるように保険を掛けた。だけどクロウは自分のその気持ちをはっきりと言葉にした。言うか言わないか、少し前まではクロウも迷っていたけれど、もう心は決まった。
男が男に恋をするなんて普通では考えられないだろう。それも先輩が後輩に恋をしているなんて。
けれどあの時、ハロウィンにこの悪戯をした時。リィンが嫌そうな顔をするどころか顔を赤くしたのを見て、あの反応はどういうことなんだと部屋に戻ってから頭を抱えた。それからリィンがさり気なく自分を避けるようになったのにはすぐに気が付いたけれどそれは自業自得。しかし、同時にやたらとこちらに向かう視線にも気付いてしまったのだ。視線に籠る熱にも。そこまで気付いてしまったら、後は言うしかないだろう。
「だから、あれはそういう意味だ」
ただの悪戯ではなく、ちゃんとそういう意味でしたことだと。クロウはそう言った。
それを聞いたリィンは顔を真っ赤に染めるとそのまま視線を下に落とした。赤くなった顔を見られたくないのだろう。だが、耳まで赤くなっているせいで隠しきれていない。
その反応が既に答えではあるけれど、それでもクロウは尋ねる。一番大切な、クロウが聞いておきたいことを。リィン自身の言葉で聞きたいから。
「なあリィン。お前は俺のこと、どう思ってる?」
この半月ほど向けられていた視線にこの反応、なかなかハロウィンのことを聞きに来なかったのはリィンがあの行為について悩んで考えてくれたからだろう。事実、リィンはこの半月の間ずっとクロウのことを考えていた。
どうしてあんなことをしたのか、どういうつもりでやったのか、あれはただの悪戯だったのか。それはもう多くのことを考えて、考えた末に本人に聞こうと決めた。本人に確かめなければ真相は分からない。自分の中では一つの答えに辿り着いたから、緑色の制服を着たこの先輩を探した。
「…………俺も、クロウが好きだ」
段々と声が小さくなっていったけれど、それでも最後まできちんとクロウの耳に届いた。そして、最後まで聞き終えるとクロウはその唇に自分のそれを重ねた。
いきなりの行動にリィンはなされるがままだったが、唇が離れたと同時に見たクロウの頬がほんのりと朱に染まっていることに気が付く。そのことに少しばかり驚きながら、けれどすぐに小さく笑みを浮かべた。
「改めてよろしくな、クロウ」
「ああ、こちらこそ」
青紫に赤紫が、赤紫には青紫を映して。どちらともなく笑い合い、今この瞬間の幸せを噛みしめる。
先輩で後輩、悪友とも呼べるそんな関係の僕等。けれど、今日からはその関係にもう一つ名前を加えよう。そう、今日からは恋人としての一歩を二人で踏み出そう。
fin