それぞれが自分の道へと進み、忙しい日々を送っているとなればなかなか全員の予定を合わせることは難しい。みんなで集まりたいと思っても誰かしら予定が合わないことは珍しいことではなく、それでも年に一度くらいはほぼ全員が集まっていた。
ただ一人だけ、いつからかみんなとの集まりに顔を出さなくなった。
連絡がとれないわけではない。メールも電話も繋がる。国外にいることが多いから都合がつかないことが多いのも仕方のないことで、本人も断る際に悪いと謝罪を口にする。でも忙しいことだけが理由ではないことはなんとなく察していた。
実際、その気持ちも分かる。
誰が悪いわけでもない。だから謝ることはないのだが、帝国に帰ってきた時にはご飯でも行こうと話してからどれくらいの月日が流れただろうか。
多分、帝国には本当に戻っていないのだろう。それか帰ってきてもほんの僅かに立ち寄った程度なんだろう。その理由も想像ができないことはない。
『よう、どうした?』
何回かの電子音のあと、聞こえた声はいつもと変わらなかった。
「クロウ、久しぶりだな。元気にしてるか?」
『まあそれなりにな。お前の方は相変わらず忙しくしてんのか?』
「今は大分落ち着いてるよ」
見上げた空には満天の星が広がっている。クロウも今、同じ星空を見ているのだろうか。
どこにいるのかは分からないが、こうして繋がっている彼もこの空の下にいることだけは間違いない。
「少し相談したいことがあるんだけど、近いうちに会えないか?」
ぎゅっと、ARCUSを握る手に僅かに力がこもる。
彼が出す答えは聞かずとも分かっていた。
『あー……今ちょっと忙しくてな。電話じゃダメか?』
予想通りの答えをクロウは口にする。忙しいのも事実なのかもしれないが。
「本当に少しの時間でいいんだ。俺が近くまで行くから」
『近くってお前、俺がどこにいると思って……』
「頼む、クロウ」
いつでもいいと言ったところで適当にかわされる。クロウが帝国にいないのならこちらから会いに行けばいい、という話ではないことも分かっている。分かっているから、誰もそこまで踏み込むことはしなかった。
リィン自身もその気持ちを尊重したいと思っていた。いや、今だってその気持ちはある。自分の言葉がクロウを困らせているのも分かっている、けれど。
『……分かった』
どれくらいの時間が経っただろう。暫しの沈黙の後にクロウが言った。
『明日そっちに行く。場所は帝都でいいよな』
返ってきた言葉に小さく息を吐く。
よかった。一度は断られても真剣に頼めばクロウなら聞き入れてくれるだろうと思っていたけれど不安はあった。もしかしたらこの短い会話の中で何かを悟られたのかもしれないが、どっちみちクロウと話がしたかったからその点は構わない。
「ありがとう。ただ、場所は――」
おそらく移動手段は飛行船だろう。そう思って話をするとクロウは一瞬驚いた声を上げたが、程なくして「また連絡する」と電話を切った。
パタンとARCUSを閉じたリィンは星々に向けていた視線を落とす。そしてゆらゆらと揺れる水面を背に歩き始めた。
□ □ □
大通りから外れた場所にひっそりと佇んでいたお店のドアを開けるとカラカラとベルが鳴る。落ち着いた雰囲気の店内を見回し、視界に映った灰銀にトクンと心臓が音を立てた。
ゆっくりと息を吐き、徐に足を進める。連絡はたまにとっていたが、こうして直接会うのはいつ振りだろう。彼はあの頃と変わらない姿でそこにいた。
――もっとも、自分だってあの頃と大して変わっていないのだが。
「クロウ」
リィンの声に反応してこちらを映した赤紫の瞳が大きく開かれる。けれどクロウはすぐに「よう」と挨拶をして座るように促しながらメニューを差し出した。
「とりあえず何飲む? お前それなりに飲めたよな」
「いや、あまり強い方ではないんだけど」
「まあとにかく好きなモン頼めよ。今日は奢ってやる」
クロウから奢るなんて言葉が出てくるとは思わなかったリィンの心を察してか「久しぶりだしな」と付け加えたクロウはもう既に今日呼び出した理由にも気づいているだろう。
あの頃と変わらないというのはお世辞ではなく、本当にそのままの意味だ。だからこそクロウは自分たちの前に姿を見せなくなった。
誰も気にしないけれど気にせずにもいられない。矛盾しているそれらを直接会わないことでうやむやにしている。それが正しいかどうかは別としてお互いのためにもそれを正としたのは、それ以上の答えを誰も持ち得なかったからだ。
「それにしても、何でこんなとこにきてたんだ?」
人にお酒を勧めながらも先に着いていたクロウが飲んでいるのはコーヒーだ。おそらくミルクも砂糖も入っていないのだろう。それとも少し会わないうちに味覚は変わっているのだろうか。
「いつか行ってみたいと思っていたから、いい機会だと思って」
「お前って結構帝国のあちこちに行ってるイメージだったけどな」
「否定はしないけど、全部を回っているわけじゃないさ」
お待たせしました、と運ばれてきたカップを受け取る。紅茶ではなくコーヒーを選んだのはここのマスターがコーヒーに拘っているとクロウが教えてくれたからだ。
「なんだかんだで結局訪れたことがなかったから」
この店を指定したのはクロウだ。だがその前にこの場所――オルディスで会えないかと話したのはリィンだった。
電話で帝都でいいかと聞かれた時にオルディスを指定した理由はリィンがジュライにきていたからだ。ジュライの近くで飛行船の発着場があるのはオルディスだった。それが今日、二人がこの場所で会うことになった理由である。
