しくじった、と思った時には遅かった。
だが、あいつがこうならなかっただけマシだとも思った。
とりあえず問題の手配魔獣を片付けたあと、心配するリィンに大丈夫だと言って報告を全部任せた俺は暫くどこかに隠れることを考えた。しかし、そうしたらリィンがこっちのことを気にすることも目に見えていた。実は酷い怪我を負っていたんじゃないか。自分を庇ったせいで。そんな風にリィンが考えることは望んでいない。これは俺が勝手に見誤っただけのことだ。
とはいえ、流石にこれは想像もしていなかったわけだが、リィンに余計な心配をさせないために結局部屋に戻ることにしたのは仕方のないことだった。
「クロウ、大丈夫か?」
コンコン、と控えめなノックのあとに扉の向こうから声が聞こえてきた。どうやら依頼の報告は急いで済ませてきたらしい。いくら大丈夫だと言ってもやはり心配だったのだろう。長い付き合いで相棒のそういうところはとっくに分かっていた。
「……ああ」
「どこか具合が悪いなら一度看てもらった方がいいと思うんだが」
「いや、それは大丈夫だ」
はあはあと呼吸が荒くなるのをなんとか抑えながら不自然にならない程度に簡素に答える。
「けど、少し寝たいから、暫く放っておいてくれねえか」
「……本当に大丈夫なのか?」
「ああ。だから、気にすんな」
頼むから一人にしてくれ、とは言いたくても言えない。やっぱりどこかに逃げるべきだったかと一瞬考えたものの今更もう遅い。リィンが戻ってきてしまったからではなく、魔獣の攻撃によって受けた効果が既に体を回り始めているのだ。本当、有り得ねえと心の中で悪態を吐く。
やけに静かになった扉の向こう。こちらの頼みを聞いてくれたのか。仮にそうだとしてもリィンが何も答えずにここを離れるだろうか。
「…………クロウ、入るぞ」
やはり素直に聞き入れてはくれなかった友に待てと制止をかけるより早く、リィンはドアを開けた。そして、大きく開かれた青紫とかちあう。
「く、ろう」
「……だから、入るなって言っただろ」
いや、まだ言ってなかったか。あまり思考が回らなくなってきたかもしれない。
あの魔獣から受けた媚薬と同じ効果が消えるのを待つためにベッドに逃げ込んだだけで特に何かをしていたわけではないが、普通ではないことはもうバレただろう。けど怪我をしていないことが伝わったのならよかったのかもしれない。
「怪我をしたわけじゃねーから、お前はさっさと……」
「クロウ」
先程よりもはっきりした声で呼んだリィンは、こちらを真っ直ぐに見つめていた。その瞳にとくん、と心臓が音を立てる。
「リィン、俺の話を聞け」
「……出て行けって話以外なら」
「出て行け、って言ってんだよ!」
何でそれを聞かないと宣言するのか。宣言通り、リィンはこちらの話を無視してこちらに近づいてきた。
「お前っ、分かってねえのかよ……!」
「分かってるから、だろ」
何を馬鹿なことを、と。言おうとした言葉が声にならなかったのは、リィンに口を塞がれたせいだ。瞬間、頭が真っ白になる。
はっ、と息を吐いて。目の前の相手を見る。こいつはあの攻撃を受けたわけではない。俺と同じ状態になっているわけでもないだろう。それなのに。
「クロウ、別に優しくしなくてもいい」
そう話すリィンは、優しい顔でこちらを見つめていた。とくん、とまた心臓が音を鳴らす。
「お前、何を……」
「クロウは俺のせいじゃないって言うと思うけど、俺を庇ってくれたせいでこうなったんだろ。それに、こんな状態の恋人を放ってはおけない」
リィンの言葉を一つずつ、頭の中で理解する。本当にこいつは、全部分かって言っているのか。いや、分かっていなかったとしても。
ぐいっと近くにあった腕を引くとリィンが体勢を崩した。そのまま今度はこちらから口付けをして、すぐ近くの青紫を見つめる。その瞳の奥にも、熱が灯っていた。
「……後悔してもしらねぇからな」
「しないさ」
クロウはいつも優しすぎる。
そう言った恋人に噛みつくようにキスをした。リィンは微笑んでいた。
もし、ここでこいつに触れたら。絶対に止められなくなると分かっていた。だから酷いことをする前に出て行けと言ったのに。
でも俺は、やっぱりリィンが欲しい。
本能のままに伸ばした手を、リィンは優しく受け止めた。
fin