音が聞こえる。高く、透き通るような歌声。
 ぼんやりとした意識の中、重い瞼をゆっくりと持ち上げると見覚えのある天井が映った。ぱちぱちと二、三回ほど瞬きをし、今も尚耳に届くその声の主を探して頭を動かすと向こうもこちらに気付いたらしい。


「おはよう。調子はどうかしら?」


 窓際の椅子に腰掛けていた魔女は起きたことに気が付くなりベッドの横までやってくる。別に何ともないと体を起こそうと付いた手が一瞬肘から崩れた。
 それを見たヴィータはすぐにまだ横になっていなさいと諭す。体が重い、と俺が頭で理解したのとヴィータに諭されたのはほぼ同時。けれどこのくらいなら問題ないと判断した俺が大丈夫だと言って起きれば、魔女は溜め息を一つ零した。


「クロウ、貴方は昨日のことをどこまで覚えているの?」

「昨日? 昨日はオルディスの地下遺跡に行って、いつもと同じように……」


 あ、と気が付いたタイミングでヴィータが今日は一日休んでいなさいと言った。

 昨日。俺はヴィータによって案内された地下遺跡の四層目を探索していた。帝国に伝わる騎士伝説、その試練に挑戦を始めて早数ヶ月。一つの階層の最奥には必ず強力な魔獣が現れ、そいつを倒すことで新たなステージに進むことが出来るというシステムの通り、昨日もまた最奥の魔獣を倒してこの階層の探索は終わったかのように思われた。
 だけど昨日は更に別の魔獣――正直魔獣という表現が正しいのかは怪しいが、とにかくそいつが現れてなんとか倒したところまでは覚えている。しかしその先のことは覚えていないどころかここまで帰って来たという記憶もない。だがここにヴィータがいて、あの場所が誰でも気軽に行けるような場所でないことを踏まえて考えれば自ずと答えは導き出される。


「悪い、迷惑掛けたみたいだな」

「迷惑だなんて思っていないけれど、時には休むことも大切よ?」


 いくら試練を突破しても貴方自身が倒れてしまったら意味がないという彼女の言葉は正論だ。怪我の手当てはしたけれど熱が出ているみたいだと話すヴィータは一体いつからここにいたのか。少なくともさっきの今でないことは間違いないが。


「こんな無茶ばかりされたら心配で身が持たないわ」

「そこまで心配してねーだろ」

「そんなことないわよ。だからもしもの時のためにそれを渡しているんじゃない」


 それ、と視線が向けられたのは蒼耀石のような輝きを持つ小さな欠片。これは一番初め、地下遺跡の試練に挑む前に彼女から渡されたものだ。何か特別な力がこの欠片に込められているらしいが実際に使ったことはまだない。
 貴方の力になるはずだから、としか言われていないこれがどういうものなのかは分からない。だが、少なくとも何かあった時には助けになってくれる力なんだろう。そう思いながらその欠片へと落としていた視線を紫の双眸に向ける。


「けど、多少の無茶くらいしねーと試練をクリア出来るとは思えねぇんだが」

「無茶と無謀は違うわ」


 無謀なことはしていないと視線で訴えれば魔女は肩を竦めた。貴方を見ていると危なっかしくて仕方がないと。
 言われるほど無謀なことをした覚えなど当然俺の中にはない。いけるか? と考えることもないことはないが、結果的になんとかなっているのだから問題はないだろう。魔女に言わせればそういうところが危なっかしいという話なのかもしれないけれど、それを言われたらこの試練の先へは到底進めない。


「まあ良いわ。とにかく今日は一日ゆっくり休むこと。良いわね?」

「へいへい、分かったよ」


 どうせこんな状態では何も出来やしない。地下遺跡の探索でなければ他はどうにかなりそうな気もしたけれど、ここまでしてくれた魔女の手前、今日のところは言う通りに大人しくするべきだろう。
 ごろんと横になった俺を見てヴィータは小さく息を吐く。


「…………本当、貴方はもっと自分のことも大事にしなさい」


 独り言のような声が静かに落ちる。
 俺がこの試練に挑むきっかけを作った魔女。試練を挑むことに決めたのは俺自身で、彼女もそれが自分の役目だからとこうして手を貸してくれているに過ぎない。自分からそういう道に引き込んでおいて、なんていうつもりはないけれど。


「アンタがそれを言うのか?」


 あえて冗談を口にすれば、ヴィータは小さく笑みを零した。


「貴方を導くことが私の役目。でも、それとは別に私は貴方のことを気に入っているのよ」

「あの蒼の歌姫にそう言ってもらえるなんて光栄だな」

「そう思っているなら無茶は止めて欲しいものね」

「努力はするって」


 努力は、する。だがこの試練を突破することは俺の目的の一つであり、彼女の望みでもある。決して避けては通ることの出来ない道だ。覚悟なら、とっくに出来ている。
 そんな俺の言い分はヴィータも分かったのだろう。やがて、くるりと背を向けた彼女は視線だけをこちらに向ける。


「そろそろ仕事があるから行くわね」

「ああ。色々と世話になったな」

「このくらい気にしないでちょうだい」


 最後にもう一度だけしっかり休むようにと念を押すヴィータにこっちも分かってると繰り返す。そして部屋を出て行く彼女を見送り、一人になった部屋で何となく外を見る。
 そこに広がる空は青く、またその下では深い蒼が揺れていた。










fin