「別に目新しいモンなんてなかっただろ?」
「そんなことはないよ」
いいところだったと素直に口にすれば程なくして「そうか」と短い相槌が返ってきた。その瞳がそっと細められたのを見てリィンの口元も小さく緩む。
「それよりクロウ、今日は時間を作ってくれてありがとう」
話に一区切りがついたところで徐に切り出す。
「まあ可愛い後輩の頼みだしな」
さらっとそう言ったクロウがカップを傾けるのを見てリィンもまたコーヒーを口に運ぶ。豆から挽いているというコーヒーは香りもとてもいい。
あたたかなコーヒーを味わいながら気持ちを落ち着ける。どこから話したらいいか。ここへくる前――クロウに連絡をする前から考えていたことを頭の中でもう一度おさらいする。大丈夫、心の中で呟きながらゆっくり息を吐いた。
「電話でも話したけど、クロウに相談したいことがあるんだ」
改めて言わなくてもクロウは今日会った時点でおおよその見当はついていることだろう。クロウと同じように、リィンもまた久しぶりに会ったというのに最後に会った時と姿が変わっていないのだから。
それでもちゃんと、自分で説明をしなければと。
「分かった」
「えっ?」
口を開こうとした矢先にそう言われて思わずぽかんとしてしまう。
そんなリィンを見てクロウは緩く口の端を持ち上げた。
「いいぜ。好きにしろよ」
「……いいのか?」
「どっちにしたって同じことだろうしな」
クロウの言うどちらにしても同じという意味は理解しかねたが、これからリィンが話そうとしたことを了承するつもりであることは確かなのだろう。
まだ何も言っていないのに、クロウの優しさに甘えていいのだろうか。そもそも――。
「今まで周りのことばかり優先してきたんだからいい加減自分の好きなようにしろよ」
「別に俺は――」
「もっとわがまま言えばいいって多分みんな思ってるぜ?」
「……そんなことはないと思うけど」
これまでたくさんの人に助けられてきた。頼みごとをして力を貸してもらったことだって多い。だからこそリィンもまたみんなの力になりたいと思って過ごしてきただけだ。
こういうのはお互いさまだというが、どちらかといえば周りに助けられていることの方が多いくらいだ。わがままだって言ったことはあるし、それをいうなら今だって。
「なあ」
顔を上げると真っ直ぐな赤紫とぶつかった。
その視線にとくんと小さく心臓が音を立てる。赤紫はとても優しい色をしていた。
「ひとつ、約束しようぜ?」
「約束?」
繰り返したリィンにクロウは頷く。
「俺もお前にわがまま言うからお前も気にせず何でも言えよ。ま、お前の場合はわがままってほどのことは滅多になさそうだけどな」
そもそも人に気を遣いすぎだとクロウは笑う。
そんなこともないと思うけれど、リィンの興味を引いたのは最初の部分だった。
「それ、クロウもだよな?」
リィンにわがままを言えというけれどクロウだって、いやクロウの方が何も言わないだろう。くだらないことは山ほど言ってきてもそうではないことは全部自分でどうにかしようとする。
もっと頼って欲しいと思っているのは自分だけではないはずだ――と、同じところに行き着く結論を利用したクロウは口角を上げた。
「そうだな。もちろんわがままを全部聞けってことじゃねーから断るのも自由だ。そんで早速だがリィン、俺と一緒にこねぇか?」
突然の提案に目を大きく開く。クロウは――いや、クロウ以外の人だってリィンの事情は知らない。だからリィンが何の相談を持ちかけるかなんて分からなかったはずだし、分校の教官をしていたリィンにいきなりそんな提案をしたところで答えは分かりきっているだろう。
それなのにこのような提案をしてきたのは単なる思いつき――というわけでもないのだろう。もちろん、初めからそのつもりで今日ここにきたわけではないことも分かっている。でも。
「……いいのか?」
「いいも何も誘ってるのは俺だろ?」
お前こそいいのかよとクロウは尋ねる。確かにその通りだ。
年を重ねるにつれて人は少しずつ変わっていく。違和感を覚えたのは数年前で、そのことに関して思い当たる節もあった。胸に手を当てて考えた末に辿り着いた答えはひとつだった。
自分もそうなのだと気づいて、これからのことを考えたリィンが教官を辞めると決めるまでに時間は要さなかった。だがその先についてははっきりと答えが出せず、かといって相談できる相手だって――と思った時に浮かんだのが目の前の友だ。
「行くよ。クロウと一緒に」
迷う理由はない。答えは初めから決まっていた。
行き先はどこだって構わない。だって自分たちには十分過ぎるほどに時間がある。
「決まりだな」
すっと伝票を持って立ち上がったクロウに続いてリィンもまた席を立つ。カラカラと音を鳴らしながら開けた扉の先には昨日見たのと同じような星空が広がっていた。
「そんじゃあ改めてよろしくな、相棒」
「こちらこそ」
差し出された拳に拳を重ねる。懐かしい感覚に胸があたたかくなる。
普通の人とは違うからこそクロウは仲間たちと一定の距離を置くことにした。それが分かっていたからみんなその気持ちを尊重した。リィンだってその一人だった。
だけど同じ立場だとしたら話を聞いてくれるのではないか。一緒に、というのは流石に難しいだろうからこれまで行った場所の話を聞いてまずは自分も同じように各地を回ろうかと思っていた。だが、そこにクロウが手を差し伸べるのなら。
分かれ道の前で止まっていた足を一歩、踏み出す。
その先に何があるのか、相棒と共に見つけに行こう。
未来への道
(それがどんな道でも、二人でならきっと)